落ち葉
2007年 12月 04日
惣じて露地の掃除は、朝の客ならば宵にはかせ、
昼ならば朝、その後は落ち葉のつもるも、その
まま掃かぬが功者也 (茶話指月集)
「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と
言ってその茶人はしかった。そう言って利休は庭におり立ち
一樹を揺すって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を
散りしかせた。(「茶の本」第四章茶室、村岡博訳)
以前から、この、「庭掃除で落葉を全部取り払ったのが、美的でない
からと、また葉を散らす」という話の原典を探そうと思っていました。
話が脇にそれますが、「茶の本」で訳者名を明記したのは、
面白いことがあるからです。
直接上記には引用しませんでしたが、村岡訳では、ばか者と叱られ
るのは、紹安。
そして、宮川寅雄訳では、「愚か者め」と叱られるのは少庵なのです。
今家の片づけが悪くて、森才子訳の本は見出せませんし、買って目
にするのがとても楽しみな本・大久保喬樹先生がどう訳しているか、
興味深いです。
と、それはさておき、紹安はのちに道安と名を変える利休の実子。
少庵は、ご存知のとおり、利休の再婚相手宗恩の連れ子(つまり血の
つながりはありません)、そして利休の娘亀と結婚。
つまりこの家庭は、親子がそれぞれ結婚(親同士、子同士)という器用な
ことをやってのけた興味深い例です。
と、また脇にそれましたが、
紹安(せうあん)、少庵(せうあん)と平仮名書きでは同じということで、
大きな混乱を招きました。村井康彦先生の著作が物語っているとおりです。
訳者は、何を見何を根拠に訳しているのか興味の湧くところです。
<19.12.5>加筆。
<20.1.7>大久保喬樹先生訳では、少庵でした。本日、本屋で立ち読みしました。
<20.1.27>森才子訳も、少庵でした。
<20.6.1>杉本捷雄氏の推測によると、
少庵とお亀(ちやう?)の結婚(子同士):天正4または5年
利休と宗恩の結婚(親同士):天正6年
<20.6.27>道安の名前訂正(道庵となっていました)
<21.12.18>今読み直しますと、矛盾がありました。杉本捷雄氏が正しいとすると、
「少庵は、利休の再婚相手宗恩の連れ子」はおかしいです。
「利休が再婚した宗恩は、利休の娘婿の母親」と書くべきですね。
<24.3.12>岡倉一雄編の天心の全集を見かけました。
聖文社、昭和13年2月発行。
岡倉一雄・渡辺正知訳では、紹安(つまり道安)でした。
<24.7.1>大久保喬樹先生訳購入。
<R4.2.15>類似の話として「茶窓閑話37話」にリンクを貼りました。
<R5.3.2>田中秀隆訳では、少庵でした(淡交社p86)。
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at 2007-12-05 07:23
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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夢庵
at 2007-12-05 08:18
x
休みには狭い庭ですが・・・・
落ち葉を拾います。
風に任せていると落ち葉が一杯になることも。
また家の前の道もきれいにするのは気持ちの良いもの。
落ち葉を拾います。
風に任せていると落ち葉が一杯になることも。
また家の前の道もきれいにするのは気持ちの良いもの。
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tamon1765 at 2007-12-05 23:07
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夢庵
at 2007-12-06 08:51
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狭くても、ゼニコケ取りは結構大変です。すぐにはびこってきます。
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tamon1765 at 2007-12-08 15:15
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at 2008-01-26 21:44
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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tamon1765 at 2008-01-27 16:16
非公開コメントの**さん
ありがとうございます。
この写真は、近所のお寺さんへ朝6時ごろ行って撮ってきました。
だから、人間の手は一切加えられていないはずです。
茶の本については、自分の考えをまとめたいと思いながら、
ウン十年です。
どうぞ、レポート頑張ってくださいね。
ありがとうございます。
この写真は、近所のお寺さんへ朝6時ごろ行って撮ってきました。
だから、人間の手は一切加えられていないはずです。
茶の本については、自分の考えをまとめたいと思いながら、
ウン十年です。
どうぞ、レポート頑張ってくださいね。
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at 2008-06-01 09:15
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by tamon1765
| 2007-12-04 02:09
| 天心岡倉覚三さん
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Comments(8)