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このマヌケ?な顔、実は世界文化遺産なのです(笑)
by tamon
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三武一宗の法難


シナ仏教史上で仏教弾圧により、仏教が大きく

衰えた時期と言えば、三武一宗の法難です。

北魏の武帝(446年)

北周の武帝(574年)

唐の武宗皇帝(845年)

後周の世宗セソウ皇帝(955年)


逆に、梁の武帝は、熱心な仏教信者で、達磨さん

を招いて教えを受けています。その時の言葉が、

「廓然無聖」ということになっています。

しかし、達磨さんは芦の葉っぱ(小舟?)に乗って、

長江を降って行っちゃった(笑)。


さて、「日々のけいこ」世界文化社2005年発行、

なのですが、その100頁。

本文に「梁の武帝」とあるのに、その武帝の脚注は、

「中国前漢第七代皇帝」とあってガッカリです。

編集者さん、しっかりしてください。

堀内宗匠に本当に失礼ですよ。


せっかく気に入って読んでいた本がこの始末。

これからは、著者の書いた部分と、周りの者(

含編集者)が余計に足した部分を、判別しながら

読む必要がある、と感じました。


さて、この梁の武帝なる人はどんな人でしょうか。

原典を当たるのは私には無理なので、「十八史略」

の易しく書き直されたものをめくってみました。

なかなかの教養人、育ちも良い、文化人ですね。

「十八史略」の筆者はさすがに儒教系の考えなの

でしょうか。達磨さんとのエピソードの記述は

見当たりませんでした。これは簡略本だからかな。

今度、図書館で探してみましょう。




# by tamon1765 | 2019-10-07 06:47 | Trackback | Comments(0)

宗圓堀越梅子さん


音羽の護国寺の茶寮群は、私の好きな場所です。

檀家総代となった高橋箒庵が、京の大徳寺のような

茶道の聖地を、帝都に作らんとしたと聞いています。

ところで、この茶寮の中の「艸雷庵」は、堀越梅子

寄進とあります。並み居る猛者のなかで唯一の女性、

それも存じ上げないお名前なので、さてどういう方

なのかな、とずっと気にかかっていました。


珍しい資料(注)を目にしたので、メモしておき

ます。


先ず、生まれは松方正義公の五女ということです。

公は首相を二度務め、初回在任中に大津事件が起

こっています。

次に、嫁ぎ先の堀越家(夫の名は、堀越角次郎

善七)は、清和天皇を祖とする清和源氏の流れ

で、八代将軍足利義政の弟堀越公方足利政和が

直接の祖という。但し、子孫の代に北条早雲に

攻められ、群馬の大胡に逃れ、堀越姓を名乗った

といいます。

つまり、姓は堀越公方の堀越を採ったということ

でしょうか? これは私の勝手な想像で、真相は

今後ですね。

大胡に移った後、吉井宿開宿とともに、吉井に

移住しています。この吉井という町は、江戸期は

火打石で有名なところであります。

さて、その後の系図は私の頭の中ではこんがら

がっていますが、本家、分家、そのまた分家、そこ

から角次郎家が分かれ、梅子の夫はその四代目です。

職業としては、本家は商い(絹・火打・塩等)。

分家はどんな事業かは分かりません。いろいろ探し

てみると、上州吉井ではなく「日本橋の豪商」と

書いたものもあります。分家が首府に出店しそちら

が本家よりも売り上げを誇ることはいくらでもある

話です。いずれにせよ、この堀越家は、国を預かる

宰相を務めた家柄から嫁を貰うのだから、相当の

豪商であったことは間違いありません。当世持て

囃されるIT長者みたいな感じなのでしょうかね。

階級は将に庶民とは違う、閨閥を意識するクラスと

いうわけでしょう。

因みに、松方公の三男幸次郎は、川崎造船(現川崎

重工)他の経営者となり、松方コレクションの主で

あります。


さて現地調査という程のものではないが、早速行って

みました。(この部分続きます)


