常山紀談の巻十六「越後国一揆堀直寄武功の事」の「附
千利休が事」に分かり易い記事があります。 と、前の記事で、続くといいながら、同じネタで違うこと書い ているのですから、この落ち着きのない性格、何とかなら ないか。 さて、内容は、よく言われる利休失脚の原因です。 江戸期からこういわれていた、という言い方をしますが、 まさにそれがここにありました。 面倒くさいので引用はサボりますが、そういうことです。
常山紀談の巻十六に面白い記事がある.
「越後国一揆堀直寄武功の事」に附りとして「千利休 が事」とある。 太閤ある時茶室に入て火をともし炭を入る時、千利休が 幽霊あらはれ来て黒き頭巾をかぶり、炉のかたへに座し 居たるが、目のうちより光生じ息に火を吐く。。。。 太閤炭を入れ終りて、無礼なり、とてはたとにらまれし かば、利休が形退きて坐す。 結局のところ、単にこの段の主人公たる堀直寄が、豪胆 な性格だという素材に使われているだけなのであるが、 利休さんの幽霊という話は始めて聞いたので興味深く 思った。 この常山紀談自体、武家のエピソード集の性格があり、 広く文化人を取り上げたり、奇人を取り上げた書物では ないようなので、このような取り上げられ方は、しょう がないだろう。 森銃三氏の解題によると(岩波文庫中巻)、著者の常山は 太宰春台先生(すみません、信州の出なもので、この人 には必ず「先生」がつきます)に記述の教えを受けたと いう。太宰春台先生といえば、抹茶家元を厳しく批判し ていた方ですので、利休さんなどお呼びでないのかも しれません。 それにしても、菅相丞になると思えばと、言い残した利休 さん。「目から光生じて、火を吐く」なんて、天拝山で雷神と なった菅相丞そのものじゃないですか。 <この項続く>
ソポクレスの『アンティゴネー』は、国禁を犯したテーバイの
王女アンティゴネーの悲劇である。 オイディプスの国テーバイは、その死後、その息子兄弟で争い、 共に戦死し、その叔父が継ぐことになる。 新しい王は、先にテーバイの王たらんと、外からテーバイ攻めに 赴いた兄 (王にとっては甥) の屍を葬ることを、国禁と定める。 アンティゴネーは、血を分けた兄を弔おうと、妹イスメネーを誘うが その拒否を受け己の決意を語る。 生きている人に気に入られようとしても、時間はあまりに短い。 でも死者を愛する者は、永劫の時間の中で愛するのです。 私はそこに行きましょう。お望みなら(あなたは)生きておいで なさい。生きて、最も神聖な神々の法に背きなさい。(E訳) だってもずっと長いんですものね、あの世にいる人たちの、気に 入らなけりゃならない月日は、この世の人に対してよりも。 これから永久あの世で臥ているはずだから。でも、お好きなよう に、神様方が尊ぶことをふみつけにしておくがいいわ。(K訳) そして、アンティゴネーは、国事犯として捕らえられた後も、 叔父である王クレオン(そして、その息子ハイモンは許婚である) に、力強く異議申し立てをする。 あなたの勅命はどこにも帰されず、変えられもしない神々の法を 無効にする力などありません。あなたは只の人間で、禁令は昨日 今日のものですもの。神々の法は永遠で、人間にはその起源すら 確かめられないのです。(E訳) 正義の女神が、そうした掟を人間の世にお建てになったわけでも ありません。またあなたのお布令に、そんな力があるとも思えま せんでしたもの、書き記されてはいなくても揺るぎない神さま方 がお定めの掟を、人間の身で破り捨てが出来ようなどと。 だって、それは今日や昨日のことではけしてないのです。この定 りはいつでも、いつまでも、生きてるもので、いつできたのか知っ ている人さえありません。(K訳) <20.11.22追記>書きかけのような何ともへんな文でした。 ちなみに、国禁を犯したアンティゴネーは処刑され、その後も 一族の悲劇は続きます。どうぞ原作をお読みください。 <20.11.18追記>何故これが、利休さんの分類か? と訝しく思う方もおありと思います。 私は、この死をも恐れぬ気持ちと、利休さんの最後を 比べてみたいと思ったからです。 文章化するにまだ時間を必要とするかもしれません。
西方尼寺(真盛山西方寺)=築地御所本光院門跡に、
北野大茶会の際に、利休さんが使った井戸があるそうです。 そして、今、五色八重散椿の大椿があります。 その木は、樹齢400年とのことです。 厳密に計算して、1608年に芽を出したとすると、利休さんとは かすってもいませんが… そして、その椿は、椿寺にある利休さん手植の散椿と同種だ というのです。 利休さんとゆかりがあるのか無いのかは分かりませんが、 是非、見てみたいものです。 <20.9.30>「かする」の意味の勘違いを訂正 利休さんに、鳴海という祐筆がいたことは、 江岑夏書にあるとおりです。 村井康彦先生も『千利休』(日本放送協会)の冒頭で、 「なるミじいのこと---序にかえて---」と述べて おられます。 さて、小松茂美『小筆の窓』をみると、 村井先生の本に触発されて(但し、書誌的には記述にミスがある ようです)、研究を開始した氏が、まとめた結果が 利休の手紙といわれる、366通のうち、手の違うものが、 6種類あり(つまり、鳴海ひとりではない)、仮に6分類に 分けると、それぞれ、34、5、1、1、1、1の43通がある。 というから興味深いです。 まだまだ、秘蔵されていた所謂利休さんの書の発見があるかも しれません。 実際、この文章「利休筆 額土代「妙」一字」でも、上の 366通の調査の後、不昧公の雲州松平家伝来の「妙」一字が 見つかったというのだから、嬉しいです。 私は、小松氏の本も、桑田忠親氏のものも、古本屋で見かけ ても、箱から出すことさえ憚かってきましたが、今後は、 図書館ででも探すようにしてみようと思います。 いずれにせよ、今後の研究が楽しみです。 <20.1.21> 利休筆「妙」一字は、『利休の道統』平成2年、 野村文華財団にカラー写真あり。
