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和敬清寂

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JR西国立駅前の無門庵さんで
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by tamon1765 | 2011-10-18 09:05 | ことば | Trackback | Comments(0)

茶の木から

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by tamon1765 | 2011-10-13 08:16 | 茶杓 | Trackback | Comments(0)

読めぬ宗旦

「宗旦の手紙」河原書店刊を購入。
その一部分、「宗旦の書について」を眺めました。

宗旦さんと言えば、『乞食宗旦』の愛称が有名ですが、
『読めぬ宗旦』との言葉もあることを知りました(笑)。
お道具屋さんの話しでは、「読めないものが本物で、読める
ような宗旦の手紙は偽物だ」という先輩からの言い伝えも
あるといいますから、専門家にとっても難物であることに
かわりないようです。
私なんか、全く分かるわけない、というわけで安心しました。

尤も、波多野幸彦氏、「読めぬ宗旦」ではなく「読まぬ
宗旦」でしたと、ちゃんと最後に上手くまとめていますね。
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by tamon1765 | 2011-10-08 22:44 | 宗旦さん | Trackback | Comments(0)

「解脱する、仏になる」こと

誰もが解脱できる、仏になれるというやつがいる。嘘だ。
ひょっとすると、誰も仏になれず、誰も解脱できないかも
しれない。できたと思うやつはいんちきだ。みなそれぞれ
に大悟したかのように自分だけに通用する理屈を発明して
いる。その発明に印可を出し、保証をつけてやる商売に
している坊主がいる。



倉橋由美子の小説からで、僧侶の発言という設定である。
小説はとしては、結末が物足りないような気もしたが、
面白く読んだ。ある種、痛快。
しかし、倉橋自身どう思っていたのだろうか。
禅僧の複数のエピソードを知って、唯単にパロディとして
描いたのか。
それとも、仏教者集団さらにはある種の人々への冷笑か。

さて、小説を離れ、現実社会に戻って考えると、まさに
上記のこの発言自体が、言葉遊びをしているようで、空しさ
を感じる。(そのことがまさに、空? 無?・・・・・・苦笑)

なぜ、「解脱する、仏になる」ことを目指すにするのか。
そもそも「解脱する、仏になる」こととは、如何なることを
いうのか。
そこから始めないといけない。
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by tamon1765 | 2011-10-04 12:10 | 雑談 | Trackback | Comments(1)

茶の湯を催すとき

茶の湯を催すとき、誰もが名器や名碗を
準備する必要はない。
しかし、茶の湯を催す以上は、客がその
心入れを感ずるような掛物を選びたいもの
である。

田中仙翁「茶の湯の魅力 掛物」から。

前半部は、名器や名碗を準備することの出来ぬ者にとっては
嬉しい話だ。まあ、当たり前と言えば、当たり前の話しなの
だけれど。

ところで、お客は茶の湯に来て何を見、何を感じるのだろうか。
掛物を見て、道具を見て、その日の趣向を感じ取ったとしたら、
大したものだ。
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by tamon1765 | 2011-10-03 14:15 | ことば | Trackback | Comments(1)

ご挨拶:当ブログの今後

ということで、私自身、到達点を見失った宙ぶらりん状態
であり、なにか変えなければ、と感じます。

当ブログを以下のように変えます。
1.話題をお茶、茶の湯及びその周辺に限る。
2.これまでの書き込みのうち、上記1に該当しないと考え
  られるものは、削除する。(余所へ引っ越しの予定)。
3.但し、上記2にもかかわらず、コメントあるいはトラック
  バックを頂いたものは、残す。
4.記事の無いカテゴリーは順次削除する。

現状では、人様に読んで頂くようなものはありません。
今後、このブログの基本的立場は、あくまでも、自分のための
覚書であり、まとめであると考えます。
本末転倒とならぬようなペースでやっていくことが出来たらと
思っています。

今回、Sonnenfleckさんの「庭は夏の日ざかり」の記事
「始業式気分」に言いようもなく共感を覚えました。感謝します。
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by tamon1765 | 2011-10-02 01:43 | Trackback | Comments(0)

気ま~まな独り旅


by tamon
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