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八世観世銕之丞

芸能花舞台
「伝説の至芸・八世観世銕之丞の芸と素顔に迫る」

10月27日(土)13:00~13:45 / NHK教育

芸能花舞台◇高い芸格で戦後の能楽界をリードし、能の可能性を世界に広げた八世観世銕之丞さんの芸を振り返る。銕之丞家は江戸時代後期に観世宗家から分家を許され、五座の家元に次ぐ家格が与えられた。その8代目に当たる銕之丞さんは2人の兄とともに観世3兄弟と呼ばれ、戦後の混乱期にあっても流派を超えて芸を追求し、能楽の存在を世に知らしめた。それと同時に、古代ギリシャ悲劇や現代演劇にも積極的にアプローチ。新作能、復曲も数多く手掛けるなど、能の新たな可能性を追求する先駆者の役割を担った。演技では内面的な集中度の高い役で本領を発揮。さらに、切れ味やスピード感が必要とされる現在物、四番目物の能でも力を見せた。演目は「道成寺」「三山」「雷電」ほか。



以上、テレビ番組欄から

このような細切れではなく、まるまる一番見せて欲しいのですが......
「五座の家元に次ぐ家格が与えられた」のは、本当でしょうか。
その根拠は何でしょうか。
結果的に、最大流派の分家(No2)ということはありましたが、
どうなのでしょう。
若し事実ならば、「与えた」であろう将軍に関して知りたいです。
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by tamon1765 | 2007-10-27 10:30 | 能楽を楽しむ | Trackback | Comments(0)

不白さんに関する疑問 (その身分)

まず、誤解無きようにお断りしておきます。
表題がやや相応しくなかったので悪いのですが、
私は不白さんを疑問の人であるとは断じて思っていません。
不白さんに関しての、私が以前から分からない、どうなの
かしらと疑問に思っていることを書こうというものです。

その疑問とは、不白さんの身分は何か、というものです。

ご存知のように、不白さんは、今の和歌山県新宮市で
水野家家臣川上五郎作の次男としてこの世に生を享けます。
そして、18歳のときに、表千家家元七世如心斎のもとへ
入門します。茶道入門の理由を私は掴んでいません。
尤も、これが分かれば、この問題は解決といえそうです。

私の疑問を書き直しますと、
この入門の時点は、脱藩、武士廃業の上の入門なのか、
それとも、藩士の身分で入門したのか、
どちらなのだろうか、ということになります。

新宮で分かるとおり、不白さんの土地は紀州です。水野家は
紀州徳川家の陪藩というわけです。
そして、紀州藩こそ代々表千家の家元が茶堂を勤めた藩で
あります。
とすると、どうも、武士の身分で入門したのではないか、と
思われます。今で言うところの、公務員の内地留学、あるいは、
大蔵官僚などもハーバードへ官費で留学しますね。さしずめ、
そんなところだったのでしょう。

しかし、不白さんの後半生を見てみると、特定の藩藩士として
の匂いが全く感じられません。何者にも束縛を受けぬ自由な、
一宗匠です。
やはり、武士は捨てて入門したのでしょうか。

一方、入門については、今もそうですが、誰でもが思いのまま
に家元の門を敲けるわけではありません。江戸期は堀内家が
その取次ぎを担っていたという記憶がありますが、一庶民が
簡単に入門を許されるとも思えません。
なんらかの、紀州藩のコネが必要と思われます。

入門の理由と冒頭に書いたのも、「茶道による出仕」あるいは
出世を考えていたとしたら、すなわち「武士の身分で入門である」
と明快な答えが出るわけです。

以上、これは十年来の私の疑問ですが、意外に明快な回答は
出ているのかもしれません。
ご存知の方のご教授を請います
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by tamon1765 | 2007-10-12 01:06 | 川上不白さん | Trackback | Comments(2)