注:堀越学園(高崎市)発行の「創才の輝き」

(平成19.9.19)というリーフレットから。

処で、現在の子孫の方のことは、ここでの話題とは無

関係ですし、私の存じ上げるものではありません。





# by tamon1765 | 2019-09-29 12:32 | 近代の茶人 | Trackback | Comments(0)

枕頭の書

“枕頭の書”はいわゆる愛読書という範囲を超え、文字

どおり寝る直前に読み、その言葉を睡眠中の自分に作用

させる――睡眠中に訪れる意識下の状態のなかで、対象

と同化し、私を願わしいものに変えていく。

 あえて言えば精神的変容のための読書である。睡眠中

に日常の表層意識はすべて消え、魂の奥の暗闇の領域に、

真の自分が目覚めてくる。その真の自分に作用させて、

根底から、願わしい自己へ変えてゆく――そんな過程と

見ることも出来る。

  ***

人は快楽を口にするが、喜びについて語らなくなった。

快楽の方が直接的であり、手っとり早いからだろう。

しかし快楽は一過性であり、精神の変容にはかかわらない。

むしろ現代は、精神の変容どころか、精神そのものさえ

忘れたいと思っている時代かもしれない。


以上、辻邦生の言葉



# by tamon1765 | 2019-09-27 19:24 | ことば | Trackback | Comments(0)

乾坤独歩


狭い借家アパートの居間に、お軸を掛けてみた。

床の間などありはしない、ただ単に鴨居に掛けた。

ビックリした。

部屋の雰囲気が、とても締まったのである。

このパワーって何だろう、と。

皆さんにも、お勧めしたい。

字句は宇治の万福寺の管長の書かれた「乾坤独歩」。

ア、本物じゃないですよ(笑)。

工芸品ですよ。

いや、公認で市販されていたコピーです。




# by tamon1765 | 2019-09-25 22:26 | 雑談 | Trackback | Comments(0)

三つ鳥居の蓋置を発見(柴山不言作)


懸案の三つ鳥居の蓋置を遂に発見しました。
『なごみ』‘862月号(淡交社)を眺めていたら
88に発見。

三つ鳥居の蓋置を発見(柴山不言作)_e0024736_20180851.jpg

雑誌のキャプションは、「不言手作りの蓋置。

左より一閑人、三つ葉、三つ鳥居、三つ人形

(柴山正雄氏蔵)」とあります。

記事は、戸田勝久氏「柴山不言(二)」です。

私は南方録については、立花実山による偽書、という

立場でいたので、「喫茶南坊録註解」を書いた不言に

ついては、南坊録としている時点で、初期研究の功労

はあるものの見る必要は少ない、と決めつけて、

申し訳ないながら興味の外の方でした。

戸田氏の記事を改めて読み直すと、線は引いてあって

も全く記憶なし(苦笑)。

尾張の守護、斯波氏の裔とのこと。信長に追われた後、

斯波を柴山に改名し、その後尾張徳川家に属したり、

浪人したり、復したりとの代々らしい。

幕末に父準琴トシコトは、戊辰の役で軍功をあげ、

維新後も愛知県庁に勤めるなどして家名を挙げた模様。

さて、不言であるが、11歳で尾張藩の秀才の集まる

明倫堂に入り、維新後も、官費生として愛知県師範学校

に学んだという。優秀な方だったに違いない。

しかし、その7年後が、私の想像を超える。

キリスト教の受洗である。東京神田駿河台のニコライ堂

には、今(1986年時点)も不言の書写した聖書が使わ

れているという。

私の貧しい知識では、ニコライ堂はロシア正教系のよう

な気がしたが、どうでしょうか?もしそうならば、

ローマカトリックでも、プロテスタントでもなく、何故

ここを選んだのか? それによる違いって何だろう。

更に、かの教えの聖職者が、何故お茶に打ち込んだか?

