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川上宗順さん


 昔の東京では不白流が盛んで、偉い先生がいたというお話しです。
その方の名は、川上宗順です。

 林左馬衛先生の本 『 茶道史の散歩道 』 を開いてみました。
その本には、宮崎晃蓮さんの言葉で、
  「(明治・大正時代の東都では、)宗偏流も遠州流もありましたが、
   不白流ほどお盛んではありませんでした。」(偏はぎょうにんべん)
とあり、林先生自身 「お茶の先生では、浜町のほかに、どんな方
がたがきこえておられたのですか。」 と質問されています。
 つまり、浜町さん(不白流の川上宗順) を当時の有力な茶の宗匠と
見なしているということになります。
そして、その弟子として、「馬越恭平、三井さん、益田さん」 が挙げ
られています。
三井誰か?、益田兄弟のうちの誰か?は今後の課題にするとして、
近代のお茶を担った、大物ばかりではないですか!

さて、『 馬越恭平翁伝 』(昭和10年発行)を見ると、川上宗順を
ちゃんと自分の先生として遇し記載しています。曰く、
 ・当時東都茶界に指導的大勢力を有していた川上宗順宗匠が、旧習に
  泥んで容易に名器を使用する事を許さず、門人中に名物茶器を購入
  せんとする者あれば頻りにこれを諫止した。(p339)
 ・江戸千家流にして一種の見識を持し、茶礼の教授方が極めて厳格で
  あった。(p346)

  ちなみに、林先生の本の中で、宮崎晃蓮は川上宗順を
 ・人が立派な方で、九州と四国にも流儀をひろめられ、遺跡がいくつも
  残っています。(p147)

これらの話しから、見識を有し、弟子から慕われる宗順先生、単なる
道具茶の実践を許さない方のようです。
偉い方だったのでしょう。

ところで、私と流儀違いとはいえ、お名前を現在ではあまり伺うことが
無いのがちょと寂しい気がします。



by tamon1765 | 2001-08-17 03:24 | 明治期以降の茶人 | Trackback | Comments(0)

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