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お茶室の中での読み物

前回に続いて末宗廣「お茶のたて方のみ方」からの話題。

『伏見鑑』という本にこうあるという。

台目腰張りの高さ七寸五分風炉先窓地敷居の上端通也、
腰を反古張りにするといふは独客の為め也


お茶室の腰張りを、反古紙にするのは、単に贅沢でない
再利用のため、わびの心、と思っていた。
柱を、埋め木を使えというのと同じ、と思っていた。

ところで、ここには、「独客のため」とある。
話し相手もいなく、手持ち無沙汰だから、壁に貼られた、
反古のなかから消息文を読んで、無聊を慰めてください、
というのだ。

しかし、お茶によばれて、ひとり手持ち無沙汰になるような
時間帯とはあるのかしら、と思う。
茶室は凝縮された空間なので、もしひとりで座っていたら、
何かしらの思慮が頭の中を駆け巡るはずというのが私の
感覚だが、他の方は違うのだろうか。

「なんか読むものないかい? 退屈だなあー
おお丁度人の手紙があるな、なんて書いてあるんだろう」
といった感じで読むのだろうか、お茶室で。壁に向いて。

私には極めて、不可解な説明。
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by tamon1765 | 2008-11-28 12:58 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(1)

我慢の人・鈍翁

数日弊蔵へ預り買○伝ニ而
右之候へか老境に入りて道楽も
程あらむと涙を飲みて
暫し辛抱致候


先日訪れた、畠山記念館の展示物のひとつ、
益田鈍翁による即翁宛の自筆の手紙の一節です。

あの鈍翁が「涙を飲んで辛抱する」と言って
いるのが、おかしいです。
あんな大金持ちが? と庶民はつい思って
しまいますが、金持ちには金持ちの苦労がある
らしい、ということですね。
辛抱だと念じている鈍翁を思い浮かべると、
なにやらおかしいと共に、親近感を感じます。

ちなみに、以前、熊倉功夫先生の講演で、
昭和12年の税制改革で、サラリーマン社長の
収入が激減し、近代数寄者の文化が変化を
余儀なくされたというものがありました。
鈍翁、益田家はまさにその典型ですね。
残念ながら、美術館にする前にそのコレク
ションは散逸してしまったようです。

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by tamon1765 | 2008-11-27 12:42 | 近代の茶人 | Trackback | Comments(4)

茶筅を振るのは15回

末宗廣「お茶のたて方のみ方」を眺めていたら、
思わず背筋を伸ばしたくなる一節にぶつかった。

一体茶を点るに当り茶筅を幾回位振れば服加減の
よい茶が点つかとよく初心の者より聞かれる。
それは初心の者と熟練した者とでは同じ様には
行かぬが凡そ十四五回位で点つ様練習すればよい。


この14或いは15回という、数字を明示している
ところが凄い。
実は、私も薄茶を丁寧に点てているとよく先生に
「もういいですよ」と言われたものだ。
実は、丁寧に点てていると思っているのは自分だけで、
点ち過ぎて「茶の気」が失われることをしており、
その実丁寧でも何でもないということだったのだ。
昨夜、点てた時に数えてみたら、40回程度だった。
(ニッコリ……、この40と15の差はどう
考えればよいのか、今後の課題である)

この本には、続けて、こんなことが書かれている。
・茶が点つ事と、泡の立つ事を混同している人が
 往々見受けられる、
・宗旦さんは、さらさらと湯を注ぎいれ、それで茶が
 点てば茶筅を用いなかった、という。

この宗旦さんの話はビックリだ。出典を知りたいと思う。
昨日、茶筌が茶の湯のポイントであると書いたばかり
なので、私としては、チト困る話である。

なお、「お茶のたて方のみ方」は、昭和22年3月に
晃文社から発行。
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by tamon1765 | 2008-11-26 20:09 | お点前 | Trackback | Comments(20)

