上田宗箇作 「敵がくれ」
2008年 11月 13日
上田宗箇さんに、「敵がくれ」というお茶杓がある。
これは、大阪夏の陣の際、泉州樫井の戦さの最中、
迫り来る敵軍を待ちながら、眼の前の竹薮から竹を
切り出し、悠然と二本削ったというのだから、
すてきな話しだ。
ホンマカイナ? じゃあ、その時、櫂先はどうやって
曲げたの? などと、問う勿れ。
話としては、その豪胆な心意気を味わえばいい。
私は、この茶杓は、以前銀座の松屋デパート?三越?
の上田宗箇展で、拝見した。 (毎度毎度の10年前、
20年前に……との言い草に、我ことながら苦笑)
ぶっきらぼうで、美的とかナントカとかいう代物では
なかったように覚えている。
しかし、これがあの……..と強い印象はある。
期待が大きかっただけに、記憶にとどまっている。
とすると、お茶杓(に限らず、茶道具というものは)
故事来歴、由緒によるものなのか、と言う気持ちが
頭の中をよぎってくる。
ゆっくり考えることにしよう。
戦さの最中のお茶杓削りから連想されるのは、
関東大震災の折の話しだ。
あるお茶人さん?経済人?が、削っていたのか、お茶事
の最中にかに、地震。
この大地震の「スワッ、逃げろ!」という時に、目の前の
お茶杓を条件反射で懐に入れて、逃げたという。
避難先の財閥の大物?が言う、「君らのようなお茶人は、
こういう時にこそ、あわてふかめずに、静かにお茶杓を
削るべし」と。
すると、件のお茶人「その茶杓は、ホレ、このとおり」
と胸(着物なのでしょう)から取り出した。
というお話し。
果たして、誰だったのやら。
<24.2.22> 追記
敵がくれの写真を追加。引用元は、ひろしま文庫2の
上田宗嗣著「茶道上田宗箇流」(昭和59.11.1)p63から。
これは、大阪夏の陣の際、泉州樫井の戦さの最中、
迫り来る敵軍を待ちながら、眼の前の竹薮から竹を
切り出し、悠然と二本削ったというのだから、
すてきな話しだ。
ホンマカイナ? じゃあ、その時、櫂先はどうやって
曲げたの? などと、問う勿れ。
話としては、その豪胆な心意気を味わえばいい。
私は、この茶杓は、以前銀座の松屋デパート?三越?
の上田宗箇展で、拝見した。 (毎度毎度の10年前、
20年前に……との言い草に、我ことながら苦笑)
ぶっきらぼうで、美的とかナントカとかいう代物では
なかったように覚えている。
しかし、これがあの……..と強い印象はある。
期待が大きかっただけに、記憶にとどまっている。
とすると、お茶杓(に限らず、茶道具というものは)
故事来歴、由緒によるものなのか、と言う気持ちが
頭の中をよぎってくる。
ゆっくり考えることにしよう。
戦さの最中のお茶杓削りから連想されるのは、
関東大震災の折の話しだ。
あるお茶人さん?経済人?が、削っていたのか、お茶事
の最中にかに、地震。
この大地震の「スワッ、逃げろ!」という時に、目の前の
お茶杓を条件反射で懐に入れて、逃げたという。
避難先の財閥の大物?が言う、「君らのようなお茶人は、
こういう時にこそ、あわてふかめずに、静かにお茶杓を
削るべし」と。
すると、件のお茶人「その茶杓は、ホレ、このとおり」
と胸(着物なのでしょう)から取り出した。
というお話し。
果たして、誰だったのやら。
<24.2.22> 追記
敵がくれの写真を追加。引用元は、ひろしま文庫2の
上田宗嗣著「茶道上田宗箇流」(昭和59.11.1)p63から。
by tamon1765
| 2008-11-13 12:53
| 茶杓
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