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妙心寺展

2月21日、東京国立博物館「妙心寺展」へ行きました。
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by tamon1765 | 2009-02-27 12:41 | Trackback | Comments(1)

近松の茶の湯理解

「鑓の権三重帷子」を手に取ってみると、近松の茶の湯理解
あるいは、当時の様子が伺われて興味深い。
いくつか拾って見ると、

近国の御一門方御振る舞い御馳走の為、真の台子の
茶の湯なさるべし
 p71

御家中弟子衆の中、真の台子伝授の方へ、御広間本式の
飾り物等勤めさせ申せ
 p71

(真の台子について)師匠市之進一流は、東山殿よりテキ伝、
一子相伝の大事なれば
 p71
台子は足利八代義政に始まると意識している。

幼い時から茶杓の持様、茶巾さばきも習うて置や  p78
袱紗と茶巾の混同か?

翻す涙の袖雫、絞る茶巾の如くなり p80
こちらでは、袱紗との区別が確か。

それにしても、憎っくき伴之丞に、2人の帯を取られて、
大音声で「不義の密通数奇屋の床入。二人が帯を証拠。」と
呼ばれた後は、どうだ。
それまでは、権三と浅からぬ関係のお捨を登場させることで、
おさゐの嫉妬心に火を付け、じゃらじゃらした場面であった。
私としては嫌な一節である。
がしかし、ここで一瞬にして、その後の消え入るような悲しみ
苦しみの場面へ変わる。
まさに、暗転。
この筆法の物凄きこと、まさに天才近松である。


頁は岩波文庫による。
2月5日、読了。


<21.5.12>文を読み易いように一部訂正
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by tamon1765 | 2009-02-25 12:48 | 舞台の話 | Trackback | Comments(0)

高貴の人へ

高貴の人へ御茶なるは新天目新茶碗を用ふべしと
或宗匠をしへしとなん
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by tamon1765 | 2009-02-25 06:15 | 『 茶窓閑話 』 | Trackback | Comments(4)

靖国神社にて

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by tamon1765 | 2009-02-24 17:31 | | Trackback | Comments(0)

茶巾布をととのへ

田舎の侘人より休師へ金壱両送りて何にてもこれにて
茶湯道具求め給われよとたのみきこえけれバ休師其金
子にて茶巾布をととのへ余りをかへしとて侘は何なくて
もありなんただ茶巾さへきよらならバ茶は飲れしものぞと
いひつかはされし

***
この逸話も、余り気持ちのいいものではないです。
田舎者を完全にばかにしています。
ここまで叩きのめさないと気が済まないのかな、
もっとこの人への答え方は別になかったものか、
と思います。
例えば、この話しに前段があって、この田舎人が
侘のつもりで天狗になっている人といった話しが
あれば、それはそれで理解できます。
しかし、ここでは単に依頼ですよね。
この話しがここにあるだけの話しで、全くこのとおり
だとすると、この話し自体お茶の心とは大きく隔たった
ものと思わざるを得ません。
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by tamon1765 | 2009-02-24 06:22 | 『 茶窓閑話 』 | Trackback | Comments(1)

六代目歌右衛門の出生


伊臣眞「観劇五十年」を眺めていたら、オヤッと思う処が
あったので、ご存知の方には教えて欲しい。
それは、

現福助は….現歌右衛門の二男となつて居るが
実は先代福助十八歳の時生まれた子だと云ふ


この手の話を快く思わない方はここで読むのを止めて欲しい。

なにぶん昭和11年印刷発行の本なので、現福助は亡くなった
六代目歌右衛門、現歌右衛門は五代目、先代福助は慶ちゃんの
福助こと七世福助で今の芝翫丈の父上、と読み替えて欲しい。

記憶はかすかであったが、前回も同じ様に思ったのであろう
鉛筆でしるしがしてある。

一方、晩年相手役に六代目歌右衛門(当時芝翫)を指名した
吉右衛門の日記を見ると、年月日の条にこうある。

つまり、吉も、五代目の二人の息子と考えていたのである。
それとも、律儀な吉のこと、知っていても知らん振りを押し通
したのか。

私の興味は、顔つきなどの遺伝の具合やら、芸風の類似といった
ことで、血の濃さってどうなのかなと思って、知りたいと感じた
までである。
或いは、七世福助が、そういう若さで出来た子どもがいたとして、
彼のその後の役柄の変化や、評価の変化はあるのかな、という興味
である。

