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上田宗箇作 「敵がくれ」

上田宗箇さんに、「敵がくれ」というお茶杓がある。
これは、大阪夏の陣の際、泉州樫井の戦さの最中、
迫り来る敵軍を待ちながら、眼の前の竹薮から竹を
切り出し、悠然と二本削ったというのだから、
すてきな話しだ。

ホンマカイナ? じゃあ、その時、櫂先はどうやって
曲げたの? などと、問う勿れ。
話としては、その豪胆な心意気を味わえばいい。

私は、この茶杓は、以前銀座の松屋デパート?三越?
の上田宗箇展で、拝見した。 (毎度毎度の10年前、
20年前に……との言い草に、我ことながら苦笑)

ぶっきらぼうで、美的とかナントカとかいう代物では
なかったように覚えている。
しかし、これがあの……..と強い印象はある。
期待が大きかっただけに、記憶にとどまっている。

とすると、お茶杓(に限らず、茶道具というものは)
故事来歴、由緒によるものなのか、と言う気持ちが
頭の中をよぎってくる。
ゆっくり考えることにしよう。

上田宗箇作 「敵がくれ」_e0024736_0533418.jpg









戦さの最中のお茶杓削りから連想されるのは、
関東大震災の折の話しだ。
あるお茶人さん?経済人?が、削っていたのか、お茶事
の最中にかに、地震。
この大地震の「スワッ、逃げろ!」という時に、目の前の
お茶杓を条件反射で懐に入れて、逃げたという。
避難先の財閥の大物?が言う、「君らのようなお茶人は、
こういう時にこそ、あわてふかめずに、静かにお茶杓を
削るべし」と。
すると、件のお茶人「その茶杓は、ホレ、このとおり」
と胸(着物なのでしょう)から取り出した。
というお話し。
果たして、誰だったのやら。


<24.2.22> 追記
敵がくれの写真を追加。引用元は、ひろしま文庫2の
上田宗嗣著「茶道上田宗箇流」(昭和59.11.1)p63から。
Commented by 夢庵 at 2008-11-15 22:02 x
調べてみました。
我が家にも図録がございました。
日本橋三越で平成12年(2000年)に開催されております。
解説には「二本とも平時の宗箇の茶杓と異なり、櫂先もゆるやかで
平たい作りとなっているが二重折撓めである。」とあります。
Commented by tamon1765 at 2008-11-15 23:39
こんばんは 
ああ、いいですね。図録をお持ちですか、是非今度見せて
いただきたいです。
by tamon1765 | 2008-11-13 12:53 | 茶杓 | Trackback | Comments(2)

お茶、その他についての、極く私的なブログ


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