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時蔵の小春、「河庄」

NHK古典芸能鑑賞会
27日、気まぐれでNHK古典芸能鑑賞会に行ってきました。
行って良かった。出かけしなにトラブルがあり迷いましたが、
無理して行って、本当に良かったです。
私の人生のなかでも残る舞台でした。

「河庄」では、生き仏、観音様、聖女に会った気がしました。
それは、時蔵演ずるところの小春です。

この河庄の段は、ご存知の小春治兵衛の心中を描いた、近松の
「心中天網島」のなかの大切な場面です。
簡単に状況を書きますと、妻子のある治兵衛が、曽根崎新地の小春に
身も心も奪われ、深く愛し合います。
治兵衛の妻おさんは、どうか別れて欲しいと小春へ手紙を書きます。
小春は治兵衛と心中の約束をしていますが、治兵衛のため、おさん
達家族のため、身を引くことにします。
一人で死ぬる心です。
一方、治兵衛の兄孫右衛門が武士に身を偽って小春の元を訪れます。
もちろん、分かれて欲しいと頼むためです。
そこへ来合わせた、治兵衛(有名な「魂抜けてとぼとぼと」)。
小春は、心ならずも愛想尽かしをし、狂乱した治兵衛は小春へ悪態を
つき、今まで交わした起請文29枚を戻します。
小春からも、渡した起請文を回収しようとします。

さて、問題は、この3人が、上手から小春、孫右衛門、治兵衛と並んだ
ところから始まります。
怒る治兵衛に対し、兄孫右衛門は諭します。
その弟への忠言を聞くにつけ、一つ一つが小春の耳へ突き刺さります。
この家庭崩壊はすべて小春に起因しているわけですから。
小春にとって、まじめな兄の言葉だけに、辛いです。
その間、時蔵の小春は、ひとり上手下を向き、肯き肯き泣いています。
弟への言葉でありながら、聴く耳持たぬ弟と違って、この言葉を静かに
受け入れ理解しているのは小春であります。
ひとり上手下を向き、うつむき苦しむ時蔵さんを見ると、私まで心が
痛みます。
傍らでは、兄弟がこっけいなやりとりをしているだけにその悲しみは
深まります。
一方、小春にだまされたと一方的に被害者面をする治兵衛へ、「私の
気持ちは何も変わっていない。すべてはあなたのため。おさん様と
の女の約束なのです」と口に出すことの出来ない、辛さ。

顔が上下に動き全身で泣いているなかに、例えば、治兵衛が悪いと言う
話になると、頭は横に振っているような、「いえいえ、悪いのは私ばかり」
と表現されていました。

二人の上方役者の難波言葉のやり取りを楽しむ場なのかもしれませんが、
とても私には、そのような意味の楽しみの気持ちは生じませんでした。

治兵衛の「(起請文を)燃やして」の時、涙で小刻みに震えていた時蔵さん
の身体は、ピタッと止まりました。
どんなに大切なものか、その心のうちが伺われます。

一方、戻された起請文29枚、これは自分が書いたものとはいえ、愛する
治兵衛さんが身につけていたものです。
小春にとっては、これさえ大切な思い出の品です。
静かに自分の紙入れにしまいます。そして紙入れを閉じたとき、明らかに
頂くような心が感じられました。
そして、やさしく胸にしまいます。

この舞台で、究極の美に出合った気がしました。

この前に吉原雀で「女郎の誠と玉子の四角、あれば晦日に月が出る」
とは、なんとも皮肉な番組です。
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by tamon1765 | 2008-10-29 07:55 | 藝能を楽しむ | Trackback | Comments(0)

宗旦さんの「橋の絵賛」

表千家お家元の伝来で
宗旦元伯の「橋の絵賛」の軸があります。

天共白雲暁
水和明月流

   (天は白雲と共に暁け、
   水は明月に和して流る)

相変らず、宗旦さんの字は私には読めません(苦笑)。
絵の方は、あっさりした橋の絵と、暁の雲でしょうか、
ささっと描かれています。それとも、雲でなく、水の
流れでしょうか。

お家元は、このお軸を、「天の動き水の流れ、それらは
大自然の運行のままに何の無理もなく進んでいるという、
厳しい人生に鍛えられた元伯の静かな心を表明するもの」
と書かれています。
大自然の運行のままと言われると、まず柳緑花紅という
言葉を思い浮かべますが、人に関して言えば余計な作為
のなさ、無事是貴人でしょうか。
既に、日付は変わっていますがそんな気持ちで今日一日
過ごしてみようと思いました。


