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禅の 「無心」 を体現する

児童合唱ファンの私は、毎年、児童合唱の大会の放送を
楽しみにしている。
今日は、NHK全国合唱コンクール(関東甲信越ブロック)
を見た。突然の気温の変化とともに、合唱大会の季節なの
だな、と季節の移り変わりを感じた。

結論から言うと、小学生の歌う姿は、人間の美しい姿の
一つの究極ではないかとさえ思う。まさに天使である。
ここには何も邪念はない。
今この瞬間、彼らにはこの歌を歌う事しかない、おそらく。
その表情の何と眩しいことか。
勿論、顔の造作のかわいい子そうでない子もいるのだが、
どの子も、歌っているときの表情が、美しい。
どの子も魅力の塊であり、その子その子の素晴らしいものを、
深い感情を、この瞬間までの成長の来歴を、蓄積を持っている。
そんなことを感じた。

これが何故大人になって、皆魅力ない顔になってしまうのか。
おかしな犯罪に満ち溢れている現状も、皆この表情のまま
だったらありえないのに、とも感じる。
否、「皆魅力ない顔」は筆が滑ったというやつではあるが、
確かに、大人になってあのような輝きのある表情を皆が皆
見せている訳ではない、淋しいことに。
おそらくこれを書いている自分がその典型でもあろう。

翻って考えると、先ほど天使とまで呼んだこの子達も、この
舞台を一旦降りたら、醜い人間社会に戻っているのかもしれない。
「何故あの子ばかり」といった嫉妬、ルサンチマン、生きていく
上での他の欲望、雑事、同級生への評価批判、、、、
現実に、人数制限があれば、舞台に乗って歌う事も出来ない子
だっているのだ。いじめは無くとも、皆それぞれ心の中では
様々な思いがうごめく。実際私が子供の時も体験したことだ。

しかし、こんな素晴らしいものがこの世にあるのだ。
大事にしたい。
もしかして、禅の世界で言う「無心」あるいは「無事」を
体現しているのが、このひたむきな姿の児童合唱ではないか
と感じた。
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by tamon1765 | 2007-09-30 16:07 | Trackback | Comments(0)

江岑夏書 106

十日
一 水鉢、ぶんきからと石と申在之候、
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by tamon1765 | 2007-09-30 00:41 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(1)

江岑夏書 105

九日
一 むかしハ横竹の下かべなり、後ニ下あき申候、
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by tamon1765 | 2007-09-29 01:04 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(1)

江岑夏書 104

八日
一 花入之名、きぬた・かふらなし・魚耳・中かふら・かうじ
口・くるミロ・細口・ぞろり・きねのおれ・古銅・紫銅
一古の路地ニハ松・かしの木・かなめ・ひさ・木・すすき、
か様ノ木のたぐひ、竹・もミハ織部より植申候、
路地のつくり様、各別つくり庭のことくニいたし候、
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by tamon1765 | 2007-09-28 00:38 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(1)

江岑夏書 103

七日
一 恋の歌ハかけ候事、休不被成候、定家ニも三幅在之、
○わたのはらふりさき見れはかすかなる三笠の山に雪ハふりつつ
○八重もくらしけれるやとのさひしきに
○こぬ人をまつほの浦の夕なきにやくやもしほの身もこかれつつ
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by tamon1765 | 2007-09-27 00:35 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(2)

江岑夏書 102

六日
一 かうほねのはなハ、旦ハよくなきとて、御入不被成候、沢
ききやうハ事外御入候事、
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by tamon1765 | 2007-09-26 00:33 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(2)

江岑夏書 101

五日
一 ふたせいじすかしの有之、やがくのふた置と申候、唐二而、
机などノ先、火ともし候て、置申物也、五徳之ふた置ハ、
てつなり、作者開山と申よし御座候、ふた置、からかね、
ささいふた置・かに・ほやかうろ、これ大事有、いろいろ
ふた置有之事也、竹ノふた置ハ利初而切出し被成候、
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by tamon1765 | 2007-09-25 00:32 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(1)

雷蔵の映画「若き日の信長」「歌行灯」

雷蔵の映画「若き日の信長」を後半部分だけだが、見た。
有名な、幸若舞の人生五十年下天のうちを比べればの舞が、
早くて硬くて、私のイメージしていたものとちょっと違う。
本当の処、どんな舞だったのかなあ。
この映画の振り付け(幸若舞指導?)は誰だったのだろう。
尤も歌舞伎の大名題を背負っている人だけあって、見せる
ことは見せる。
比較すること自体、雷蔵丈に失礼だが、この2,3年前の
正月時代劇(テレビ東京)の伊藤ナントヤラの「信長」の
この舞など、器械体操の真似をしているお笑いにしか見え
なかったものだ。
若き日の現幸四郎が小姓(平手甚三郎役?)で出ているのも
新鮮だ。

雷蔵と言えば、映画「歌行灯」が私のお気に入りの映画だ。

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by tamon1765 | 2007-09-24 09:19 | 舞台の話 | Trackback(1) | Comments(6)

江岑夏書 100

一 すリはちの水さし、昔よりなんばん物なとに在之、らいほ
んの水指と申、かミなりのぼんと書申候、
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by tamon1765 | 2007-09-24 00:31 | 『 江岑夏書 』 | Trackback | Comments(3)

南山の雲と北山の雨

一切はべた一枚で差別がないのかといえば、そうではなく、
「苦中に楽あり、楽中に苦あり」で、苦しみと楽しみは一つ
でありながら、苦は苦、楽は楽と全く別でもあります。
苦に徹底して苦しみ絶対になれば、そこには楽と相対の苦
を越えた世界であり、苦楽一如というもおろかです。

「南山の雲と北山の雨」とは、凡情がないから、雨は雨、
雲は雲で、そのまま全真だというわけです。それらは無我
であり、無心であるから各自の真を発揮しながら、そのまま
一体であり得るのです。


以上、『碧巌録』第八十三則についての、大森曹玄師の話しから。
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by tamon1765 | 2007-09-23 10:53 | ことば | Trackback | Comments(1)

気ま~まな独り旅


by tamon
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