教外別伝 不立文字

皆が口にするが、あまり疑問をさしはさまないらしい言葉。
それに対して、私は、ずっと「?」を背負ってきた言葉。
それが、
  教外別伝 不立文字
である。

そして、碩学が全く私の思っている事を言ってくれて、
飛び上がって喜んだものだ。

神田喜一郎 
そもそも禅宗は教外別伝といい、あるいはまた不立文字とも
いい、文字や言語を超越したところにその極地があって、
それは冷暖自知するよりほかに方法がないといわれている。
しかるに事実は、禅宗ほど古来多くの文学作品を生み出した
宗派はない。


然り、然り。
そして、ここからが碩学の独壇場。
同じく「事実と違う」と言えても、その次が想像もつかなかった。

いかにも禅は冷暖自知するよりほかに方法はないが、しかしそれ
に導くまでには、やはり文字や言語の力を借りなければならぬ。
ところが、もともと象形文字から発達した表意文字である漢字は、
その表面的な意味のほかに、無限の余情と含蓄をそなえている。
その漢字によって作られた文学作品は、そういう意味において
禅の妙境を象徴せしめるのに、これほど最適のものはない。
古来禅宗に多くの文学作品の生み出されたゆえんであろう。

(『五山の文藝』から なお、冷暖自知の暖は火へん)

漢字の有難味を改めて感じるとともに、最近、禅の文学作品を目に
する際、その意味を取ることにきゅうきゅうとして、無限の余情と
含蓄を味わっていない自分に気づく。
はたして、禅の妙境を感じ取れるか疑わしいものだが、もうちょっと
楽しんでよむことにしよう。
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by tamon1765 | 2007-10-09 23:55 | ことば | Trackback | Comments(0)

江岑夏書 112

十六日
一 茶入盆のせ申事、
  名物ならは、茶入見せ候時も、客からハ茶入斗を所望申候
  へ共、則、盆のせて出候て可然候、其時ふくさ御出候へと、
  申可然候、常二ふくさこい申事ハあしく候、今時ハ皆こい
  申候、右ハ名物数之内ニも見候時、茶入下二おかぬやうニ
  盆を見候共、ふくさの上二置見候て可然候、茶堂いたしや
  うも、いかにも左右ニたて候てよく候、
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by tamon1765 | 2007-10-06 09:58 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(1)

江岑夏書 111

十五日
一 竹のふた置の事、目をいろりの時、むかいへいたし候、又、
   一畳牛の時ハ、目を前へむけ申候、又、ふろの時ハ目をす
   じかへ候て、おき申候、
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by tamon1765 | 2007-10-05 23:28 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(4)

江岑夏書 110

十四日
一 古ハ小座敷之たたミハしき申候時、分中ツツ四方あけ申
   候、さて又、中柱立、牛畳ノたたミハいろりの時ハ、右ニ丸
   目見せ候がよく也、又ふろの時ハ、左に丸目見せ候がよく
   御座候、床のたたミハ丸目を前ニ見せ候様ニいたしよく候、
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by tamon1765 | 2007-10-04 23:27 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(1)

江岑夏書 109

十三日
一  表具ハ古より大事にいたし、常の人このミ申事ならぬやう
   ニ御座候、中尊と両わき相違之時ハ、表具中尊之上下を左
   右之中ニつかい、又、中尊之中ハ左之一文字二遣申候、中
   尊は中尊表具と申候て、表補給也、
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by tamon1765 | 2007-10-03 23:23 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(1)

江岑夏書 108

十二日
一 路地二水打事、客待うけ前、水打申候、客來て、水打候事
   悪敷候、さて、小座敷へ入、膳上候前ニ水打候、
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by tamon1765 | 2007-10-02 23:22 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(1)

江岑夏書 107

十一日
一  極熱ニ何も不成候時、自然水をすたれニ打申候、飛入之客  
   など高位ノ御出、内衆を御供ニ被召連、其當座到、座敷へ   
   引入候事候ハバ、きくのあしを取候て出候、心得在之事也、
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by tamon1765 | 2007-10-01 23:20 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(1)

気ま~まな独り旅


by tamon
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