われわれの時代が、自分の足で歩き、自分の胸と頭で感じ、
考へ、自分の口でものを言ひ、自分の手で作る、といふ
ことがむづかしくなり、他によつて流され、その日その日
を断片的に生きてゐる、という状態
唐木順三『矢島麟太郎先生』から
ネットを見ていたら、Number(赤坂英一) による記事で
知らないことをを目にしたので、メモしておく。
藤木幸夫さんという方の好きな言葉で、揮毫に使う言葉だという。
藤木幸夫氏
戦後の横浜復興に尽力した日本有数の実業家
横浜港振興協会会長、横浜港ハーバーリゾート協会会長
神奈川県野球協議会会長、横浜スタジアム取締役会長
横浜港の港湾・倉庫荷役事業の最大手・藤木企業の2代目経営者(現取締役相談役)
雲外蒼天:
「雲から抜け出せば、そこには青空が広がっている。努力して試練を乗り越えれば、
快い青空が望める」という意味
美意延年:
気持ちのきれいな人は長生きできるという意味
辛夷の花の咲くころは
という歌を、この季節になると毎年一人思い出して懐かしみ口づさむ。
但し、このことを誰とも話したことは無いし、やや夢の中のことの
ような気分でいた。
フト、ネットで検索すると、一瞬にして判明した。
何とも不思議な気分。
「6年生マーチ」という曲名で、薮田義雄作詞・海鋒義美作曲
ということですが、当然ながら、私はお二人とも存じ上げません
昭和40年代に小学校の音楽教科書に掲載されたそうです。
歌詞は、
1.こぶしの花の咲く頃はみんな学校に慣れる頃
うれしい夢や憧れが呼んでいるよな春霞
行こうよ行こうこの道を歌えば楽しい丘の道
2.つばめは風を切るようにいつも身軽くとびかける
遠くの海や山のこと聞いてみたいなあれこれと
南も北もよい所どこまで行っても果てがない
3.さざんか咲いてまた散ってひなた明るい真昼時
まだ見ぬ夢や幸せがゆれているよな青い空
そうだよそうだ本当になんだか楽しい今日の空
4.雪より白い霜柱踏んで学校に急ぐ朝
みんなの声や足音が曲がり角まで続いてる
行こうよ行こう元気よく歌えば楽しい丘の道
3月13日に、抹茶を買いに葉茶屋さんへ。
ナント、ガラス張りの冷蔵庫は空っぽ!
「発注しても入荷出来ないんだよ~、来月頭には来ると思う」と、
店のご主人は頭を下げてくる。
当方も、禁断症状なので、他の葉茶屋さんへ。
此方は、ありました。
但し、今日も3缶出たそうで、「量り売りならば」ということで、
50gをお願いした。
量り売りは、やや手間がかかり待ち時間が必要。その間、女性客
が来店。ずっと待たすことになる。暫くすると、その女性客の
連れらしき人も入店。会話が耳に入るが、日本語ではなかった。
アラ、外国の方(東洋系)だったのネ。
会計を済ませて、店を出ようとする前に、西洋人?らしき夫妻が
狭い店にもかかわらず、来店。
いやあ、外国人に人気って、本当だ。
それもこんな、地方都市なのに。
確かに実際夜になると、すれ違うのは外国人の方が多いと感じる
時もあった程だからなあ。
ビックリの現実を知らされた日であった。
「大綱和尚の瓢」の超訳
ひょうたんよ お前は、
スイカのように暑さを払ってくれる徳もない。
でも、お前は気分は軽くて、中は空いていて無欲だから、
仙人もお前を友としている。
そして、仙人は酒を入れてお前をいつも腰に携え、
必要ならばお前の中から馬を出して、楽しんでいる。
<瓢箪から駒>
お前は、瓜の仲間でありながら、包丁の災難に遭わないのは「智」の故だ。
<硬いので、包丁で切られるということがない>
ナマズを押さえていながら敢えて逃がすのは、「仁」と言えよう。
<瓢箪鯰の禅故事>
太閤秀吉の馬印となって敵を撃破するのは「勇」そのものだ。
<秀吉の馬印は千成瓢箪>
お前の性質は、「善」というべきだろう。
のんびり暮らしているようでいて、身体は締まっていて大したものだ。