益田鈍翁の「遺言」

三井男爵ハ拙愚を厭はす
深く登用せられしを欣賀
重々仕り
   茲に謹み不堪謹謝
又益田の家此度恩義を
忘るべからす
  十二月五日 鈍翁(花押)
太郎殿
信世殿


これが、鈍翁の「遺言」で、
畠山記念館で見た。
初めてこのような意味での遺言を目にし、
ちょっと迫って来るものがあった。
やはり、鈍翁って人物だなあ、と思う。

(自分で写してきたので、もし図録等
があってお持ちの方は、直してください)
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by tamon1765 | 2008-11-25 19:45 | 近代の茶人 | Trackback | Comments(0)

茶せんの強さ

NHKの「京都・茶の湯大百科」
普段見られない映像の多い、良い番組でした。
なんて事はない、監修は、筒井紘一先生熊倉功夫先生です。
悪かろうはずないですね。

ただし、私の性格上、つい突っ込みを入れたくなります。
1.なんでABCか? その単語も私には知らないものばっかり。
 日本のものを外国語で解説しようとする感覚が理解できない。
2.パテシエ(これさえ、私にはなじみない言葉)が抹茶ケーキを
 フランスで作っている。いい話だけど、これは「茶の大百科」
 あるいは、「抹茶の大百科」であって、
 「京都・茶の湯大百科」ではないですね。

さて、面白く思ったことは、これからチビチビ書いていこうと
思いますが、
まず、隈研悟氏と官休庵のお家元のフワフワしたお茶室ですね。
これは完全、見世物 (良し悪しとは別の話し)。
で、この茶室で使う道具をお家元が選び説明します。
その中で、唯一言及しなかったのが、茶せんでした。

昔とあるフォーラムで、茶の湯が他のお茶と区別する点は何か、
といった話題が出ました。
私は「茶せんに拠る攪拌行為」の有る無しがそれ、と思ったのですが、
同じように考える方がいて、茶せんが話題に出ました。
それで、私は特に発言しませんでした。

今回、お家元が、必要当然のものとして茶せんを扱っています。(言及
もしないところが、空気のように当然のものなのでしょう)。
そして、他のお道具のように、見立てたり出来ず、自由に選んだり出来
ず、他に代替え可能としないところに、茶せんの地位と強さがあるの
ではないですか。
その意味でこの場面を面白く思いました。

  &&&

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by tamon1765 | 2008-11-25 13:08 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(4)

益田鈍翁の「常識是茶」

畠山記念館に、昨日行って来ました。
『 数寄者 益田鈍翁 ―心づくしの茶人― 』

鈍翁が、気持ちの良い字をかかれることに、
唯々感動です。

鈍翁の軸に「常識是茶」というものがありました。
何ら奇をてらったところもなく、お茶に対して、
妙に重い意味付けをすることもないわけです。
ごく素直な、日常に生きる茶として考えると、
甚だ好感が持てます。
憧れますね。
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by tamon1765 | 2008-11-21 23:16 | 近代の茶人 | Trackback | Comments(0)

長唄 『都風流』

慈恭さんの都風流を聞いた。
私にとって、長唄の大好きな曲であり、
秋の色種に次ぐ名曲、まさに大正教養時代以降の
最高傑作と思っている。
万太郎の詞も良く、それにもまして曲調とでも言うのか、
曲の流れこれが亦完璧じゃないか、と思う位、好い。
私自身ついこの間、秋が来たわい、と感慨にふけったが、
実際もう酉の市なのだ。
季節の流れのはやさに驚かれ、ぬる。
冬将軍の到来は尻上りに早い。
又一つ年をとってしまうのか。

