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休止します

駟も舌に及ばず
 を感じることがあり、
暫く書き込み休止します。
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by tamon1765 | 2006-11-26 11:15 | Trackback | Comments(4)

我儘から本当の生活が芽をふく

わたくしのこれまでして来たやうな、けちな辛抱からは、
いけないことや間違ひばかりが起こりましたけれど、
嘘いつはりのない我が儘からは、いくらでも、正しい、
ほんたうの生活が芽をふかうとしてゐたことに、この頃
やつと気がついたのです。

わたくしも、折角かうして、この世の中に生れ出さして
頂いたものですから、自分で一番正しい、と思ふことを
させて頂きたいのです。
正しい、といふことを言い換へれば、自分で一番したい、
と思ふことで、そのほかには、正しいなんてことは、
なんにもないのぢやアないでせうか。

人間が、しんにしたいと思つてすることなら、どんなこと
でもいい。

我が心の働きと思ふのが、悉くこれ天意なのだ。


 以上、里見弴 『 大道無門 』 から。
 私が名前を出すのも憚られるが、臨済和尚が繰り返し
 仰っていることと同じように思える。
 私には、里見の方が親しく、より素直に受け入れられる。
 里見の小説を読む喜びは、生きる喜びである。
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by tamon1765 | 2006-11-23 18:30 | ことば | Trackback | Comments(0)

利休さんについて思うこと

rtさんとのやりとりの中で、利休さんについての自分の考えている
ことを纏めようと思いながら、なかなか余裕がありません。
自分のための覚書として、幾つか列挙します。

・私は、ものごとには裏と表があり、視点の取り方により異なって
見えるものだと考える者です。
また、或る一方に偏った人間って居るとも思いません。
利休さんに関して、「わび」(この言葉自体難しいので、安易に
使いたくないです)の権化のように言われていますが、
そのように限定するのは、一面的ではないか、と感じます。
所謂わびとは異なった側面も多いように思います。
だから、どの時点の利休さんなのか、明示の上語るべきでない
かと感じます。

・利休さんは、人間としての強さがあり、又弱さもある人だと感じ
ます。ものごとには裏と表がある以上、当然です。
ただ、その弱い面が見過ごされがちなのではないかと思います。
強さとは、美を見出す力や美への思いそしてそのことの自己表現
のことを言いますし、
弱さとは、権力を握った者の生きようを今私は考えて言っています。
その弱さに注目してみたいと思うことがよくあります。

・利休さんは、自我意識が人一番強いよう思います。
その彼が最終的に意識したのは何か、と言うことも気になります。
死ぬことによってしか心の平安は得られなかったのでしょうか。
心の平安など求めないから自刃したのでしょうか。
或いは、歴史に名を残すことを最終目標にしたのでしょうか、
もちろん今の私には解らない問題です。
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by tamon1765 | 2006-11-23 17:51 | 利休さん | Trackback | Comments(0)

いよいよ華やぐ

年々にわが悲しみは深くしていよいよ華やぐいのちなりけり

岡本かの子「老妓抄」から
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by tamon1765 | 2006-11-22 03:37 | ことば | Trackback | Comments(4)

蜂の読経 (広隆寺)

『 京太秦廣隆寺大略縁起 』 を読んでいたところ、

  蜂多く集れり

との一文があった。
何だろうと思いながら読み流していくと、

  光明かがやき、羅かん集りて、大乗経の要文を読誦す。
  機見同じからざる故、凡夫は是を蜂と見る。
  太子のみ羅かん聖像と御覧し給。

と。聖徳太子は、蜂の大群を羅漢像と御覧になり、
ブンブン聞こえるものを、大乗経典の読誦の声とお聞き
なされるのだから、さすがお太子様だ。
蜂がそういう有り難いものと新たに知ったことが嬉しい。
この広隆寺には、蜂岡寺の称もあるそうだ。


<1812.31追記>
                      
<19.5.13追記>
・阿含経の六方礼経(善生経)を見ると、蜂の例が見出せる.
    財を積むに小より起こし、蜂の衆花より集むるが如く
    せば、財宝日に滋息(シゲ)く、終わりに至りて損耗無し.