不白筆記を見ると,
利休居士、昔より名乗りなし。… けら判と云立判を読に方明と相見へ申候 是ハ急度左様と被思候。 師いかにも左も可有とて、…… とあり、不白さんは, 利休さんの名前は,ずばり、 方明、マサアキラ と言っている。 そして、師の表千家七代目如心斎天然さんも承認している。 確かに、お道具で目にする。 しかし、この名前があまり言及されないのは何故だろう。
このような報告がある。
蜀は成都の人、韓利休の遺偈、 人生七十力囲希 肉痩骨枯気未微 這里咄提王宝剣 (里の字は衣編) 露呈仏祖共殺機 があるという。 十三世紀(以前?)のものだそうだ。 名前も名前ならば、偈の中に並んでいる 漢字も半分以上重なっている。 これは事実かどうか。 事実ならば、何をどう考えたらよいのか。
力囲希咄
柳田聖山氏によると、利休さんの偈の 「 力囲希咄 」 は、「 五山禅林の解釈では、船を出す時の掛け声 」 であり、 掛け声の音写だという。 つまり、エイッ、ヤアという気合い声というわけだ。 一方、小松茂美氏は、大修館の 『 禅学大辞典 』 (私は未見) により、 えい、えい、えい ( 忽然と大悟した時に発する声 ) としている。 死の瞬間に悟るのか、或いは、 自分で、死の瞬間に悟るという一つの物語を作って偈 を用意しておくのだろうか。 桑田忠親氏は、 真にしっかりと大法を会得するのは容易なことではないぞよ。 と、文章で利休の心を解釈している。 エイヤアよりは分かりやすくはある。 成る程、そんな風に読めるのか、と。 いずれにせよ、私にはまだ分からない。 とりあえず、「 リキ・カ・キ・トツ 」 (小松)、 「 リキ・イ・ク・トツ 」 (桑田)、 「 リキ・イ・キ・トツ 」 (村井康彦、筒井紘一) と、読み方もはっきりしないことが分かった。 <追記> アップした後の20分後に訂正。 読み方が分かったのではなく、それが定まっていないことが 分かったと、180度の訂正です。 <19.5.26追記> 村井康彦氏の読み方を追加。 とすると、「 リキ・カ・ク・トツ 」と読むのは誰だろう。 <19.11.23追記> 筒井紘一先生の読み方を追加。
rtさんとのやりとりの中で、利休さんについての自分の考えている
ことを纏めようと思いながら、なかなか余裕がありません。 自分のための覚書として、幾つか列挙します。 ・私は、ものごとには裏と表があり、視点の取り方により異なって 見えるものだと考える者です。 また、或る一方に偏った人間って居るとも思いません。 利休さんに関して、「わび」(この言葉自体難しいので、安易に 使いたくないです)の権化のように言われていますが、 そのように限定するのは、一面的ではないか、と感じます。 所謂わびとは異なった側面も多いように思います。 だから、どの時点の利休さんなのか、明示の上語るべきでない かと感じます。 ・利休さんは、人間としての強さがあり、又弱さもある人だと感じ ます。ものごとには裏と表がある以上、当然です。 ただ、その弱い面が見過ごされがちなのではないかと思います。 強さとは、美を見出す力や美への思いそしてそのことの自己表現 のことを言いますし、 弱さとは、権力を握った者の生きようを今私は考えて言っています。 その弱さに注目してみたいと思うことがよくあります。 ・利休さんは、自我意識が人一番強いよう思います。 その彼が最終的に意識したのは何か、と言うことも気になります。 死ぬことによってしか心の平安は得られなかったのでしょうか。 心の平安など求めないから自刃したのでしょうか。 或いは、歴史に名を残すことを最終目標にしたのでしょうか、 もちろん今の私には解らない問題です。
『 喫茶織有伝 』 (きっさしょくうでん)の
第一 「茶の湯本意の伝」 に次のような一節があるという。 それ茶の湯は客をもてなす道理を本意とする也 すき屋は六畳又は四畳半よきころなり、 かこひは三畳半をよきころとする也 二畳半、一畳半などは、客をくるしめるに似り 明らかに、利休批判である。 確かに、締め切った狭い閉鎖空間に、息のつまる思いを 感じないでもない。 そのせいか、このような考えもあることを知るとホッとする。 まさに、百人いれば、百のお茶があるのだろう。 ちょうど全ての人が、別人であるように。 晩年の利休さんのお茶は、相手に極めて厳しいものを 要求している、と思う。 崖っぷちで判断を求められるような、生身の刀を突き つけられているような、きつく鋭いものだ。 禅そのものが、そのような性格が強い様思われるので、 禅僧が書いたとされる 『南方録』 もそう成らざるを 得なかったのかもしれない。 < 前のページ次のページ >
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