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空気の香ばしさ

1946年4月17日
この頃の空気の香ばしさ、月の光の麗しさ、ただ呆然としてしまう。
沢山の詩が念頭に浮かぶけれど形をなさぬ中に消えてしまう。
男と女の愛と言うもののふしぎさ。
全く未知の世界にさまよい出てただただ驚き、恥じ入り(自分に
対して)、そしてしびれるような喜悦に身をおののかせている。


久々に本屋(ブックオフ)に立ち寄った。
「神谷美恵子日記」角川文庫、平成14年。
こんな本が出ていたとは、と驚き、あわてて購入(105円)。
さて、開いて、たまたま最初に読んだのが、上記の一節。
空気の香ばしさを敏感に感じとっているのだなあ、もっと自分も
そんな皮膚感覚を大事にしなければと思いながら、読み進むと、
どうも私のイメージするものと違う。

年譜やら色々と読みすすめていくと、32歳のこの年の7月3日、
東大理学部講師の神谷宣郎と結婚。
つまりその直前の、神谷に対する思いを含めた日記の一部分
だったのだ。

あまりにも高く聳える神谷美恵子さん(でもきつくは無い、
優しく聳えている感じ)であるが、やっぱりひとりの女性であり、
ひとりの人間なのだな、と至極当たり前のことに気付き、
猶一層近しく感じた。
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by tamon1765 | 2008-05-25 22:24 | ことば | Trackback | Comments(0)

拭くことで生まれる輝き

西山松之助先生によると、漆で拭かなくとも、茶杓を何度も
乾拭きすることで黒光りすると言う。
ご存知の先生のお茶杓「百万遍」が、それである。
ちなみに、般若心経を唱えながら百万回拭いた話しを聞いた
熊倉功氏が 「それじゃ、先生、百万遍ですね」 と言ったこと
からはじまったので、銘の名付け親は熊倉氏だ。

私も、私の先生から頂いた桑のお茶杓、白木だったものが、
何時しか飴色の良い色となった。
思い出すと、毎朝お抹茶を点ててから仕事に出勤していた頃、
必ずこのお茶杓を使っていた。
袱紗を使わず、ティッシュで拭いていたものだった。

拭く際に、抹茶の粒子がついていることが、良い輝きを増し
てくれたのではないかと思う。
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by tamon1765 | 2008-05-17 19:27 | 茶杓 | Trackback | Comments(0)

数寄は、みちみちて

数寄は、野の末、山の奥、道の端にも、不断の座敷にも
みちみちて御座候



片桐石州さんのことば


<27.7.8追記>酔った勢いで書く雑談
私の大嫌いな言葉に「自分探し」というのがある。
特別に外に求める愚というわけだ。
自分探しのために、海外へだって??

数寄は金をかけた道具や茶室にあるのではない、
そっこらじゅうに満ち満ちているよ!
って、言ってもらえると嬉しいね。

尤も、それ以前に、人に云ってもらったからじゃ
なくて、自分で感じ考えなければいけないこと
ではあるんだけど。




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by tamon1765 | 2008-05-16 07:04 | 片桐石州さん | Trackback | Comments(1)

水の流れるように

先程、とてもいい言葉を眼にしたので、引用しておきます。

およそ私どものお茶に取り組む姿というのは、淡々として
水の流れるようなのを、よしとしてきました。
すべてに極く自然であれということでもあります。
肩肘を張らず、自然な姿でこそ、主客のなごやかな交わり
が生まれます。
 水の流れるように自然な姿や、淡々とした心持で人を
もてなし、もてなされ、主客の心を一つに結ぶのが私ども
のもとめる茶の湯と申せましょう。


今の表千家流家元宗匠の言葉です。(一分引用を変えてあります)
2006年2~3月のNHK趣味悠々「茶をたしなむ」3ページです。
続けて、こうもあります。

先ず毎日の一服のお茶を大切に点てること、そして一服の茶は
「おいしいお茶」でありたいものです。


まさにそのとおりで、有難く感じます。
お稽古をするためにお茶をしているのではなく、「おいしい
お茶」を頂くためにやっているのですから。
そして、ここのポイントは、「先ず毎日の一服のお茶を」なの
でしょう。
まず私自身が、毎日一服のお茶を楽しむ心の余裕を持ちたい
ものです。
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by tamon1765 | 2008-05-11 11:35 | ことば | Trackback | Comments(4)

物語の欠如 「ボレロ・幻想桜」

芸術劇場 ―永遠に咲く花の如く~梅若六郎とプリセツカヤ
 世界遺産に舞う―(NHK教育TV 07/5/2放映)を見て


人には、ものには「ものがたり」が必要である。
物語化することによって、人は、そのものの理解に結びつく。
理解とまではいかなくとも、安心が生じるのであろう。

今回、NHKの番組最後の、本公演部分を見て、はっきりいって
私は昇華を感じることなく、いまひとつのものであった。

なぜ、私が面白さを感じられなかったかと言うと、このなかに
私が「ものがたり」を構築できなかったからであろう。
「六郎は鷹、勘十郎は胡蝶」というヒント(否、種明かし)が事前に
示されたが、だから何なのか、何を表現したいのか分からずじまい
だった。

むしろ、私は、作品そのものを見て感じるのではなく、作品を作る
出演者の気分の物語の世界へ入ってしまったようだ。

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by tamon1765 | 2008-05-04 13:13 | 舞台の話 | Trackback(1) | Comments(3)

人生はマラソンのよう

民俗学者の谷川健一さん

人生は最後まで勝負の決まらないマラソンのようだ

今日の日経新聞「私の履歴書」である。
興味ある人だとやはり目がいってしまう。

1年のうち、三、四ケ月を旅ですごす日々を…
二十年間すごしてきたが、その民俗調査は、大学や
中央官庁や財団の援助を一切受けない、貧乏旅行で
あったというから凄い。
志の高い方は違うものだ。
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by tamon1765 | 2008-05-01 11:27 | ことば | Trackback | Comments(1)

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by tamon1765
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