松平定信「茶事掟」
2017年 05月 11日
はなはだ面白い文書です。
私には、定信と言えば、子供の頃覚えた「一人縄なう松平定信」
のイメージです。老中として、ケチケチ政治、いや、失礼。
幕府財政立て直しのため、緊縮政策の人(但し、失敗)。
ということで、老中自ら足の親指人差し指に藁を挟み、一人
黙々と縄をなう人。
*
はて、何ですか? って?。
一人縄なう松平定信。
「ひとり1な7わ8な7う」で、1787寛政の改革です。
閑話休題。
定信公の本文を引用すると、
・わがほどを守りて、奢りたるものなど玩ぶまじき
・わざとひなぶれたるも、その分限にはあらざるべし
・そのほどをこそよくこうがえ侍るべき
・只その分限をしりて本末を弁え
・よくその程々を守るこそいみじけれ
・分外の物数寄をなすぞ、本意に背けし
とあり、自分の分を守りなさい、にその主張は尽きます。
茶道具に、むだなお金を費やすな!とも。
身分社会のなせる発言とみる向きもあるかもしれませんが、
私としては、常識的なことであり、私の今の生活信条と
一致します。
外に引用すると、
・くまぐま心を尽くし
・くさぐさ心を尽くすべき
好ましい表現です。なかなかいい感じの人であったかも。
*
さて、笑ったのが、千家の七種蓋置の三ツ人形に対して、
「人の形あるものの上へ、熱くなった釜の蓋を、自分は
熱いものだから帛紗を使って取りながら、その子供の頭
の上へ置こうというのは、心無い人の仕業だ。
あるいは、亀の形をした香合の蓋を取ると、甲羅のみ
離れて、頭も手足も身の方に残るのが、生き物の姿と
かけ離れて、殺風景でおぞましい。」(私の超訳)と。
私自身、唐子というモチーフが好きで、七種蓋置のなかで
唯一求めたものなので、笑みがこぼれてしまう。
亀の香合については、これは謂われなきイチャモンかな。
ではどの部位が蓋に付随すれば満足ですか、と定信公に
伺いたいですよ。デザイン作品は、そういうものでしょう。
*
また、本文末にも正論を吐いてます。曰く
「利休なども、自ら切った竹の花活けに、自分で削った茶杓を
使った。これこそ風流が一段と優ったものだ。
利休の作った花入れを使うよりも、自ら竹を切って出した方が、
かえって利休の心にもかなっている。
大金を出して古い道具を求めることは、その本意に背いている
ことは、言うまでもない。」(私の超訳)
*
さて、最後に、今後の宿題として、楽しみな一節。
「いまにては千々のこがねを出してふるき品をとかい求むるは、
かの妖物の戒めおそるべし」
かの妖怪とは、何?誰?