ところで、慈恭さんの飄逸なこの声と節が長唄の正統だと、
学生時代から思い込んで聞いていたので、やっぱり
この声が嬉しい。
しかし、この都風流のCD、新内手の一節がちょっと不本意。
素人の私でもアレ? はずしちゃったかな、と感じる。
耳のよい方のご意見を伺いたい。
そこ以外は、慈恭さんの声に聞きほれてれ、自己陶酔で
一緒に口ずさんでいるのだ。
焼酎呑みながら、一緒に唄ったり、口三味線したり、
この世の極楽ではある。

「太平の一平民、酒盃の中に今日を楽しむ」
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by tamon1765 | 2008-11-19 00:25 | 舞台の話 | Trackback | Comments(7)

「京都・茶の湯大百科」

このような放送があるらしい。
楽しみ。

ハイビジョン特集
11月23日(日)19:00~20:50 / NHKハイビジョン
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by tamon1765 | 2008-11-16 08:33 | 雑談 | Trackback | Comments(2)

古き世のみぞ慕わしき

何事も古き世のみぞ、慕わしき。
今様は無下に卑しくこそ成り行きめれ、といえるも、
常世の茶の湯書は、驕りを本として、よろずに清らを
尽くしてもてる調度も華麗なるを人ことに好めり
物ごとその身に相応して侘びたるこそよけれ
茶道・喫茶・飯道、喫茶外の心あらじと師翁、常に教え給えり


普公茶話(一河宗丁茶湯覚書)


<20.12.9追記>
何でそんな話しになったか思い出せないが、
若い子たちに、つい、「あなた達のように新しい事が
何でもいいと思う人もいれば、何でも古いものの方が
いいと思う人間だっているんだよ」 と言ってしまった。

彼女たちは、まさに 「鳩が豆鉄砲喰らった」 という
表情をして、言葉もありませんでした。

あとで、「怒られちゃった」 ですって。
そんなつもり、全然無いのに。

ああ、生きにくい世の中なり。
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by tamon1765 | 2008-11-15 17:03 | 『普斎茶道伝書』 | Trackback | Comments(2)

上田宗箇作 「敵がくれ」

上田宗箇さんに、「敵がくれ」というお茶杓がある。
これは、大阪夏の陣の際、泉州樫井の戦さの最中、
迫り来る敵軍を待ちながら、眼の前の竹薮から竹を
切り出し、悠然と二本削ったというのだから、
すてきな話しだ。

ホンマカイナ? じゃあ、その時、櫂先はどうやって
曲げたの? などと、問う勿れ。
話としては、その豪胆な心意気を味わえばいい。

私は、この茶杓は、以前銀座の松屋デパート?三越?
の上田宗箇展で、拝見した。 (毎度毎度の10年前、
20年前に……との言い草に、我ことながら苦笑)

ぶっきらぼうで、美的とかナントカとかいう代物では
なかったように覚えている。
しかし、これがあの……..と強い印象はある。
期待が大きかっただけに、記憶にとどまっている。

とすると、お茶杓(に限らず、茶道具というものは)
故事来歴、由緒によるものなのか、と言う気持ちが
頭の中をよぎってくる。
ゆっくり考えることにしよう。

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戦さの最中のお茶杓削りから連想されるのは、
関東大震災の折の話しだ。
あるお茶人さん?経済人?が、削っていたのか、お茶事
の最中にかに、地震。
この大地震の「スワッ、逃げろ!」という時に、目の前の
お茶杓を条件反射で懐に入れて、逃げたという。
避難先の財閥の大物?が言う、「君らのようなお茶人は、
こういう時にこそ、あわてふかめずに、静かにお茶杓を
削るべし」と。
すると、件のお茶人「その茶杓は、ホレ、このとおり」
と胸(着物なのでしょう)から取り出した。
というお話し。
果たして、誰だったのやら。


<24.2.22> 追記
敵がくれの写真を追加。引用元は、ひろしま文庫2の
上田宗嗣著「茶道上田宗箇流」(昭和59.11.1)p63から。
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by tamon1765 | 2008-11-13 12:53 | 茶杓 | Trackback | Comments(2)

気ま~まな独り旅


by tamon
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