謎は深まるばかりである。

それにしても、掲載されている74,5歳の頃の肖像が、

写真なのか画なのか私には判別できないが、圧倒的な

迫力で、畏怖の念を禁じ得ない。






# by tamon1765 | 2019-09-09 06:18 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

禅語十五題の読み方


微風吹幽松 ビフウ、ユウショウヲ、フク

雲出洞中明 クモ、イデテ、ドウチュウ、アキラカナリ

明歴々露堂々 メイ、レキレキ、ロ、ドウドウ

本来無一物 ホンライ、ムイチモツ

山花開似錦 サンカ、ヒライテ、ニシキニ、ニタリ

白馬入蘆花 ハクバ、ロカニ、イル

銀盌裏盛雪 ギンワンリニ、ユキヲ、モル

無時是貴人 ブジ、コレ、キニン

白雲抱幽石 ハクウン、ユウセキヲ、ダク

太平一曲大家知 タイヘイノ、イッキョク、タイカ、シル

実相無相微妙法門 ジッソウ、ムソウ、ビミョウノ、ホウモン

百雑砕 ヒャクザッスイ

廓然無聖又不識 カクネン、ムショウ、マタハ、フシキ

無有恐怖 クフ、アルコト、ナシ

看看蝋月尽 ミヨ、ミヨ、ロウゲツ、ツクル



子供の時からの読書の悪い習慣で、口に出さず字面で

意味を読み取ってしまい(決めつけてしまい)、字引を

引いて読み方や意味を確かめるような勤勉さもなかった。

だから、自己流の誤った読み方で頭に刻まれていて、

大変恥かしい、困った状態にいる。

せめて読み方だけでも直したいと思う。

上記の読点は、私が勝手にしたことで著者のものでは

ない。(このような自己流がまさに昔と同じかも?苦笑)

呉々も私による書き間違いのないことを願うのみである。




# by tamon1765 | 2019-09-08 10:30 | ことば | Trackback | Comments(0)

名前から見る兄弟子孫


岸井良衛氏が綺堂翁に教わったことして、記している。


武士の名は、

二代目が「小」

三代目が「又」

四代目が「弥」

五代目が「餘」

六代目が「孫」

つまり、太郎の子に小太郎とつける。孫太郎とあらば、

6代目であることが分かるという仕組みということだ。


そういえば、字面だけで分かる話ということでは、

シナでは、兄弟を「伯仲叔季ハクチュウシュクキ」と

して名付けるという。つまり、長男に伯の字、次男に

仲の字を、季は末っ子である。(勿論、日本の三郎四郎

五郎と同じように数字を直接つける場合もある。)

日本でも伯母叔母の漢字の使い分けは、姉か妹かの違い

による。かの国では、伯夷叔斉という偉人もおられた。

管鮑の交わりは、管仲と鮑叔牙。鮑さんは叔だから長男

ではないのだろう。管さんは仲だけど、字は夷吾だから、

2番目かどうかは分からない。琴の伯牙絶絃も、伯は

姓だろうから、今の話しとは違うね。孔子様は仲尼だ

から次男、老子様は伯陽だから長男ということになる

のかな?


ところで、数字でつけている場合、数が多い方が後で

在る筈が、仇討で有名な曽我兄弟は、ご存知のとおり、

「兄が十郎、弟が五郎」。或いは、源九郎義経は九男

なのか?という話があります。これは亦改めて。




# by tamon1765 | 2019-09-07 18:22 | 雑談 | Trackback | Comments(0)

茶巾絞りの甘い人


堀内宗心「おのれを磨く 日々のけいこ」お茶のけいこ24

(世界文化社20052月発行)からの引用一つづき


茶巾絞りの甘い人は、点前をしてお茶を点てる

資格はありません。


この強い断定にはビックリしましたが、確かに茶巾が

濡れていたら、茶筌とうじの後に茶碗を拭く意味あいが

全くありません。茶碗の内部が濡れていたら、はいた

お茶がその水分を吸って、ダマが出来て飲めたものじゃ

ない、という始末になります。そう考えると、宗匠の

強い語調にも納得がいきます。



# by tamon1765 | 2019-09-06 12:00 | お点前 | Trackback | Comments(0)

空襲下の茶道


『日本の茶道』第十一巻第一号(S20.1)から


 近頃は毎日の如くサイレンが鳴る、警戒警報-

空襲警報一歩外出するにも巻脚絆の武装でないと、

平和服装では何となく遠慮で気が咎める。

(ある会で団男爵が濃茶を点てられた。)

この間暫く席中寂境を現じ、世間の空襲騒ぎも

戦時気分も皆打ち忘れ、巻脚絆洋服姿の入席も、

平時の十徳白足袋の時といささか心持に変化は

無かったが、この刹那、茶道の妙味はここじゃと

感じた。


会員からの手紙とて、

(警報発令毎に、一碗点てます。)

一服よく心を落ち着かせる事が出来ます。

一茶杓良く米英殲滅の破邪の剣ともなり、立ち上る

湯気は、一切夢幻空寂、六如の悟りとも相見え、

不思議と忘我の寂静の天地に遊ぶことを得ます。


空襲下の稽古については、

(途中防空壕へ避難するような稽古後に、)

