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女優の田中道子さんが女優業のかたわら試験勉強をし一級建築士 試験合格を勝ち取ったという。とても素晴らしいことで、自分 にはとても及びもつかないことで、尊敬に値する。
しかしながら、その記事を見ると、どうも違和感ばかり覚えて しまう。(ネットの女性自身の記事) 具体的に引用すると、彼女は、 「食事で時間をつぶすのが人生で1番非効率だなと思っている」 「食事を作るのが時間の無駄。1時間かけて作って、食べるの 5分じゃないですか? もう1年くらい自炊もしてないですし、 1週間のうち半分以上はカップラーメンです」 「家事をする時間も無駄だ」と感じており、洗濯量を減らす ために部屋着を着ずに過ごしているといいます ということだ。
さて、アクティブな生き方で輝いている友人がいた。 しかし、私は或る時、「この人は人生を楽しんでいるかもしれ ないが、生活を楽しんでいない」と気付き、何かが分かった ような気がした。 そして、田中さんも、私にはその友人と同じに見える。
「食事で時間をつぶすのが人生で1番非効率」「食事を作るの が時間の無駄」という人にお茶はやれない。 お茶を楽しむということは、生活を楽しみ味わい慈しむと いうことではないだろうか。
彼女に対して、老婆心ながらお伝えしたい。 まず、体は大丈夫なのかという疑問。病気になってからでは 遅すぎる、週半分はカップ麺はひどすぎる、もっと自分の 身体を大切にしてほしい。 次に、このような生活様式の方、「家事をする時間も無駄だ」 とする方が、どのような家を設計するのだろうかという疑問。 台所の設計を依頼されて大丈夫なのか。日々の生活を大切に してほしい。 本当に余計なお世話で御免下さい、ではある。
建築士に限らず工芸作家に限らず、全ては日々の生活に立脚 したものでないと、説得力もなく、弱い不安定なもの、無駄 なもので終わってしまうのだろうと思う。
以上が私の感じたことである。 以下は、何か違っているよね~と感じる愚痴(ボヤキ?) 適当にパスしてください。
生活という面から言うと、例えば、安藤忠雄の住吉の長屋は、 彼を一躍有名にした伝説の建物であるが、隣の部屋へ行くの に傘を差さないと濡れてしまうという、私から見るとマンガ であった。 (しかし、施主はそれでも気に入っていたというから、私の 言葉は関係ない者からの余計な言いがかりかもしれない)
また、私の知る会社のトイレの洗面は洒落たデザインのつもり なのか知らぬが、蛇口と水を受ける部分(つまり壁)の間が 5cm程度しかない。 だから、指の第一関節を濡らす程度であり、手のひら全体を 洗うことが出来ない。(日本の有名メーカーの製品である。) そのメーカーの人は、手を洗わないのだろうか? 私は、そこではわざわざ別の蛇口まで行き、手を洗う。 これについては、別の考えもあって、悪いのはメーカー ではなく、それを採用した施工業者?設計士(ナントここ でも建築士設計士である!)?施主? 誰も採用しなければ生産中止に追い込まれている筈。 いづれにせよ、生活者・利用者の視点が欠けている。
お茶道具に関して言うと、私には「これのどこがお茶道具 なの!」というものが存在する。 私の今は亡き先生も、はっきりものをいう方だったので、 「**さん(作家名)のは、現代アートだから、(お茶道具 として)使い物になりませんね」と仰っていた。 確かに、お点前した事あるのだろうかと疑問の生じるよう な作品であった。
<R5.1.23>文意を変えずに加筆変更 #
by tamon1765
| 2023-01-13 23:32
| 雑談
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あるお宮さんへお詣りをした。 高台に鎮座ましますお宮さんで、登るのも久々だ。 富士山を目にすることの出来るお宮さんである。 ついつい、富士山来たかい?という言葉を思い出した。 いや、正しくは「不自讃毀他戒」。 意味あいは、「自己評価ばかり高くすることをやめ、他を悪く 言うことを戒める」というようなことと思う。 実は職場の自分の席のパソコンのフレームに貼って毎日眺め ている言葉なのだが、私はまさにこの戒めが必要な輩のよう である。 今年こそ、この戒めを肝に銘ずるようにしたいものだ。 ![]() 木の股の間から富士山を望む図としかたったのだが、山頂に 横雲がかかり分かりづらくなった写真。 ところで、首都圏にいると富士山は割と目に出来る。 それでも、就職後に、新幹線で関西に向かった時の三島あたり からの富士山には、感動した記憶が未だに生々しい。 どんなに感動したことか。 日本人で富士山の画像を目にしたことのない方はおられない と思うが、是非多くの方が実際に目にされることを願っている。 富士山を拝んでいたら何年も忘れていたことが、突然蘇った。 小学校のバス旅行で、美しヶ原?へ行った時、担任の丸山先生 が「富士山が見えるゾ!」と指さして教えてくれた。 皆、「ホントだ」と喜んでいたが、薄く霞んでいて、私には どうしても見えず、悲しかった。 見えないとはっきり宣言する子もいなかったが、見えない ものを見えたと嘘をつくのも嫌なので、「見えていいなあ、 分んないや。」と話したことを思い出した。 それでよかったんだ、と思う。 #
