カテゴリ:利休さん( 15 )

利休さんの遺偈は引用かも(2)


利休さんの遺偈は引用かも」という記事を読んで

くださった方がおられた。だいぶ以前の書き込みな

ので、自分でも読み返してみた(参照「力囲希咄」)。

併せて、このことは、世間ではどう扱われている

のかなと、ウェブ検索してみた。

*

すると、まず目に入ったのが、酷いものだった。

大手運営会社の、質問コーナーである。

*

質問「韓 利休ってどんな人?

回答「歴史に名を残した中国人の中に、そういう

名前の人はいません。日本の千利休の間違いでは

ないでしょうか」

*

呆れても物も言えない。

更にこれが、ベストアンサーというのだから(

いくら回答数が1としてもだ)、酷すぎる。

世間をにぎわす国内政治ニュースと合わせて、

世の中がどんどん薄っぺらくなっているようで、

情けない。

*

片や、「利休最後の和歌と幽斎」という記事を見つけ、

ワクワクし、いい勉強をさせてもらった。

私は、mixifacebook、インスタグラム、ラインも

何もする気がないので、それらの仕組みも分かって

いない。しかし、このような書き込みを目にすると、

他の記事も読んでみたいなあと、ちょっと興味が湧く。

まだまだこの世は捨てたものではない、どころか、

もっともっと自分自身しっかりしないと、の思いだ。

*

ところで、私自身の書き込みでは、これまで、根拠や

出典を自分で見易くするために、管理人のみ閲覧の

コメントに残してきた。万が一、出典を尋ねられた場合、

すぐに答えられるようにするためだ。

*

ちなみに、今回の「利休さんの遺偈は引用かも」の出典は、

・小松茂美「利休の死」中公文庫、1991年、p212

・近重真澄「茶道百話」晃文社、昭和217月、p199

  家蔵の晃文社版は21年発行だが、戦前の17年に

出版された模様。

・私は見ていないが、小松茂美上記によると、

柴山全慶師による論文が「禅学研究」(41号、昭和23

11月)に掲載されているという。

*

さて、過去の自分の書き込みを見て、意味不明なもの(

ばかりではあるが、汗)があり、訂正した。本日の訂正は、

表題に(お詫びと訂正)を追加し、本文は、行替えのための*

をいれたことだ。

禅と茶との関係(お詫びと訂正)

これは、私が「茶禅一味」は宗旦の著作でないと断定しながら、

その根拠が示せない間抜けな記事であった。

皆様のご寛恕を請願う。

見直すと、補足しないと意味不明の記事ばかりのような気が

してきた(トホホ)。

*

なお、mixiユーザーさんの、素晴らしい書込みに

リンクを張りました。

幽斎の研究をされている方とお見受けします。

こちらからの連絡の取り方が分からないので無許可

です。問題あるようでしたら、ご意見いただけまし

たら幸いです。

*





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by tamon1765 | 2017-09-13 15:47 | 利休さん | Trackback | Comments(0)

青山二郎「利休伝ノート」

青山二郎「利休伝ノート」講談社文芸文庫

とんでもない本が出ていたのですね(笑)
但し、あくまでもご本人の未確定草稿なので、私には、
意味不明というか、意図が読み取れないです。

青山二郎に詳しい人が、推測していくしかなさそうです。
そもそも青山は利休を、どのようなスタンスでどう思って
いたのか、そこら辺の基本理解というか、読み手なりの
考えがないと、同じ言葉でも、逆に読み取る可能性が
出てしまいます。

せいぜい、私にできることといえば、これら断片から、
勝手に私の想像世界に遊ぶことなんだろうな。
例えば、2番目のメモ

 総ての言葉は、[時と場所に依り相手次第にはかれている
事が証明されれば、]利休の・・・
(後略)

から、感じたことは、「その言葉の発せられた状況と文脈が
分からなければ、正しい理解も解釈も成り立つわけない
じゃないか。至極当然のことだ。」と思いました。

しかし、いっぽう、勝手なインスピレーションのヒントも
貰いました。単純に利休さんが正反対の言説をしていないか?
探してみるのも面白いかも・・・、なんて。

例えば、仮に利休さんによる正反対のコメントが発見
できた時に、それを言われた相手がどういう人で、どういう
状況なのか、なんて事が分かれば新たな考察ができるかも
知れない、と勝手な想像を膨らますわけです。




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by tamon1765 | 2014-04-16 22:47 | 利休さん | Trackback | Comments(0)