写真とお家元のことばは、同門の平成19年10月号です。
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by tamon1765 | 2008-10-27 00:30 | 宗旦さん | Trackback | Comments(0)

藤戸石

京伏見の醍醐寺三宝院庭園に藤戸石という石がある。
1450程の石が組んであるという名園の一つであるが、
その中で一際有名な、石である。
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藤戸といえば、佐々木盛綱に浅瀬を教えて殺された、
浦の男のなんとも嫌な話しだ。
しかし、この石は武将を虜にし、
1)足利義政の所有となり、
2)細川藤賢が自らの屋敷に移し、
3)織田信長が足利義昭のために建てた二条第へ運び、
4)秀吉が聚楽第へ運び
5)秀吉が醍醐寺三宝院に移した(現在に至る)
というのだ。特に、信長も囃しながら運び、その石の入手を
喜んだとされる。
何故そんなところの石が、と感じていたが、プチたびという
サイトには、

> 庭園は、1598(慶長3)年、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際し、
> 庭奉行・竹田梅松軒に命じて築庭させた
> 藤戸石は、もともと瀬戸内海の藤戸(現在の岡山県倉敷市藤戸)
> の岩礁にあった「浮洲岩(うきすいわ)」。源平の合戦を見守った
> ことから「血染めの石」とも呼ばれていた。

とある。血染めと言われた物を庭の真ん中に据えるのは私と
しては、どうもちょっと……である。
そのほか、殺された男がこの岩の傍らに流れ着いたとも、戦さに
勝つ武運の石といわれたとの情報もあり、様々な謂れの出典を
知りたいと感じた。

ところで、倉敷市の藤戸の旧蹟は今では全くの内陸部になって
しまっていたが、迫力ある巨大な岩が道の脇にあり立派なものだなあ
と感じたものだ。確か藤戸というバス停前だったと記憶している。
能「藤戸」にも、「あれなる浮洲の岩の上に」とあり、
香西精先生は「浮洲の岩は、のちに京都に引かれて醍醐三宝院の
名物になっている」と断定されている

三宝院では、池を隔てた向こう側なので、眼鏡や双眼鏡を持参し
なかった私には、残念ながらその本来の迫力が感じられなかった。
庭としては、尖ったところのない、ゆったり感のある落ち着いた心休
まる庭である。

石とは関係ないが、今年8月24日に落雷のため准胝(じゅんてい)
観音堂が全焼した。こちらは、西国三十三観音霊場第11番札所でも
ある。平安時代の貞観18(876)年の創建と伝えられ、昭和14年にも
火災焼失、43年に再建された。本尊の准胝観世音菩薩は秘仏。
形あるもの全て滅びるとは言いながら、悲しいことである。

庭園の撮影は確か出来なかったと思う。参拝したのは6年程度前。
写真は、成和園さんのHPからお借りした。


27.7.7>追記

蒿蹊伴先生著「閑田耕筆」を眺めていたら、

下記のようにあった。

「滄桑相変するは、仙人ならではみるべからねど、

佐々木盛綱が渡りし藤戸も、今は陸地となりぬ

この本は、寛政11年(1799)の跋があるので、

この時点ですでに内陸部に来ていたということが

分かる。



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by tamon1765 | 2008-10-25 23:08 | | Trackback | Comments(1)

美丈夫・鈍翁益田孝の自伝

長井実編「自伝益田孝翁伝」中公文庫、1988年

財界の大立者の自伝。
世の変化にもまれながら(明治維新を体験)成長する、一人の男
の物語として読んでも楽しい。
登場人物は、綺羅星のごとく輝く財界の猛者が出てくるので、
その意味でも面白い。

後半は、お茶関係の話が増え、楽しい。つくづく幸福な人だった
と思う。
この本には関係ないが、熊倉功夫氏によると、昭和12年の税制改正
以前は、サラリーマン社長とて莫大な財産を手に入れることが出来、
文化財級のお道具をそろえることが出来た、というのだ。
今の経営者とは、その意味で環境が全く違う。
それで、この本のようなことが可能であったのだろう。

ところで、鈍翁というと、あの立派なあご髯と温和な笑顔がトレード
マークではあるが、意外な素顔が出ている。
冒頭に写真頁があり、その17歳、23歳頃の顔がなんともほどが良い。
その顔を見るだけでも立ち読みの価値があるかも(笑)

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by tamon1765 | 2008-10-24 07:02 | 近代の茶人 | Trackback | Comments(3)