by tamon1765
| 2023-01-05 22:17
| 仏様の話し
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この記事は、職場で話すとセクハラで訴えられる内容です。 好まぬ方は、読まずに通過してください。
「あなたの日本舞踊、一巻」(学研、2003)を眺めていたら、 驚きの記述がありましたので、その件で。 この曲には、「あさよるたびのたのしみを」という一節が ありますが、一般には、「麻を撚る」と解釈されています。 麻を撚って紐を作ることが何で楽しいのかな?とつい ツッコミを入れたくなる一節ではあります。 一方、上記の本では、注に「閨の楽しみをそれとなく示した 懸け言葉」と述べられています。 言い換えますと「朝夜度の楽しみ」。つまりそういうことです。 私も友人とはこれまで、そういう意味だよね、とお喋りして いましたが、寡聞にして記述では初めて目にしました。 この本は、責任編集和角仁、執筆協力村尚也とあります(p8) が、どなたの執筆かな? それにしても、宗十郎丈が懐かしいです。 そして、型を決めている青年舞踊家は誰かな?と思ったら、 坂東鼓登治さん!若いです。最初分らなかった。 ゴメンナサイ、尾上菊紫郎さんは私馴染み薄くて。
その後、本を幾つかひっくり返してみました。 後日報告します。 #
by tamon1765
| 2023-01-04 18:17
| 舞台の話
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阿藤泊海アトウハクミ(明治27=1894~昭和40=1965)
「芭蕉、杜甫を好み、利休より遠州を好み、入明当時の 雪舟を好み、フランス画風の輸入された当初の洋画を好 み、天台の檀家でありながら奈良の古い六宗を、つまり 大乗より小乗を愛したのは、すべて初初しさ純朴さに 傾倒したからである」
以上は、阿藤先生追悼文で、旧制一高での同僚である 佐藤得二氏によるものです(お二人とも、一高教授を 歴任)。
私としては、「利休より遠州を」という一節に立ち止ま りました。これからゆっくり時間をかけて考え、また 感じてみたい課題であります。 また、大胆な類推としては、「大乗→利休、小乗→遠州」 という図式が成り立つわけです(少なくとも、佐藤の 頭の中では)。興味深い示唆です。
以上は、清岡卓行『詩禮傳家』(文藝春秋、S50)p41。 私は清岡の芥川賞受賞作やこの作品が好きなので、つい 思い入れから、阿藤氏を先生と呼びたくなります。
一方、佐藤得二氏は、S38「女のいくさ」で直木賞 受賞。私は、未読です。この方は仏教学者(その著作 「仏教の日本的展開」も良い本らしい)と言います から、上記の大乗小乗に言及したのも奥深いものが あるのでしょう。 <R5.1.21、2.3>内容を変えずに、一部言葉遣いを変更。
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by tamon1765
| 2023-01-02 20:21
| 茶つながりで、の雑談
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早速ですが、年々悲しいことに賀状の数が減っています。 更には、今年を以て賀状を取りやめますとの挨拶もあり ました。 さて、足利家10代将軍義稙ヨシタネを知り、大好きになり ました。銀閣で有名な8代義政の弟、義視の子です。 応仁の乱で兄弟仲違いし、敗れた義視親子は岐阜に逃れ暮ら します。 処が、義政の跡継9代義尚の死により、なんとビックリ! 義稙は10代将軍に就任する(25歳)のです。棚ボタ? 処が、これ又何てこと! 河内征伐で京を留守にした隙に、クーデターにより将軍の座を 追われてしまいます(明応の政変。28歳)。在位は僅か2年半。 だが、ここからが凄い。 幽閉先から脱出し、再興を期しますが失敗。周防国に逃れます。 そして、43歳ついにその時が。 大内氏の船団と共に京に上り将軍に復位。明応の政変から 苦節15年です。 これを不屈の魂と呼ばずして、なんとしよう。
私も今年は(今年からは?)、この不屈の気持ちでやって いきたいですね。
余談ながら、この義稙さん、最晩年にとんだことに。 実は再度将軍職から追われてしまうのです……(涙)。
本年もご指導の程よろしくお願いいたします。 令和五年癸卯(水の弟、う)キボウ #
by tamon1765
| 2023-01-01 22:42
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