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不白さんは武士だった


私の不白さんの身分に対する疑問は、
武家史談会編『武家茶道の系譜』ペリカン社
を読んで、解決した。

そのなかに、川上宗雪「川上不白の茶道社会」がある。
ここでは、不白は水野家の家来(武士)であるのは、
当然じゃないか、という書きっぷりである。
引用すると、
・ 与えられた京都茶の湯留学も、紀伊家の政策であった
ことを思い起こす必要がある。(p222)
・ 不白は水野家の茶頭を嗣子に譲って後、諸家の江戸屋敷
に茶道指南として出入りを許される。(p250)
等など。

今回とても面白く思ったのは、不白さんと田沼意次の関係である。
不白の超人的とも言える、千家宣揚勢力拡充は、田沼という
権力者の故ではないかと言う考えだ。
とすると、田沼失脚後、後半生(晩年?)の不白さんが、町人の
中に入り込んでいくと言うのも、納得がいく。
時間を見て年表を眺めながら考えてみたい問題である。
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by tamon1765 | 2007-12-27 00:34 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

一期一会


風庵亭主さんから頂いたコメント
> よく茶道でいわれる「一期一会」の心とは、
> いったい誰が言い始めたのだろうか?
に反応して書きます。
但し、目新しいことは何も言っていません。

よく聞くのは、この言葉は、『山上宗二記』にあるが、実際
は井伊直弼『茶湯一会集』で広まった言葉である、という
言い方です。

小学館日本国語大辞典でも、出典は『山上宗二記』とし、
例文として直弼が引用されているのみでした。この辞書
で言っているのだから、おそらく、宗二が初出なのでしょう。
とすると、この気骨の人宗二の言語化能力は凄いなあ、
ということになります。

常の茶湯なりとも、路地へ入るより出るまで、一期に一度の
会のやうに、亭主を敬い畏むべし。世間の雑談無用なり
(茶湯者覚悟十体のあとの又十体)


で、四文字熟語になってないですね。
とすると、直弼はコピーライター的センスもあった、などと
下らないことをつい考えてしまいましたが、この二例以外の
用例を今後、探してみることとしましょう。

> どうしても、利休や宗旦の目指した「わびさび」と
> この「一期一会」の言葉が、小乗仏教と大乗仏教の
> 違いのような違う次元のものに感じてならないのです。

この見方は面白いですね。
但し、わびさびも唯我独尊ではなく、他との関係性の中で
生じることですから、一概に小乗と断ずることは無いでしょう。
そして、利休の信奉者である宗二から出た考えとすると、
当然利休さんの中にその萌芽があり、「わびさび」も「一期一会」
もある一つのことを違った視点から見て言語化したものと
いえなくないようにも思えます。
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by tamon1765 | 2007-12-26 23:35 | ことば | Trackback | Comments(1)

死の予感

師走等と言うどころではなく、年末おし迫って参りました。
雑事に追われていたのと、本を読むことが面白くなって、
ここの更新を怠ってしまいました。
改めて、ブログに取られていた時間がいかに長かったか(
つまりマイナス面)を感じました。
もっとも、プラス面の「こんなことを書こう」という気持ちを
起こさせるという部分は、何事にも替え難いですね。

なんだか、急に読書が今までになく楽しくなり、これまで
読めなかった本まで、分からないながらも読みすすめること
が出来ました。
で、こんな風に本読みが進むのはここ十年来無かったことだ
と満足していたら、私このまま死ぬのではないかと、急に恐く
なってしまいました。
すぐ、本を閉じ布団を被って寝ました。

その後、1週間以上たちますが、その迫力は消えましたし、
本読みのペースも大幅ダウンしたので、とりあえず命に別状は
なさそうです(笑)。

ちなみに、その時読んでいたのは、笠井昌昭 「『日本書紀』を
中心とした池の伝承について---立后の儀の周辺---」 です。

<19.12.26誤字など訂正>
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by tamon1765 | 2007-12-23 15:11 | Trackback | Comments(4)

出家の身から還俗

遠藤元閑 『茶之湯六宗匠伝記』
を読んでいたら、こんな一節がありました。

一、珠光
....
自然と名高く茶道俊逸のほまれ慈照院義政公
きこしめしおよばれまみえ奉り還俗し、
六条堀川さめうし通の西に茶亭をかまへ
住居せり....


とすると、珠光は義政公の前では出家の身でなかった事
になり、私の前の書き込み

> ちなみに、珠光は出家名、村田は出家前の姓のため、
> 村田珠光と続けるのはおかしいという議論もあります。

は間違い。村田珠光でよいということになります。
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by tamon1765 | 2007-12-09 04:48 | 珠光さん | Trackback | Comments(6)

落ち葉

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惣じて露地の掃除は、朝の客ならば宵にはかせ、
昼ならば朝、その後は落ち葉のつもるも、その
まま掃かぬが功者也 (茶話指月集)


「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と
言ってその茶人はしかった。そう言って利休は庭におり立ち
一樹を揺すって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を
散りしかせた。(「茶の本」第四章茶室、村岡博訳)


以前から、この、「庭掃除で落葉を全部取り払ったのが、美的でない
からと、また葉を散らす」という話の原典を探そうと思っていました。

話が脇にそれますが、「茶の本」で訳者名を明記したのは、
面白いことがあるからです。
直接上記には引用しませんでしたが、村岡訳では、ばか者と叱られ
るのは、紹安。
そして、宮川寅雄訳では、「愚か者め」と叱られるのは少庵なのです。
今家の片づけが悪くて、森才子訳の本は見出せませんし、買って目
にするのがとても楽しみな本・大久保喬樹先生がどう訳しているか、
興味深いです。

と、それはさておき、紹安はのちに道安と名を変える利休の実子。
少庵は、ご存知のとおり、利休の再婚相手宗恩の連れ子(つまり血の
つながりはありません)、そして利休の娘亀と結婚。
つまりこの家庭は、親子がそれぞれ結婚(親同士、子同士)という器用な
ことをやってのけた興味深い例です。
と、また脇にそれましたが、
紹安(せうあん)、少庵(せうあん)と平仮名書きでは同じということで、
大きな混乱を招きました。村井康彦先生の著作が物語っているとおりです。
訳者は、何を見何を根拠に訳しているのか興味の湧くところです。

<19.12.5>加筆。
<20.1.7>大久保喬樹先生訳では、少庵でした。本日、本屋で立ち読みしました。
<20.1.27>森才子訳も、少庵でした。
<20.6.1>杉本捷雄氏の推測によると、
  少庵とお亀(ちやう?)の結婚(子同士):天正4または5年
  利休と宗恩の結婚(親同士):天正6年
<20.6.27>道安の名前訂正(道庵となっていました)
<21.12.18>今読み直しますと、矛盾がありました。杉本捷雄氏が正しいとすると、
  「少庵は、利休の再婚相手宗恩の連れ子」はおかしいです。
  「利休が再婚した宗恩は、利休の娘婿の母親」と書くべきですね。
<24.3.12>岡倉一雄編の天心の全集を見かけました。
  聖文社、昭和13年2月発行。
  岡倉一雄・渡辺正知訳では、紹安(つまり道安)でした。
<24.7.1>大久保喬樹先生訳購入。
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by tamon1765 | 2007-12-04 02:09 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(8)

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