利休さんの亡霊(2)

かつて、利休さんの亡霊の話しを書きましたが、
「茶道古事談」にもありました。
(筒井紘一「利休茶話」1989年、学研刊。
  p244、324の孫引きです。)

結論としては、「常山紀談」と同じく、堀直寄の
勇気を秀吉が褒めるという話です。
其眼ひかりを生し、息さしに火気を吐ぬ」といった
言葉使いも内容も、殆ど同じです。
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by tamon1765 | 2014-01-05 22:21 | 利休さん | Trackback | Comments(0)

大晦日と元旦

利休さんが大晦日に、お歳暮のお礼として
紹鴎先生の元へ伺うと、紹鴎は路地で
枯れススキを刈っておられたそうだ。
そして、すぐにお茶となった。
そこには、花びら餅と味噌巻ゴボウのお菓子
があった。
それから利休も大晦日にはススキを刈り、
松葉を少しあげるようにしたという。
これは、改めて春を迎える心である。

と不白筆記にある。
そっか、薄を刈って新年を迎えるのか。
松葉も、いくらか片付けるのだな。
それにしても、元旦を迎えなくとも、重要人物が
訪問するのならば、もう正月としてふるまうのだ。
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by tamon1765 | 2013-12-31 21:56 | 利休さん | Trackback | Comments(4)

利休さん失脚の原因の記録

常山紀談の巻十六「越後国一揆堀直寄武功の事」の「附
千利休が事」に分かり易い記事があります。

と、前の記事で、続くといいながら、同じネタで違うこと書い
ているのですから、この落ち着きのない性格、何とかなら
ないか。

さて、内容は、よく言われる利休失脚の原因です。
江戸期からこういわれていた、という言い方をしますが、
まさにそれがここにありました。
面倒くさいので引用はサボりますが、そういうことです。
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by tamon1765 | 2010-04-07 06:45 | 利休さん | Trackback | Comments(1)

利休さんの亡霊

常山紀談の巻十六に面白い記事がある.
「越後国一揆堀直寄武功の事」に附りとして「千利休
が事」とある。

太閤ある時茶室に入て火をともし炭を入る時、千利休が
幽霊あらはれ来て黒き頭巾をかぶり、炉のかたへに座し
居たるが、目のうちより光生じ息に火を吐く。。。。
太閤炭を入れ終りて、無礼なり、とてはたとにらまれし
かば、利休が形退きて坐す。


結局のところ、単にこの段の主人公たる堀直寄が、豪胆
な性格だという素材に使われているだけなのであるが、
利休さんの亡霊という話は始めて聞いたので興味深く
思った。
この常山紀談自体、武家のエピソード集の性格があり、
広く文化人を取り上げたり、奇人を取り上げた書物では
ないようなので、このような取り上げられ方は、しょう
がないだろう。
森銃三氏の解題によると(岩波文庫中巻)、著者の常山は
太宰春台先生(すみません、私は信州の出なもので、この方
には必ず「先生」がつきます)に記述の教えを受けたと
いう。太宰春台先生といえば、抹茶家元を厳しく批判し
ていた方ですので、利休さんなどお呼びでないのかも
しれません。
それにしても、菅相丞になると思えばと、言い残した利休
さん。「目から光生じて、火を吐く」なんて、天拝山で雷神と
なった菅相丞そのものじゃないですか。

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by tamon1765 | 2010-04-06 06:44 | 利休さん | Trackback | Comments(0)

アンティゴネー

ソポクレスの『アンティゴネー』は、国禁を犯したテーバイの
王女アンティゴネーの悲劇である。

オイディプスの国テーバイは、オイディプスの死後、その息子
兄弟が王位を争うが、共に戦死し、その叔父が継ぐことになる。
新しい王は、先に、テーバイの王たらんと、外からテーバイ攻め
にやって来た甥(オイディプス王の息子のうちの兄の方) の屍
を葬ることを、国禁と定める。
アンティゴネーは、血を分けた兄を弔おうと、妹イスメネーを誘う。
しかし、その拒否を受け己の決意を語る。

生きている人に気に入られようとしても、時間はあまりに短い。
でも死者を愛する者は、永劫の時間の中で愛するのです。
私はそこに行きましょう。お望みなら(あなたは)生きておいで
なさい。生きて、最も神聖な神々の法に背きなさい。(E訳)