後、幹事ら、いずれもこの空襲下の喫茶は、平素

の試練でもあり、又一種特別の妙味体得でもある

故、以後の稽古日に際しては、各自、無欠席を約

して散会したと云う。


全く他の記事では、

決戦下の今日、茶道の簡素化の叫ばるる事、まこ

とに時期を得たる議論といふべきである。

で文章が始まるものもある。因みにその書き手の

上手いのは、「驕る平氏が滅びた後、生活の簡素化を

成し得たから、その後蒙古の大軍を破ることが出来

た。」と自らの主張を日本国勝利に結びつける手際

の良さである。


これらを目にし、私自身の心構えを問われた気がした。





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# by tamon1765 | 2019-09-05 18:18 | お点前 | Trackback | Comments(0)

茶室は所有者の身体そのもの


堀内宗心「おのれを磨く 日々のけいこ」お茶のけいこ24

(世界文化社20052月発行)からの引用一つづき


茶室は、その所有者の身体そのものである。

何々庵、何々斉という名称は、その席主の

代名詞ともなるもの。目に見えない席主に

対し低頭することが、主客の出会い。


成程。

まさか、ミクロ決死隊となって席主の身体の中に

入り込むという訳ではないが、こちらを信頼して

くれているからこそであろう、そのような場所に

呼んで戴き寄せて貰うということになる。

どんなに有り難いことか、感謝しなければいけない、

との思いを深くした。




# by tamon1765 | 2019-09-04 10:31 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

「日々のけいこ」



ずっとこんな本があったらとぼんやり思っていた

「本質を記した本、エッセンスの塊の如き本」に出合い

ました。幸せですし、有難いことです。

その本とは、

堀内宗心「おのれを磨く日々のけいこ」

お茶のけいこ24、世界文化社20052月発行

です。

2005年発行ですから14年前、その時に出会って

いれば、と後悔の念がよぎります。

この本は、上級なお点前ではなく、入門後、連続した動作

として初めに習う、運び点前の、各動作について細かく

その意味を教えてくれます。


私は、まっさらな気持ちで、少しずつこの本を読んで

いきたい。





# by tamon1765 | 2019-09-03 16:06 | | Trackback | Comments(2)

チェホフ「かもめ」から


今じゃもう私、楽しく喜び勇んで、自分は素晴

らしいと感じるの。

今、こうしてここにいる間、私はしょっちゅう

歩き回って、歩きながら考えるの。

考えながら、私の精神力が日増しに伸びている

のを感じるの。

私達の仕事で大事なものは、名声とか栄光とか、

私が空想していたものではなくって、実は

忍耐力だということが、私には分かったの、

得心が行ったの。

私は信じているから、そう辛いこともないし、

自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。


ニーナの科白

神西清訳からの勝手な抜粋(1.8.6)




# by tamon1765 | 2019-08-31 12:35 | ことば | Trackback | Comments(0)

忌み言葉


美味しい梨を頂いた。

皆で分けるのに、「梨って、無しじゃ縁起よくないから、

何て言うか知ってる?」と尋ねると、誰も知らぬという。

ようやく出た答えが「あり」。

「マア惜しいってとこかな。方向性はあっているけど、

丸にはならないね。」

正解は、ありの実。


なんとこれが、その昔私の就職試験で出題されたのだ。

遥か昔の県の教員採用試験で。勿論私は玉砕。この問題が

とても印象にあり、就職試験問題で唯一覚えている。いや

他に、入学試験も含めると、高校入試の社会科問題で

水平社が出題されたことの2つしか記憶にない。


梨の話しから、忌み言葉の話しに広がり、

髭をあたる(する)、あたり箱(硯箱)、あたり鉢(すり鉢)、

では首をひねっていた同僚も、あたりめ(するめ)になると、

漸く目を輝かす。

閑に任せて小学館の大辞典を引いてみた。なんと、忌み言葉

は、延喜式で定められていたのである。知らなかった。

(延喜式は実物を確かめていません。以下、小学館の

大辞典からの引用です。)


お寺を瓦葺という。奈良時代やそれ以前は、瓦、瓦葺と

いえば寺院と相場が決まっていたので、俗称からきている

のだなと思ったら、塔は阿良良岐。アララギ? 野蒜との形象

の類似、というか、イメージを膨らませた?

