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お茶、その他についての、極く私的なブログ
by tamon
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昨日の自分に飽きたり <芭蕉>?


昨日の自分に飽きたり

という言葉が、芭蕉にあるそうだ。日々、色々なことにウンザリしている私には、響く言葉であった。処で、芭蕉はこの言葉で何を言わんとしていたのか。過去を振り返らず進歩のみを自らに課すということか、いや、過去を一旦チャラにしたいということか、と勝手な解釈をすぐにしたくなってしまう現代人の悪しき病癖である。いずれにせよ、なんという著作で、どういう文脈での発言か知りたいと感じた。




# by tamon1765 | 2023-02-21 21:34 | ことば | Trackback | Comments(1)

捨てられた硯


私の家の敷地内で、小さな直方体の物体に気付きました。隣家との壁の隙間の軒下。雨垂れ受けの意味で少々大きな石の中に、妙に正確な直方体。

何だろうと拾ってみると、何と、硯でした。

他人の家に放置するのも理解できないですし、それ以上に、硯を捨てるという感覚も私には理解不可能です。

何なのでしょう、もしかしたら何かいわれがあるのでしょうか。

例えば、「子供の抜けた歯は、後ろ向きになって屋根に放り投げる」「節分の日は、恵方巻をその年の恵方の向きに向かって食べる」といった大人(それも齢とってから)になって知ったことも数限りないので、もしかして何か情報のお持ちの方には、教えて欲しいです。連絡お待ちしています。




# by tamon1765 | 2023-02-20 19:03 | | Trackback | Comments(0)

訂正『 茶窓カン話の「カン」の字は?


23日の『茶窓カン話の「カン」の字は?』は、私の無理解・無知の状態での書込みでしたので、全面的に書き直します。

前回の記事を読んでいただいた方には、お詫び申し上げます。

当ブログでは「茶窓閑話」としてきましたが、違っていたようです。正しくは、「閑」ではなく、「間」と考えられます。「門構えに月」は、「門構えに日」(現在の間)の旧字ということです。最初から漢和辞典を引くべきでした。

よって、カテゴリーも訂正させていただきました。但し、閑も残したのは、下記の理由によります。


原本を確認しました。

和綴じ本の、一枚ごとの真ん中の折り目となる部分の上に題簽を書く部分(何と呼ぶのか、分りません)があります。

また、全体は「序上中下跋」の構成ですが、序には冒頭に、上中下には、冒頭と終わりに、書名の記載があります。そこでは、「門構えに月」と「閑」が混在しています。なお、「門構えに夕」(聞)に見える字もありましたが、三日月のように書いた月の横一本が薄れてしまったものと考え、却下します。

その二つを集計しますと、

題簽部分

序:全2のうち、 「門構えに月」2、「閑」0

上:全26のうち、「門構えに月」14、「閑」12

中:全23のうち、「門構えに月」15、「閑」8

下:全15のうち、「門構えに月」14、「閑」1

冒頭と終わりの書名

序:(冒頭)「門構えに月」、(終わり)記載なし。

上:(冒頭)「門構えに月」、(終わり)「閑」。

中:(冒頭)「門構えに月」、(終わり)「かん」=平仮名。

下:(冒頭)「門構えに月」、(終わり)「門構えに月」。

以上から、閑の字は明らかに旗色が悪いです。閑話という言葉に思い入れもあり、完全な間違いでもないので、カテゴリーには残させていただきました。本当ですと、旧字である「門構えに月」としたいのですが、文字の出し方が分かりません。