もしそのような事実があったとして、隠すことは、人気商売なので
当然であろう。妻子が居ては困るわけである。
昔も、ブンヤといえば羽織ゴロといわれたが、いまほど、マスコミ
とかいう閑な御仁がすくなかったのであろう。
その昔は、まだ人様のそんなことに構ってられないほど、皆自分の
ことで必死に生きていた時代だったのかもしれない。それとも、
芸を問い、それ以外を余り問わない、大人の時代だったのかもしれない。
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by tamon1765 | 2009-02-17 05:56 | 舞台の話 | Trackback | Comments(5)

禅に対する違和感

体の良い高尚な言説や言葉尻だけ素晴らしい
言いように虚しさを感じることがあります。
そのような時、この発言者は、果たして本当にそう
思っているのだろうか。心の底からそう感じている
のだろうか、と思います。
私は、自分自身が心の底から湧きあがるように
感じたことでないものは、私にとっての真実では
ないと思うようにしているので、世評と大いにずれる
物事が多々あります。
今、テレビのアナウンサーやコメンテイターとやらの
己を高見においたお上品なまとめ方について、
なにやら言うつもりはないです。

自分自身書き留めておきたくなったのは、
著名なO老師の著作をめくっていたら、このように
あったからです。

衆生本来仏なりというのは、決して人間の素朴な、
直接肯定を意味するものではありません。それが、
この身即ち仏なりとなるためには、限りのない無の
深淵を超えなければなりません。つまり現実のこの
欲望的人間を否定しなければなりません。いちどは
どうしてもバラリンズとやらなければいけません。
大死一番して、絶後に蘇るという体験が必要なのです。


何もO氏を否定するつもりもないし、おそらくこの方は
心の底からそう感じ発言しているのでしょう。
但し、残念ながら、言葉としては理解できますが、
愚かな私には感覚的には全く理解不可能です。

大死一番してと言い南泉の猫のように斬られてしまえ
ば、それで終わりです。蘇ることは出来ません。
限りのない無の深淵---もし、そこに至り得ていれば、
おそらく既にこの世にいないのではないでしょうか。
現実の欲望的人間とは即ち自身そのものです。それを
否定することは到底出来ません。
なぜなら、この文言の意味はどういう意味か、もっと
知りたいと思っていることが欲望です。超えるという
意識すら否定しています。論理矛盾そのものです。
以上、すべて言葉遊びに過ぎなくなっています。
だからこそ、不立文字なのだ、と言われるかもしれま
せんけど。

私には、感覚的に違和感のみで何ら響かない話に過ぎない
ということなのかも知れません。
このO氏は縁なき人と思わざるを得ないですし、禅の世界
と遠く隔たった距離を感じるばかりです。
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by tamon1765 | 2009-02-15 22:10 | 雑談 | Trackback | Comments(3)

艶や華やぎの生まれるところ


艶といい華やぎというものは、願望がみたされ、日常的幸せに
憩っているところからは、生まれないのではあるまいか。
艶も華やぎも、悲しみが生み落とす子らであり、家庭的幸福に
自足する心、悲しみを知らぬ心からは、艶も華やぎも生まれ
ないのある。


とは、石丸晶子氏の言葉です。(「式子内親王伝」p272)
先日、山城少掾のことで、艶ということをちょっと考えていた
のですが、この迫力ある言葉には、脱帽ですね。
自分の思いの浅さを感じます。
一方、この方、この本の解説の角田文衛氏ではないですが、
「この著者は、どれほどか恋に悩み、人の世の無常に苦しんだ
人なのかと疑いたくなる」
ほど、鋭く感情を読み解いてくれる。
なかなかの好著であり、ただ者ではないと感じさせられます。
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by tamon1765 | 2009-02-05 06:30 | 雑談 | Trackback | Comments(2)

不立文字のわけ

興味深いお話しを伺ったので書き留めておきます。

禅宗で不立文字といいますが、この理由がアッと
驚くと同時に、笑ってしまいました。

その理由とは、当時の禅のお坊さん達、文盲だから
という説です。

六祖慧能さんが、「本来無一物」を他人に書いて貰った
ということにそれ程疑問を感じていなかったのですが、
気が付かなかったです。
本当に、無一物の人だったのですねえ。

私にとって、晴天の霹靂モノでした。



<21.3.30>追記 小林秀雄による

これは、言語表現の難しさに関する異常に強い意識を
表明したものであって、自己表現の否定を言うのでは
ない。言語道断の境に至って、はじめて本当の言語が
生まれるという、甚だ贅沢な自己表現欲を語っている
ものだと考えられる。

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by tamon1765 | 2009-02-04 06:58 | ことば | Trackback | Comments(8)

気ま~まな独り旅


by tamon
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