カテゴリ:ことば( 67 )

クジサエ迷ウ恋ノ山

学生時代から好きな言葉
  「孔子さえ迷う恋の山
よく、ステキな異性と出会うと自分ひとりで
つぶやいていたものだったナア。
有名な言葉なのかな、慣用句かな、と思いながら。
出所は、巨匠石川淳の小説から。

すると、今朝、秋成 「蛇性の淫」 を眺めていたら、
  「孔子さへ倒るる恋の山
とあるではないですか。
いやあ、愉快。愉快。
やはり、ひとつの慣用句なのでしょうね。

今回もお茶に関係ない噺になってしまいました。
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by tamon1765 | 2010-01-26 23:00 | ことば | Trackback | Comments(4)

墨絵に書し松風の音


表千家七代目如心斎宗匠の
   茶の湯とはいかなるものをいふやらん
             墨絵に書し松風の音

の歌が気になっています。
平面の絵画から音が立ち上がってくるということは
はたして、どういうことなのでしょうか。

どのような文脈のなかで、語られているのかと出典を
紐解きますと、『不白筆記』のなかにあります。

歌の前に
 冬木喜平次より茶の湯の一品を如心へ所望致候得ば
 書て送りけるに

とあるだけです。

さて、私どもは会記を目にし、即物的にこの道具は
ナニナニでダレダレの作で、とお話しします。
一方、平面絵画から3次元的にその景色が現われる
だけではなく、妙なる音が響いてくるということは
とてつもないことです。

想像するに、ものをものと見ているのではなく、もの
そのものに秘められた物語を読み取ることであり、
ものとものとの関係性のなかから、別の世界を感じ取る
ということなのでしょう。
恐ろしく頭脳的な操作を行わねばならなく、且つ、
多くを感じ取りそれを膨らませられる感性が必要という
ことなのでしょう。
さらには、イメージの連鎖、本歌取りと言い換えても
よいかもしれません。それを行えるだけの蓄積を要する、
ということなのでしょう。

もっともっと修行が必要とあらためて感じました。
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by tamon1765 | 2009-08-25 22:58 | ことば | Trackback | Comments(4)

やってみせ、いって聞かせて

やってみせ、いって聞かせて、させてみて、
褒めてやらねば 人は動かじ


山本五十六の言葉 
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by tamon1765 | 2009-06-29 23:26 | ことば | Trackback | Comments(4)

私の大好きなお二人(辻邦生さん、水尾比呂志先生)の会話

日本と西洋をめぐってあれこれ議論するうちに、
邦生が「音楽はバッハ以外にあり得ない」と頑固に主張
するのに対し、水尾さんは「藁葺き屋根に降る雨だれの音」
こそ最高だとおだやかな低い声で言われた。
議論は夜更けまで続き、。。。。。

   辻佐保子 「 『たえず書く人』辻邦生と暮らして 」中央公論社

いいお話しです。
私は、ふっと能の雨月を思い出しました。
月は漏れ雨はたまれととにかくに賎が軒端を葺きぞわづらふ
とすると、バッハは月ですか。。。。

先日のお茶事は、あいにくの雨で、なかなか難儀でした。
でも、しっとり濡れた庭の風情の美しさに、自分の役割も忘れて
暫し見入ってしまいました。
雨、好きです。
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by tamon1765 | 2009-04-30 12:36 | ことば | Trackback | Comments(3)

気に入らぬこと

わが気に入らぬことがわがためになるものなり

鍋島直茂
お宮さんで頂いて来た 「四月 生命の言葉」 です。
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by tamon1765 | 2009-04-09 12:57 | ことば | Trackback | Comments(5)

不立文字のわけ

興味深いお話しを伺ったので書き留めておきます。

禅宗で不立文字といいますが、この理由がアッと
驚くと同時に、笑ってしまいました。

その理由とは、当時の禅のお坊さん達、文盲だから
という説です。

六祖慧能さんが、「本来無一物」を他人に書いて貰った
ということにそれ程疑問を感じていなかったのですが、
気が付かなかったです。
本当に、無一物の人だったのですねえ。