だってもずっと長いんですものね、あの世にいる人たちの、気に
入らなけりゃならない月日は、この世の人に対してよりも。
これから永久あの世で臥ているはずだから。でも、お好きなよう
に、神様方が尊ぶことをふみつけにしておくがいいわ。(K訳)


そして、アンティゴネーは、国事犯として捕らえられた後も、
叔父である王クレオン(そして、その息子ハイモンは許婚である)
に、力強く異議申し立てをする。

あなたの勅命はどこにも帰されず、変えられもしない神々の法を
無効にする力などありません。あなたは只の人間で、禁令は昨日
今日のものですもの。神々の法は永遠で、人間にはその起源すら
確かめられないのです。(E訳)

正義の女神が、そうした掟を人間の世にお建てになったわけでも
ありません。またあなたのお布令に、そんな力があるとも思えま
せんでしたもの、書き記されてはいなくても揺るぎない神さま方
がお定めの掟を、人間の身で破り捨てが出来ようなどと。
だって、それは今日や昨日のことではけしてないのです。この定
りはいつでも、いつまでも、生きてるもので、いつできたのか知っ
ている人さえありません。(K訳)



<26.9.1>分かり易くなるよう、文意を変えず、一部書き換える。

<20.11.22追記>書きかけのような何ともへんな文でした。
ちなみに、国禁を犯したアンティゴネーは処刑され、その後も
一族の悲劇は続きます。どうぞ原作をお読みください。

<20.11.18追記>何故これが、利休さんの分類か?
と訝しく思う方もおありと思います。
私は、この死をも恐れぬ気持ちと、利休さんの最後を
比べてみたいと思ったからです。
文章化するにまだ時間を必要とするかもしれません。
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by tamon1765 | 2008-11-10 19:21 | 利休さん | Trackback(1) | Comments(1)

利休さんゆかりの椿

西方尼寺(真盛山西方寺)=築地御所本光院門跡に、
北野大茶会の際に、利休さんが使った井戸があるそうです。

そして、今、五色八重散椿の大椿があります。
その木は、樹齢400年とのことです。
厳密に計算して、1608年に芽を出したとすると、利休さんとは
かすってもいませんが…
そして、その椿は、椿寺にある利休さん手植の散椿と同種だ
というのです。

利休さんとゆかりがあるのか無いのかは分かりませんが、
是非、見てみたいものです。



<20.9.30>「かする」の意味の勘違いを訂正
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by tamon1765 | 2008-09-26 07:57 | 利休さん | Trackback(1) | Comments(0)

利休さんの書


利休さんに、鳴海という祐筆がいたことは、
江岑夏書にあるとおりです。

村井康彦先生も『千利休』(日本放送協会)の冒頭で、
「なるミじいのこと---序にかえて---」と述べて
おられます。

さて、小松茂美『小筆の窓』をみると、
村井先生の本に触発されて(但し、書誌的には記述にミスがある
ようです)、研究を開始した氏が、まとめた結果が
  利休の手紙といわれる、366通のうち、手の違うものが、
  6種類あり(つまり、鳴海ひとりではない)、仮に6分類に 
  分けると、それぞれ、34、5、1、1、1、1の43通がある。
というから興味深いです。
まだまだ、秘蔵されていた所謂利休さんの書の発見があるかも
しれません。
実際、この文章「利休筆 額土代「妙」一字」でも、上の
366通の調査の後、不昧公の雲州松平家伝来の「妙」一字が
見つかったというのだから、嬉しいです。

私は、小松氏の本も、桑田忠親氏のものも、古本屋で見かけ
ても、箱から出すことさえ憚かってきましたが、今後は、
図書館ででも探すようにしてみようと思います。
いずれにせよ、今後の研究が楽しみです。

<20.1.21> 利休筆「妙」一字は、『利休の道統』平成2年、
野村文華財団にカラー写真あり。
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by tamon1765 | 2008-01-13 23:59 | 利休さん | Trackback | Comments(4)

利休さんの名前

不白筆記を見ると,
       利休居士、昔より名乗りなし。…
       けら判と云立判を読に方明と相見へ申候
      是ハ急度左様と被思候。
      師いかにも左も可有とて、……

とあり、不白さんは,
利休さんの名前は,ずばり、
      方明、マサアキラ
と言っている。
そして、師の表千家七代目如心斎天然さんも承認している。

確かに、お道具で目にする。

しかし、この名前があまり言及されないのは何故だろう。
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by tamon1765 | 2007-05-30 10:33 | 利休さん | Trackback | Comments(1)

気ま~まな独り旅


by tamon
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