訶梨勒
2007年 11月 18日
ここでは、二階の文房四宝を見るのが楽しみである。
そして、奥のショウウィンドウに暫し見とれた。
そこにあったのは、
★訶梨勒(カリロク)
もうそんな季節(お正月)なのか、と思いながら、
「で、この正体って一体何だっけ? まあ、おめでたい
ものなのだろうけど」といった程度の理解なので、
解説をよく読んできた。
本当はインドの喬木の名。果実は、薬用で、水毒を解く
という。そんなことからか、邪気払いになるそうだ。
その乾果や、その形をかたどった象牙・銅・石の摸製
を柱飾りにした。
家に帰って、辞書を引いて漸く納得。
後世は、錦の袋に(その果を)入れて、色緒で飾って、
茶席に床柱にかけた、とある。
つまり、今私が見ているのは、中身があるかは知らぬ、
しかしその邪気払いになる訶梨勒の実が入っているで
あろう飾り袋をそれに見立てて楽しんでいるのだ。
東山山荘の柱飾りにされたと言うので、同仁斉の
あの柱に掛けられたのか、と想像するのも楽しい。
そして、
★伽羅
これが又程の良い、中国水墨画の景色を思わせる
ような木の塊なのだが、210gで210万円。
つまり、1g1万円。
★沈香
740g592万円、ということは、1g8000円。
どちらも、全くご縁のないもので、笑ってしまった。
それにしても、一緒に置いておいて香りが混ざって
しまわないのかしら。
<24.10.30追記>訶梨勒の写真追加
この写真が、鳩居堂に飾られていたものではありません。
この写真、以前にネットでとったものです。出典分からずです。
著作権違反ならぬことを祈るばかりです。
<20.2.11追記>
森田文康氏によると、今昔物語巻第二、二十に、訶梨勒を
服して「頭の病癒ぬ」との例があり、また、正倉院文書天平宝字
五年にも記述があるという。
754年鑑真和上来朝、天平宝字五年は761年。和上が将来したと
いう伝承も頷ける。
<20.6.16追記>
西村享氏によると、
五月五日の節句以前に、薬狩り---この狩りは紅葉狩り、桜狩り、
あやめ狩りなどと同じである---を行う。
そして、あやめやよもぎを入れ添えた薬玉(くすだま)を作る。
これらの強い香りが邪気を払うと考えられた。菖蒲湯、あやめ
を軒に葺くこと、あやめ蔓、あやめの挿櫛、葵祭りにおける
あやめの使われ方、皆同じものと考えられる。
この薬玉は糸所(縫殿の別所)で作られ、宮中の貴人の居処
近くに下げられた。
なかは麝香や沈香など、香料である。
枕草子37段、78段参照。
訶梨勒も、以上の流れの中にあるものであろう。
端午の節句のものが、何時しか歳旦ものになったのであろう。
その変化は、今後の課題である。
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by
夢庵
at 2007-11-20 08:48
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いつも勉強になります。
私もネットで検索したら、こんなブログを発見しました。
http://yagimanami.at.webry.info/200601/article_12.html
私もネットで検索したら、こんなブログを発見しました。
http://yagimanami.at.webry.info/200601/article_12.html
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Commented
at 2008-06-16 23:52
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by tamon1765
| 2007-11-18 13:10
| お道具とお茶室
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Comments(2)