傑作なのが、僧が髪長。……..坊主が髪長。とすると、

坊主刈りが髪長刈りとなる。

コリャまた一体何のコッタイ、である。


そういえば、古事記では、我が日本国は、豊葦原の水穂の国

であって、豊吉原ではないね。この時代は善き言葉に言い換え

ようとする考えがなかったのかな。

もっとも、国中が吉原になっても……..(笑)

因みに古事記は無い筆探して書くから712年。

延喜式は、927年撰上、967年施行。

言霊栄える我が日本で、古事記の中の言葉使いはなかなか

興味深い問題を含んでいると思う。


最後に、これらのことから、楽しい言葉を知った。

病気の忌み言葉が「歓楽」だという。

とすると、歓楽街とは何ゾヤ。


(参考)

仏=中子、経=染紙、塔=阿良良岐、寺=瓦葺、

僧=髪長、尼=女髪長、斎=片膳、

死=奈保留、病=夜須美、哭=塩垂、血=阿世、

打=撫、宍=菌、墓=壌、

堂=香燃、優婆塞=角筈




# by tamon1765 | 2019-08-30 12:27 | 雑談 | Trackback | Comments(0)

忘筌の意味


たまたま忘筌の意味として書いてあるものを目にした。

忘れないうちにメモしておく。


一山一寧墨蹟「飛空鳥忘却空 南禅比丘一山一寧書」の解説で、


「飛空の鳥、空を忘却す」と読む一行である。「忘筌」(目的

を達成すれば、その方便を忘れるの意)に近い文句であるが、

何物にも動かされない純一なる境地を表現したものと思われる。


とのこと。

実は、この解説、私は全く理解できない。




# by tamon1765 | 2019-01-25 09:33 | ことば | Trackback | Comments(1)

気軽にお茶を楽しむ必要最低条件


昨年秋、漆の先生の工房へ遊びに行ったら、お茶を

ということになり、私が点てることになった。

しかしながら、はっきり言って、全くダメ。

条件が整っておらず、ダマが出来てお湯もぬるく、

美味しく点てられなかった。


その必要最低条件を述べて、日常のお茶に生かしたい。

1.お湯がちゃんと沸いていること

(魔法瓶の中のぬるいお湯では上手く点たない)

2.茶碗を拭く布巾を用意すること

(茶碗内が湿っていてはダマになる)

3.お茶を漉すこと

(プラスチックの茶こしとスプーンで充分)

4.茶筌の穂先を確認すること

(折れそうな部分は無いかのチェック)