余計な事ながら、旧字が新字に代わる段階で、「月を日に変える」感覚って何なんでしょう。そのことにも興味を感じました。




# by tamon1765 | 2023-02-18 13:43 | 『 茶窓間話、閑話』 | Trackback | Comments(0)

「う」の字


「う」の字_e0024736_00103346.jpg
うなぎ?
2月6日16時16分
西の空に出現



# by tamon1765 | 2023-02-18 00:05 | 雑談 | Trackback | Comments(0)

古今集の中の「わび」


古今和歌集雑歌之下に見つけた「わぶ」「わび」の語について

考えてみた。

新潮日本古典集成本からで、漢字表記は私の勝手なもの。

訳文はこの本の奥村氏のものを参考にさせてもらったが、

当然のことながら文責は私。

和歌の中の読点は不自然ではあるが、Exciteのブランク表示が

上手くいかないので入れさせて貰った。


937 都人、如何にと問はば、山高み、晴れぬ雲間に、わぶと

    答へよ              小野貞樹

【都の人から彼はどうしていると問われたならば、甲斐の国に居て山が高いから、晴れない雲の間にあって、「わび」という状態でいると答えてくれ。】


938 わびぬれば、身を浮き草の、根を絶えて、誘う水あらば、

    往なむとぞ思ふ          小野小町

【私は「わび」という状態になっているので、この憂き身を浮き草のように根を断ち切って、誘う水(人)があればどこでも往ってしまおうと思っているよ。】


962 わくばらに、問う人あらば、須磨の浦に、藻塩たれつつ

    わぶと答へよ         在原行平朝臣

【彼はどうしているかと問う人が、もしかしていたならば、播磨の国の、塩生産地である須磨の浦で、嘆き沈み(しほたれつつ)ながら「わび」という状態でいる、と答えてくれ。】


985 わび人の、住むべき宿と、見るなべに、嘆き加はる、

    筝の音ぞする          良岑宗貞

【「わび」の人が住んでいる家なのだろうなあと見ていると、それに併せて、嘆きを加えるように琴の音がすることだよ。】


988 逢坂の、嵐の風は、寒けれど、行方知らねば、わびつつぞ寝る

【関所で名高い逢坂に吹き荒れる嵐の風は寒いけれど、風の行方も知らないし、私自身のこれからの行き先も分からないので、私は「わび」という状態のまま、この寒い逢坂に宿をとるしかない。】


937962は、同工。都でない周縁の地にある(追いやられた)作者が、中心地の者へ、私は「わび」の状態にある、と訴えるもの。中心地への憧れ、羨望、戻りたい願望というものが見え隠れする。追いやられたとかっこ書きで補足したが、本人の主体ではなく、受け身としての現在の境遇である。

985は、詞書に「奈良へまかりける時に、荒れたる家に」云々とある。ここでも、旧都平城という、都から離れた地である。

938は、わぶという現状からの逃避を願うもの。しかし、ここでは、自ら変革せんとする強い意志は認められない。あくまでも他人任せで、受身的に変化を望むものである。

「わび・わぶ」を、言い換える言葉、類似概念として、「はれぬ(気持ちがはれない)」「うき(憂き)」「しほたれ(悲嘆に沈む)」「なげき」が和歌の中に、詞書に「荒れたる」が、見出せる。

辞書を引くと、「わぶ」はバ行上二段活用動詞とある。しかし、私としては、「わび」の状態になってしまったことから来る動作(辞書では「気落ちする」「困惑する」「辛いと思う」「落ちぶれる」)であるので、上記のように訳し考察した。


以上の5首をみて、気付いたことは、

1)4首が作者自身の内面の気分であること。

2)4首が、都以外の場所での歌であること。

3)この言葉は、全て人や人の気分に関する言葉で、物に対して形容する使い方をしていないこと。


わびは、行為そのものではなく、受動的気分である。動作ではなく状態である。そのため、わびへ向かう主体的行為ということは不可能のようである。状態として、深まるということはある。それも受動的に感じていくものである。

わびという状態を変えるには環境を変えることしかないようである。それは、移動を伴う。2首はその例であり、特に988は逢坂の関という交通の要衝にいること自体が、移動を示している。逢坂に来てわび状態に陥ったのではなく、わびの状態にあったのでさ迷っているうちに逢坂にたどり着き未だわびから脱せずにいる、ということであろう。

推測するに、この2例とも、とても移動結果によって「わび」状態から脱せるとは思えない。938は、詞書では「三河の国のナンバー3に任命され赴任する文屋康秀から、一緒に行かないかと誘われた、返事」とあるが、937に国守として赴任した小野貞樹の例が示すとおりだ。


以上、ふと開いた古今和歌集にその語を見つけて、考えてみた。勿論例によっての斜め読みなので、見落としはあると思う。

お茶の世界の「わび」という言葉の理解が難しく、以前から気になっていた。但し今回は、お茶のことは全く考えないようにして、古今集の世界でのみ考えるように努めた。逆に、ここでのわびを考える上では、茶の湯の侘びをイメージすることは百害あって一利なしと感じた。いつの日にか、「わび」概念の変遷をたどり茶の湯の侘びとの比較が出来れば楽しい。




# by tamon1765 | 2023-02-14 19:20 | 茶つながりで、の雑談 | Trackback | Comments(0)