と。内容は、財産つくりを勧める?と仏典になにやら相応し
からぬような気もしないでもないが、こんな教えもあるのだ。
                            
<19.5.21追記>
・蜂岡寺の称は、書紀・推古天皇十一年十一月にありました。
 
<20.1.21追記>                          
・『梅尾明恵上人伝記』には、十二歳の時として、
    又八幡大菩薩の御使とて、大なる蜂の四五寸
     計なる、飛び来りて云く、「汝此の山を去る
     べからず (云々)」
 
とあり、ここでも仏様のお使いである。
                             
<20.5.11薪の字を訂正>
・小学生の時の大切な遊び場が、
お太子堂というお宮さんだった。二宮尊徳の薪を背負っ
た石像が高く聳えていた。懐かしい場所である。

<24.12.13追記>
広隆寺の所在地は、京都市右京区太秦蜂岡町32。
つまり、蜂岡は地名でもあるのですね。
さらに、山号は、蜂岡山だったのですね。
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by tamon1765 | 2006-11-21 02:26 | Trackback | Comments(0)

手水ばち

手水ばち、めずらしく見事なる大石など無用なり (滅後七九) 
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by tamon1765 | 2006-11-18 09:13 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(1)

花入に相応する花、心得べし

花入に相応する花、心得べし。   (滅後七七)
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by tamon1765 | 2006-11-16 00:08 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(0)

仏前共にあるは、仏の御道具にて、打向かい

仏前共にあるは、仏の御道具にて、打向かい礼拝する衆生を済度
の相なれば、一段とこの方へ、生類の面も一足も、向て置付るが
本式なり。                   (滅後七六)
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by tamon1765 | 2006-11-15 23:59 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(0)

護国寺の『魯堂顕彰碑』

久々に護国寺を尋ねた。
前々から気になってるのが、
『 仰木魯堂顕彰碑 』 である。

護国寺茶寮群の成立は、高橋箒庵の尽力無くしては考え
られない。
そして、箒庵の依頼によるのだが、仰木魯堂さんこそ、
この茶寮の実質製作者と私は考えている。
そして、その事を記念するのが、『 魯堂顕彰碑 』である。
私は護国寺に行った際必ず、寄るようにしている。
場所は、宗澄庵・化生庵の南側の壁外であり、車で本堂前
に行く際の車道の大きなカーブのところだ。
そこは広場で、以前は4,5台分の駐車場にもなっていた。

ところが、8年位前だろうか、
この広場が石置き場になっていた。
建築資材の扱いなのだろう、立入り禁止を意味する
ストッパーが置かれていた。

今回訪れてみると、悲しいことに、今もそのままだ。
無理に植え込みの隙間から行かない限り、この石碑を
目にすることは出来ない。
とは言うものの、この石が又何とも程が良いのだ。
何はともあれ、護国寺に足を運ぶ度に、
魯堂さんにはこの素晴らしい空間を造って貰い、
私は魯堂さんに感謝している。

早く改善して欲しいものだ。


仰木魯堂については、
・熊倉功夫 『近代数寄者の茶の湯』 河原書店、平成9年
 の196頁参照。
手に入りにくいが、以下あり。
・『なごみ 1986、5月号』 淡交社
 この号は、「特集・仰木魯堂小伝」
・藤井喜三郎 『艸居庵記』 昭和55年


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写真は、護国寺不昧軒から見た庭の眺め 
      平成18年11月中旬のとある日
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by tamon1765 | 2006-11-15 12:52 | 近代の茶人 | Trackback | Comments(0)

三ツ足の物

三ツ足の物、凡、香炉など、みなみな足一つが前なり。 (滅後七六)
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by tamon1765 | 2006-11-12 23:57 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(0)

気ま~まな独り旅


by tamon1765
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