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「和泉草」から
世話に言葉多きは品少なしと云、過ぎたるは不及にしかず
と云う尤もの儀なり。人間の諸芸揃て持つは、その人の 嗜みなり、そのうち世間の用に立つ一芸にても勝れたるを 持つべし。 何でしょう、理解できないです。 上記は、石州流の「和泉草」の 廿四 茶湯ニ用ル絵ノ極意廿一ヶ条 の内の一条ですが、この二つの文のつながりが全く理解できず 困っているところです。 後からの挿入句、或いは筆写の段階の書き加えでしょうか。
by tamon1765
| 2008-08-31 08:10
| 片桐石州さん
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Comments(3)
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こんばんは。おっしゃるように、難しいと思いました。何か抜けているのか。いくつか写本があれば比較できるのですけれど。
前文の「と云う<B>尤も</B>の儀なり」は「と云う<B>も尤</B>の儀なり」が正しい形だとしたら、「されど」で後文につながらないこともない気がします。それでも「世間の用に立つ一芸にても~」の落ち着きどころがないようですし…… むずかしい。
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人として、一通り諸芸を嗜むのは良いことだ(が)、その全部を極めようとするのは欲が過ぎて見苦しい。 その内の一芸で人様の役に立つ位が品がよろし… そんな風に読みましたが、古文法的におかしいでしょうか?
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