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学生時代から好きな言葉
「孔子さえ迷う恋の山」 よく、ステキな異性と出会うと自分ひとりで つぶやいていたものだったナア。 有名な言葉なのかな、慣用句かな、と思いながら。 出所は、巨匠石川淳の小説から。 すると、今朝、秋成 「蛇性の淫」 を眺めていたら、 「孔子さへ倒るる恋の山」 とあるではないですか。 いやあ、愉快。愉快。 やはり、ひとつの慣用句なのでしょうね。 今回もお茶に関係ない噺になってしまいました。
by tamon1765
| 2010-01-26 23:00
| ことば
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Comments(4)
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>お茶に関係ない噺
いえいえ、利休道歌にも 何にても置き付けかへる手離れは恋しき人にわかるヽと知れ とあるぢゃないですか。 恋する心がないとお茶もわからないってわけ…!
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内緒のコメント様
ありがとうございます! そうですね、そんな●●ありましたね。 そう、掴む瞬間や手離れの瞬間は、如何にきれいに見せるか、 不自然にならないようにするか、気を遣いますね。 そう意識すること自体が自然じゃないなあと、反省しきりですけど。
<再コメントします。肝心の呉音と漢音が間違っていました。訂正しお詫び致します。>
漢字は南方からの伝来により、呉音での発音(クジ)であったものが、平安時代に漢音の使用が朝廷から奨励された。 それでも、孔子は江戸期まで、クジであったものが、明治期から漢音(コウシ)に読み替えられてしまった。というわけであった。 平安期の政策(呉音から漢音への読み替え)にもかかわらず、仏教の盛んな平安期の事、儒教はその変化に関わらなかったため呉音で生き延びたのであろう。 さらに言えば、既に呉音で定着していたので変更が難しかったからであろう。考えてみれば、この時期に将来された空海さんの真言宗あたりが漢音だが、奈良仏教は(後、南宋から伝わった禅宗系も)呉音である。 なお、源氏物語にも「恋の山にはくしのたふれ」とあるそうだ。今の私には、その出典を探すのは無理ではある。「胡蝶」の巻にあるらしい。 高島俊男『明治タレント教授』p275文春文庫
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