川上宗順のお弟子さん
2001年 08月 18日
『川上不白茶中茶外』を見ますと、
川上宗順の弟子の代表として、
馬越恭平、益田鈍翁、藤原暁雲、山下かめ、野崎幻庵、
藤田岡県の6人の名が記されています。
川上宗順さんについての記述を捜すために、
・藤原銀次郎『私のお茶』s33講談社、
・藤原銀次郎『思い出の人々』s25ダイヤモンド社
をひっくり返してみました。
さて、暁雲藤原銀次郎の本には、
・私のお茶の先達は、...益田鈍翁だ。
・(自分は、益田鈍翁の)不肖の弟子
・本格的な稽古などする時間もなく、又してみようと
いふ気もなかなかに出なかった。
ただ一度だけ京都出張のみぎり、裏千家の家元について、
わずか一週間たらずの指南を受けたことがある。
以上の記述は見出せましたが、藤原自身は川上宗順について
言及していません。
また、『自叙益田孝翁伝』にも、川上宗順さんに関する記述
は見出せませんでした。
教えた側と教わった側にズレがあるというのは、寂しい
ことです。
川上宗順の弟子の代表として、
馬越恭平、益田鈍翁、藤原暁雲、山下かめ、野崎幻庵、
藤田岡県の6人の名が記されています。
川上宗順さんについての記述を捜すために、
・藤原銀次郎『私のお茶』s33講談社、
・藤原銀次郎『思い出の人々』s25ダイヤモンド社
をひっくり返してみました。
さて、暁雲藤原銀次郎の本には、
・私のお茶の先達は、...益田鈍翁だ。
・(自分は、益田鈍翁の)不肖の弟子
・本格的な稽古などする時間もなく、又してみようと
いふ気もなかなかに出なかった。
ただ一度だけ京都出張のみぎり、裏千家の家元について、
わずか一週間たらずの指南を受けたことがある。
以上の記述は見出せましたが、藤原自身は川上宗順について
言及していません。
また、『自叙益田孝翁伝』にも、川上宗順さんに関する記述
は見出せませんでした。
教えた側と教わった側にズレがあるというのは、寂しい
ことです。
by tamon1765
| 2001-08-18 12:57
| 明治期以降の茶人
|
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