石州の竹花入

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驚愕の花入。
花入れの写真だけでこんなにワクワクしたことは久しくない。
よくまあ、思いついたものだと、感心するばかりである。
単に奇抜な、人を驚かすだけのものとはおおいいに違う。
竹という素材での思いもよらぬ新たな造形の地平を開く作品
と思う。しかし、この作品以降は、この模倣と見られてしまう。
創造ということは皮肉で難しいものだ。
もっとも、この手の作品(があったとして)のこれが初の作品
と私が断定する根拠はなにもない。
考えてみると、寡聞にしてこの類似作も目にしたことがない。
とにかく、すばらしい作品だ。
実物も目にしてみたいものだ。

写真引用先:『片桐石州の茶』昭和62年、講談社、p7。
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by tamon1765 | 2008-10-23 12:32 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

江戸・東京の茶の湯展

東京、日本橋高島屋
江戸・東京の茶の湯展
10/22(水)~ 11/4(火)
東京の10の家元から道具が出品されそうです。が、
チラシを見ると、美術館からのものばかりですが……
茶入では、茜屋茄子、利休尻膨、利休物相、瀬戸「塩屋」。
茶碗は、瀬戸天目「埋火」、鳥の子手、御本立鶴。
書は、定家「桜ちるの文」、小倉色紙「ももしきや」など。

以上、自分で忘れないための覚えです。
実は、先日某所で招待券を頂いたので。

ところで、チラシの小倉色紙は、
百し起屋布累
き乃支者の忍爾毛
猶阿満りあ留
む可しなり傘る

とよめ、最後の一字が「り」に読めません。
留の「る」に見えますが、チラシをお持ちの方、
如何でしょうか。
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by tamon1765 | 2008-10-21 00:05 | | Trackback | Comments(1)

露伴翁が知りたがった南方録講義

たろうさんのコメントに教わった婦人画報を立ち読み
に行って来ました。
すると、嬉しくなる情報を得ました。

幸田文は、昭和13年に一時期、大日本茶道学会へ
お稽古に行ったそうな。
その故は、露伴翁から、南方録についてどんな講義が
されているか偵察に行かされた、というのです。

露伴翁、文さんともその作品は、私はほぼ全面受け
入れですが、そのお二人にこんな話があったとは。
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by tamon1765 | 2008-10-20 22:59 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(0)

置き合わせ、取り合わせ

置き合わせ、取り合わせ、その数寄ほどにこれ有るべき
儀に候へば、浜の真砂のて候ぞかし
 (石州公)

それぞれの程々に随て違事なれば一概に定がたし
浜の真砂の如くよみつくしがたきの如し
 (藤林宗源)

「石州三百ヶ条聞書」を2種類見て、異なることに
気がついた。
百ヶ条聞書は項目立てだけのようである。
つまりは、口伝なのであり、その項目の一覧のようだ。
(但し、一部内容も含む項目ではある。)
そして、私がその内容説明と思っていた一節は、その教えを
受けた藤林宗源によるものということのようだ。

さて、内容は、置合せ、取合せは、浜の真砂ほど数え切れ
ないほどあるという。
とするならば、全てを把握するのは無理。
読み尽くし難しであり、一概に定め難しである。
基本を抑えて自分で応用していくしかないのであろう。
(文意ではそこまで書かれてはいないが)。

また、「数寄ほどに」が、数寄が深まるほどに、と読める
ところが面白い。

なお、数寄を数寄者の意味で考えてみたが、他の文例では、
数寄者と出ているので、石州公は両者を分けていることが
分かり、数寄者の意味では採らない。
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by tamon1765 | 2008-10-20 06:29 | 片桐石州さん | Trackback | Comments(0)

孔子の里、多久

全く存じ上げなかった。
佐賀県多久市に、多久聖廟が存する。
国内の現存する孔子廟では、足利学校、閑谷学校に次いで古く、
また最も壮麗な孔子廟だそうだ。
確かに写真で見ても素晴らしい。
1708年(宝永5年)竣工、つまり本年で三百年である。
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by tamon1765 | 2008-10-19 16:11 | Trackback | Comments(0)

日立中央研究所の庭

武蔵野の面影を残す庭園が、国分寺にある。
一つは、殿ヶ谷戸公園(都立)。
今一つが、日立中央研究所だ。
こちらは、春秋の年2回しか庭園開放を行っていないので、
忘れないように、書きとめておこう。
【2008年の庭園開放予定日】
秋: 2008年11月16日(日) 10:00-14:30  <雨天中止>
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研究所なので普段は企業の機密保持のためか、厳戒態勢だ。
今まで3度ほど赴いたが、広い池もあり甚だ気持ちが宜しい。
今年の紅葉狩は、ここで。
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by tamon1765 | 2008-10-19 11:29 | Trackback | Comments(0)

気ま~まな独り旅


by tamon
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