私にとって、晴天の霹靂モノでした。



<21.3.30>追記 小林秀雄による

これは、言語表現の難しさに関する異常に強い意識を
表明したものであって、自己表現の否定を言うのでは
ない。言語道断の境に至って、はじめて本当の言語が
生まれるという、甚だ贅沢な自己表現欲を語っている
ものだと考えられる。

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by tamon1765 | 2009-02-04 06:58 | ことば | Trackback | Comments(8)

冬の夜深き松風の音

色々の花も紅葉も
さもあらばあれ
冬の夜深き松風の音
         式子内親王


美しい様々な花もあろう、
目にも鮮やかな紅葉もあろう。
そのように美しくあるのならば、
それはそれで素晴らしい。
どうぞそのままでいて欲しい。
しかしながら、私の心に深く刻まれるものは、
今この冬の、夜の漆黒の闇の中、深いしじま
の中で聞こえてくる、松の林を揺らす風の音だ。
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by tamon1765 | 2008-12-28 09:53 | ことば | Trackback | Comments(0)

自然と趣向

一つ前の書き込みに対し、たろうさんから頂いたコメント
から考えたことが、大切なことと思うので記事にします。

鳥尾得庵居士のいう、「茶の湯における、野趣」という
ことについてですが、なかなか魅力的な言葉であります。

私は、「人工でない自然、作為のなさ、そして、そこに
見出せるもの」、そんなものをぼんやり思っていました。
もっと言うと、それは必ずしも美に限らず、例えば、
芒の寒々しい景色やら、もっと自然から受けるすべての
印象のようなものを思い浮かべていました。
でも、たろうさんに、「自然の美」とスパッと決めて貰って
スッキリしました。
私の言う「自然から受けるすべての印象」といっても、
まさに、美のことなのでしょう。

さて、これは、深い問題を内包すると思います。
「趣向」ということがお茶事で言われもしますが、
道具の所持も無く、そんなテーマ毎に何かをやることも
出来ず、いつも同じ道具でいいじゃないか、と考える私は、
必要なのは「趣向」じゃない、「自然」だと、言いたく
なるわけです。
実際、主題は有っていいのは当然ですが、余りに凝った
道具立ての茶会記を目にすると作為を感じ過ぎて、私の
求めるものと違うなと感じるわけです。また、金持ちの
大騒ぎの会など。

このように、自然を重んじるというと、では「自然とは
何か」という冒頭の設問に堂々巡りして戻ってしまう
わけですね。
そして、なぜ「自然が必要なのか」
「野趣と自然と、敢えて文言が違うのは何故」
と言う具合に。


<20.12.20追記>
表千家の而妙斎宗匠の言葉を引用しておきます。
「水の流れるように」
<20.12.25追記>
里見弴の言葉から 「我儘から本当の生活が芽をふく
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by tamon1765 | 2008-12-16 12:56 | ことば | Trackback | Comments(4)

伝授物は

伝授物は、初学者がともすれば複雑なものを
知りたがり、基礎的な明快な知識を有しないで
結局すべてに亘り甚だ漠然たる知識に終わって、
実際に当り何ら役に立たないのを防ぐ為の方法
としては、最も適当な制度である。


千宗守「お茶のお稽古」富書店、昭和22年
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by tamon1765 | 2008-12-12 23:21 | ことば | Trackback | Comments(9)

如心斎の辞世

如心斎の辞世

宗旦さんの辞世を目にしてから、家元宗匠の辞世が気に
なりだしました。
中興の祖とも呼ばれる表千家七世の天然如心斎の辞世は、
現家元家に伝来しているということです。

生也天然
死也天然
畢竟如何
天然々々

辛未八月九日 左(花押)


とあるそうです。
どんなにか、己の名前を愛しその意味を味わっていたのか
が分かります。普通ですと、一種ナルシストかと感じてしま
いがちですが、この宗匠なればそんなものを超越した次元
であろうことに思い至ります。
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by tamon1765 | 2008-09-02 22:50 | ことば | Trackback | Comments(3)

気ま~まな独り旅


by tamon
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