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鈍翁さんの、お茶の作法に関する考え

「お茶の作法なんていうものは、せいぜい、

徳川初期あたりにできたものだから、そんな

定めにしたがう必要はない。定めにしたがわ

なくてもお茶はたてられる」

桑田忠親による、鈍翁の言葉です。

但し、「こんな言葉があります」と書いています

ので、直接本人からの言葉かどうか不明です。

二人の出会いはあったか考えてみると、

鈍翁益田孝(184811月 ~ 193812月)

桑田忠親(190211月 ~ 19875月)

鈍翁が亡くなる時は、桑田は36歳。なんとも微妙ですね。

桑田が歴史学者として名を成すのは、もっと後で

しょうから、ここでは直接の聞き取りではなく伝聞

あるいは書き残したものからの引用ということに

しておきましょう。


また、桑田は、「(鈍翁は、)自分勝手に、融通無碍、
自由
自在なお茶をやったらしいです。」とも書いています。

まあ、私が思うに、この時代のこれら大物は精神の

自由人でしょうから、冒頭の発言も頷なるかな、です。


さて、過去に鈍翁が、お茶事を行うにお手伝いを頼んだ

という記事を書きました。有名な料理人を連れてこない

ところがいいですね。


R5.8.29>追記

桑田忠親は、松永耳庵の柳瀬山荘に一時身を寄せていたはずなので、

鈍翁と耳庵の交流を考えると、当然会っていたと推測し得る。

ただし、時期的に合うかどうかの話だ。もし、その時期も合ったとして、

耳庵のお供を常にしているわけではないだろうが、鈍翁が柳瀬山荘に赴く

ことがあれば、接することは自然であろう。

今後気にすることは、「桑田の柳瀬山荘滞在期間」「鈍翁と耳庵の同席記録」。

なお、柳瀬山荘は、現在東博の持ち物(寄贈の為)で、黄林閣は重要文化財(

埼玉県所沢市)ではあるが、私の行った道は狭くて私には一苦労であった。




Commented at 2015-06-10 14:32
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by tamon1765 | 2015-06-05 14:17 | 明治期以降の茶人 | Trackback | Comments(1)

お茶、その他についての、極く私的なブログ


by tamon