大津絵が好きなので、東京の八王子市立夢美術館に行ってきました。
今回、洋画家の小糸源太郎氏のコレクションと共に、国文学者の信太純一氏の志水文庫(神戸女子大学古典芸能研究センター)のコレクション等の展示です。
とにかく、おおらかさと滑稽な楽しさ(実は私には風刺と言った皮肉な感想は生じない)が大好きで、楽しんできました。
さらに、道歌があると、つい何と書いてあるか、気になります。
今回特に3点が気になって読んでみました。図らずも、女難に酒に気を付けろという教えでした。
狐女 <腰かけて三味線を弾いている女性の着物の裾から狐のしっぽが出ています>
・おやまとも流れの身とも云うからに、人を褒めたり、またのぼせたり
(おやまは、歌舞伎の女形ではなく、芸者のこと)
・目は酒に耳は優しき三味の手に、うかうか乗つて化かされぞする
・うかつけばいろのまつねにつままれて、あとでこんくわいすれど還らず
(こんくわいは狐のこと、狐の鳴き声コーンからか。後悔との掛詞)
(上の句は不明。「気が付けば色の待つ音に摘ままれて」?)
・気も知らで、顔に****嫁とりて、後に悔やむぞ、はかなかりける
(**部分を書き留め漏らし。引かれてとか騙されといった意味がはまります)
以上、まさに、女難に注意という教え。
鬼の三味線 <鬼が三味線を弾き、盃と徳利があります。>
・目は酒に、耳は優しき三味の音に引かれて、さらに鬼と思はず
・三味弾いて、酒を勧めて気を奪い、人をとり喰う鬼の多さよ
・酒汲んで、三味線弾いて気を奪い、人をとり喰う鬼の多さよ
・一心にとつて喰うのは目にもみず、三味線かぢる鬼ぞ怖ろし
(目にも見ずは、一瞬でということ)
以上、鬼が酒を勧めてくれて、三味線弾いてくれて、私共を接待しているわけです。鬼とは何を象徴するのでしょうか、酒と気持ちの良い音楽で理性を失わないように。兎に角、注意です。
猫と鼠 <猫と鼠が向かい合って、鼠は大杯を傾け、猫は箸で赤唐辛子を勧めています。手前には、徳利が置いてあります>
・騙されて、まだその上で情(せい)出して、踊りて舞ふて、そして取らるる
・恐ろしきものを、にやんとも思わざる、心から身を、つゐに取らるる
(にやんは猫の鳴き声と、「何とも」の掛詞)
・猫が酒盛りて、その身を亡ぼすとも知らで、鼠が呑むや、ちりちり
(ちりちりは鼠の鳴き声チューチュー?。意味はチビチビ呑む感じ?、「チュルチュル吸い込み飲む」ならば現代語でもある。)
・聖人の教えを聞かず、つゐに身を、亡ぼす人の仕業なりけり
以上、鼠が騙されていい気になって大酒飲んでいる風情。その後どうなるかも考えずに......。猫と鼠であって、鬼と対峙する人という訳でないので、他人事ではある。一見、敵同士が仲良く酒宴をしている図なので、楽しめる。しかし、道歌を読むと、酒に溺れて己の生死を見失っている鼠のさまが怖い。明日は我が身だ。アル中にならぬように、気を付けなければ。
怖ろしい状況ばかりなので、口直しに。
瓢箪駒 <絵は、瓢箪から馬が飛び出しています>
・うち開けて、見れば大きな駒が出た。後は軽うて元の瓢箪
(駒は馬のこと)
・世の中はとてもかくても鳴り瓢、軽き身にこそ楽しみもあれ
(鳴り瓢とは、?空っぽだから風が吹くと音が響く感じ?)
瓢箪から駒といえば、縁起の良さを思いますが、むしろ後に残った瓢に、空っぽということで、身軽な何か自由さがあっていいですね。瓢箪鯰(大津絵にはこの題材もあります)をイメージして禅的な趣も感じます。