5.手順は、茶碗をお湯で温める(茶筌とうし)。

水分を拭き残さない。

      お茶を漉すのは直接茶碗の上でも構わない。

熱いお湯を使用する。

      攪拌はやり過ぎない。

以上。


そこの生徒さんは、私のを見ながら、「お茶ってこの位

入れるんだ~」などとつぶやいていた。

そこは尋ねられたら、いつも答える回答「自分で、何度も

試してみて、自分で美味しいと思う量を見つけ出せば

いいんじゃないの」



# by tamon1765 | 2019-01-23 16:28 | お点前 | Trackback | Comments(0)

日本のしきたりを伝えないことを目的とするNPO

私は取込中のことがあって、このブログを放置したままです。

訪問された方には、その点お詫びします。


毎日憤りを感じることが多過ぎて、ニュースは目にしないよう

努めています。

ところが、あるものを先程目にして、血の逆流する程の思いがあり、

ここに皆さんに見ていただきたいと思いました。

お茶と関係あると云えばあり、ないと云えばない、です。


日本マナー・プロトコール協会というNPO法人があります。

その設立の経緯を引用します。

<引用開始>

設立の経緯

 特定非営利活動法人日本マナー・プロトコール協会は、平成4

に故小笠原忠統氏(小笠原惣領家当主、小笠原流礼法宗家)、故北岡

靖男氏(TOEIC創始者)、故阿部美哉氏(國學院大學学長)、故酒井

美意子氏(ハクビ総合学院学長、侯爵前田利為氏長女)など斯界の

第一人者(※肩書は当時のもの)と、現専務理事 三浦博史(平成4

年度内閣府「世界青年の船」ナショナルリーダー)、現理事長 明石伸

子(元日本航空)が中心となって間違ったマナーや日本のしきたりを

伝えないためには、正しいマナーやプロトコールに関するデータベー

スの作成が急務であるとの認識に至り、協会設立に向けた事前活動が

始まりました。

<引用終了>


長いので、短く単純化します。

<単純化文章の引用開始>

日本マナー・プロトコール協会は、〇さんと△さんが中心となって

■■■■を伝えないためには、××××との認識に至り、協会設立

に向けた事前活動が始まりました。

<単純化文章の引用終了>


■■■■の部分は、「や」で2つのことが述べられています。

ひとつは、「間違ったマナー」。

もう一つは「日本のしきたり」


つまり、日本のしきたりを伝えないことを目的として設立した、

というのです。

これは驚くことです。

このNPO団体は、今世間でうるさく聞かされている「日本のおも

てなし文化」とやらも伝えてはいけないものと考えているので

しょうね。

茶の湯も当然「日本のしきたり」の一つと思われますから、この

人たちにとっては伝えてはいけないものなのでしょう。


私の感想としては、

故小笠原忠統氏(小笠原流礼法宗家)は、伝統を伝えないという

この運動に何故参加したのかな? 騙されたのかな? 単なる名義

貸しかしら? 腑に落ちません。

兎に角、このような団体は何でもいいから即刻消滅してほしい。

講師は全員即刻廃業してほしい。

企業も、このような考え方の人を講師で呼ばないでほしい。


日本も滅亡、世界も終わり、と言わざるを得ないです。


処で、横山紘一氏によると、そう思った私の心で既に世界が

終わっていることになっているといいます。

それで慌てて呟きます。三界虚妄三界虚妄……




# by tamon1765 | 2019-01-22 15:17 | Trackback | Comments(2)

身の丈サイズということ


ネット環境の無い場所で生活していたので、11月は全く

ネットワークに触れることがなかったです。

勿論、不便さを感じたこともありますが、問題なく生きて

いられたという次第です。

逆にソフトバンク不通のニュースを見て、ネットや携帯電話

依存の生活に恐怖を感じます。このままでは、ネット不通

のため買い物もできなくなり家にも入れなくなる時代も

到来し得るということでしょうか。


さて、先日放送大学の特別講義で生形先生を視聴しましたが、

心に響く言葉がありました。それは、

「侘茶とは身の丈サイズ」

というのです。私などつい、侘びとは何ゾヤと言いたがりますが、

そういうスタンスは見事に否定されました。

気持ちの良い否定でした。

肩の荷を下ろせ、構えるな。そのようなこと自体が侘びから遠く

離れていることと、言われているかのようです。



<追記>310205 追記と本文一部の直し

有り得ない間違い「利久の詫び茶に戻ろう」も2月4日放映分は、

訂正されていて良かったです。




# by tamon1765 | 2018-12-09 15:07 | ことば | Trackback | Comments(1)

301017

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# by tamon1765 | 2018-10-17 13:35 | Trackback | Comments(0)

31.白粉ときは。利休つかいはじめて

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# by tamon1765 | 2018-10-01 11:31 | 『 茶窓閑話 』

30.嵯峨天皇弘仁年に撰れし。人華秀麗集に

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# by tamon1765 | 2018-09-30 11:30 | 『 茶窓閑話 』

北方のきびしさと抒情


北方のきびしさは私の心の支えであり、

その抒情は私の心のやすらいである


「東山魁夷小画集ドイツオーストリア」新潮文庫


若き頃の、北への憧憬が心に甦り、

不思議な興奮を覚えた。



# by tamon1765 | 2018-09-29 23:56 | ことば | Trackback | Comments(0)

29.細川三斎は。名物の茶器数多持しとて

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# by tamon1765 | 2018-09-29 11:28 | 『 茶窓閑話 』

28.風炉の小板は。そのかみはなかりし

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# by tamon1765 | 2018-09-28 11:27 | 『 茶窓閑話 』

27.宗旦は。すきやを小座敷

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# by tamon1765 | 2018-09-27 11:23 | 『 茶窓閑話 』

26.利休は。茶たつる時に

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# by tamon1765 | 2018-09-26 11:22 | 『 茶窓閑話 』