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生のすばらしさ

  「生のすばらしさ」はもっとも単純な「生」の事柄に
  はっきり意識が集中したとき、強く感じられる。
  生命が「生きている状態」をハッキリ自覚し、その
  「生命の味わい」を感じるとき、「生のすばらしさ」が
  あらわれる。


辻邦生 『モンマルトル日記』4月22日(集英社文庫)


生きているって事が、不思議で不思議でしょうがなく
思うことがある。
奇蹟そのものだ、私が今生きて存在しているなんて。
それ以上凄い事なんて、この世にあるだろうか。

ここのところ悲しい事件ばかりである。
皆、ほんのちょっとの考え違いをしているのであろう。

生きるって事は楽しい。
生きるって事は素晴らしい。
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by tamon1765 | 2006-10-31 23:55 | ことば | Trackback | Comments(1)

山居常住の境界

山居閑中の草庵程は、訪う人をも厭い離れたれ本意なるに、
客を待ち催したる心にすることあるべからず。
山居常住の境界なり。             (滅後七八)
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by tamon1765 | 2006-10-28 12:55 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(0)

日々是好日

『 日々是好日 』

御存知の禅語であり、茶席ではいつも見かける。
私も洗面台の脇に貼ってある言葉だ。

  ウン、今日もよい日だ、感謝、感謝。

私の拙い理解では、そんな程度だった。
それが、鈴木大拙先生の『金剛経の禅』を見ると......、烈しい。

そもそもこれは、碧巌録の第六則で、雲門文偃(唐末五代の人、
雲門宗の祖)の公案だそうである。

そして、大拙先生曰く、
   雲門の「好」は絶対の義である。彼の好日は絶対の現在である。
そして、
  過去がどうの、未来がどうのというのではなくして、即今一句を
  言えということなのである。「只今」「即今」「現在」、これが問題
  なのである。

そして、時間の話しへと続く。
  この只今、この現在、絶対の現在から立っている者から
  すれば、昨日も今日も不可得である、生も死も不可得で
  ある、有も無も不可得である。

と、断じられている。

なんと厳しい言葉であることか、
春風駘蕩とした言葉のイメージ(私の勝手なイメージではあるが)とは、
およそかけ離れている。
私の独り善がりの思い込みのなんと、浅いことよ。
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by tamon1765 | 2006-10-26 12:04 | ことば | Trackback | Comments(1)

茶の湯の心をを表す和歌

『 南方録 』には、よく知られるように、「わび茶の湯の心」を表す
和歌として、次のように書き残されている。
紹鴎は、定家の
   η 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
利休は、家隆の
   η 花をのみ待らん人の山里の雪間の草の春を見せばや
を、である。

ところが、『 石州三百ヶ条聞書 』を開いてみると、
先の定家卿の歌は、珠光さんが茶の心として選んだ歌ということ
になっている。そこには解説として(果たして、珠光が言ったのか、
石州が言ったのかは、明確ではない)
  山色清浄心とて悟て山の景気のそはたち
  清浄なる心を用て本体とす

とある。この解説とこの和歌との不一致も気になる所である。
なにしろ見ている物が、解説では山、歌は海、なのだから。
また、内容も、花も紅葉も無い景色と、清浄心とは同列に語りうる
ものか、やや疑問を感じる。

次ぎに、石州本では、珠光の弟子・引拙が、寂連法師の和歌
    η 淋さはその色としもなかりけりまきたつ山の秋の夕暮れ
さらに、紹鴎が、同じ寂連の
    η 村雨の露もまたひぬまきの葉にきり立のぼる秋の夕暮れ
を、「茶の湯の心」を表すものとして選んでいる。

伝書によって、和歌が異なる所が興味深い。
又、注目すべきことは、家隆以外皆、秋の夕暮れの歌であることだ。
確かに、「侘び」を考えた場合、季節は秋、時刻は夕が最も相応しい
とも考えられる。
その意味で、これから萌えいずるものを含む家隆の和歌は、逆に、
新鮮である。

一方、全て「秋の夕暮れ」とする石州流は、秋、夕暮れを基調とする
「侘び流派」であったろうか?、
残念ながら、私には答える資格は全くない。
このような伝書を残し伝える以上、なにか、意図する物があったはず
である、と思うだけである。
桑田忠親さんによると、
 ・石州は道安の流れを汲む茶人
 ・石州の茶には両面あり、窮極致は利休の茶道の侘びが理想で、
  その一方で大名貴賓向けのお茶を大成した(遠州の後任で、
  4代将軍の茶道師範の立場)。
 ・豪快さはないが、品がある。つやっぽい。
とのことだ。
石州という人をもっと知りたいと感じた。
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by tamon1765 | 2006-10-23 23:53 | 片桐石州さん | Trackback | Comments(0)

炭の次第より始て、一座一会の心

炭の次第より始て、一座一会の心、只この火相、湯相のみなり (滅後六)
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by tamon1765 | 2006-10-22 11:45 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(0)

三界出離の人は、却て三界に安坐す

三界出離の人は、却て三界に安坐す (滅後二)
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by tamon1765 | 2006-10-22 11:32 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(0)

仏心の露出する所

仏心の露出する所なり (滅後二)
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by tamon1765 | 2006-10-21 11:31 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(0)

火ををこし、湯をわかし茶を喫するまでのこと

火ををこし、湯をわかし茶を喫するまでのことなり (滅後二)
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by tamon1765 | 2006-10-21 11:30 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(0)

侘びの本意は

侘びの本意は、清浄無垢の仏世界を表して、....塵芥を払却し、
主客ともに直心の交 (滅後二)
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by tamon1765 | 2006-10-20 11:29 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(0)

うす茶の手前に極真あり

うす茶の手前に極真あり。 (滅後一)
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by tamon1765 | 2006-10-20 11:28 | 『 南方録 』 | Trackback | Comments(1)

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