カテゴリ:ことば( 62 )

気に入らぬこと

わが気に入らぬことがわがためになるものなり

鍋島直茂
お宮さんで頂いて来た 「四月 生命の言葉」 です。
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by tamon1765 | 2009-04-09 12:57 | ことば | Trackback | Comments(5)

不立文字のわけ

興味深いお話しを伺ったので書き留めておきます。

禅宗で不立文字といいますが、この理由がアッと
驚くと同時に、笑ってしまいました。

その理由とは、当時の禅のお坊さん達、文盲だから
という説です。

六祖慧能さんが、「本来無一物」を他人に書いて貰った
ということにそれ程疑問を感じていなかったのですが、
気が付かなかったです。
本当に、無一物の人だったのですねえ。

私にとって、晴天の霹靂モノでした。



<21.3.30>追記 小林秀雄による

これは、言語表現の難しさに関する異常に強い意識を
表明したものであって、自己表現の否定を言うのでは
ない。言語道断の境に至って、はじめて本当の言語が
生まれるという、甚だ贅沢な自己表現欲を語っている
ものだと考えられる。

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by tamon1765 | 2009-02-04 06:58 | ことば | Trackback | Comments(8)

冬の夜深き松風の音

色々の花も紅葉も
さもあらばあれ
冬の夜深き松風の音
         式子内親王


美しい様々な花もあろう、
目にも鮮やかな紅葉もあろう。
そのように美しくあるのならば、
それはそれで素晴らしい。
どうぞそのままでいて欲しい。
しかしながら、私の心に深く刻まれるものは、
今この冬の、夜の漆黒の闇の中、深いしじま
の中で聞こえてくる、松の林を揺らす風の音だ。
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by tamon1765 | 2008-12-28 09:53 | ことば | Trackback | Comments(0)

自然と趣向

一つ前の書き込みに対し、たろうさんから頂いたコメント
から考えたことが、大切なことと思うので記事にします。

鳥尾得庵居士のいう、「茶の湯における、野趣」という
ことについてですが、なかなか魅力的な言葉であります。

私は、「人工でない自然、作為のなさ、そして、そこに
見出せるもの」、そんなものをぼんやり思っていました。
もっと言うと、それは必ずしも美に限らず、例えば、
芒の寒々しい景色やら、もっと自然から受けるすべての
印象のようなものを思い浮かべていました。
でも、たろうさんに、「自然の美」とスパッと決めて貰って
スッキリしました。
私の言う「自然から受けるすべての印象」といっても、
まさに、美のことなのでしょう。

さて、これは、深い問題を内包すると思います。
「趣向」ということがお茶事で言われもしますが、
道具の所持も無く、そんなテーマ毎に何かをやることも
出来ず、いつも同じ道具でいいじゃないか、と考える私は、
必要なのは「趣向」じゃない、「自然」だと、言いたく
なるわけです。
実際、主題は有っていいのは当然ですが、余りに凝った
道具立ての茶会記を目にすると作為を感じ過ぎて、私の
求めるものと違うなと感じるわけです。また、金持ちの
大騒ぎの会など。

このように、自然を重んじるというと、では「自然とは
何か」という冒頭の設問に堂々巡りして戻ってしまう
わけですね。
そして、なぜ「自然が必要なのか」
「野趣と自然と、敢えて文言が違うのは何故」
と言う具合に。


<20.12.20追記>
表千家の而妙斎宗匠の言葉を引用しておきます。
「水の流れるように」
<20.12.25追記>
里見弴の言葉から 「我儘から本当の生活が芽をふく
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by tamon1765 | 2008-12-16 12:56 | ことば | Trackback | Comments(4)

伝授物は

伝授物は、初学者がともすれば複雑なものを
知りたがり、基礎的な明快な知識を有しないで
結局すべてに亘り甚だ漠然たる知識に終わって、
実際に当り何ら役に立たないのを防ぐ為の方法
としては、最も適当な制度である。


千宗守「お茶のお稽古」富書店、昭和22年
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by tamon1765 | 2008-12-12 23:21 | ことば | Trackback | Comments(9)

如心斎の辞世

如心斎の辞世

宗旦さんの辞世を目にしてから、家元宗匠の辞世が気に
なりだしました。
中興の祖とも呼ばれる表千家七世の天然如心斎の辞世は、
現家元家に伝来しているということです。

生也天然
死也天然
畢竟如何
天然々々

辛未八月九日 左(花押)


とあるそうです。
どんなにか、己の名前を愛しその意味を味わっていたのか
が分かります。普通ですと、一種ナルシストかと感じてしま
いがちですが、この宗匠なればそんなものを超越した次元
であろうことに思い至ります。
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by tamon1765 | 2008-09-02 22:50 | ことば | Trackback | Comments(3)

本当の味がする生活

貧乏して、働いて、やっと食べ、やっと学び、やっと仕事する。
そんな生活こそ本当の味がするのではなかろうか。
勿論こういう年をして新たにそういう生活に飛び込むのは大分
勇気を要する。しかし、真に成長するためにはこれ以上温室生活
は許されない。今まで精神的にはともかく生活的に楽をしすぎた。
みんなからもてはやされすぎた。


「神谷美恵子日記」1946年2月16日
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by tamon1765 | 2008-06-04 12:56 | ことば | Trackback | Comments(1)

空気の香ばしさ

1946年4月17日
この頃の空気の香ばしさ、月の光の麗しさ、ただ呆然としてしまう。
沢山の詩が念頭に浮かぶけれど形をなさぬ中に消えてしまう。
男と女の愛と言うもののふしぎさ。
全く未知の世界にさまよい出てただただ驚き、恥じ入り(自分に
対して)、そしてしびれるような喜悦に身をおののかせている。


久々に本屋(ブックオフ)に立ち寄った。
「神谷美恵子日記」角川文庫、平成14年。
こんな本が出ていたとは、と驚き、あわてて購入(105円)。
さて、開いて、たまたま最初に読んだのが、上記の一節。
空気の香ばしさを敏感に感じとっているのだなあ、もっと自分も
そんな皮膚感覚を大事にしなければと思いながら、読み進むと、
どうも私のイメージするものと違う。

年譜やら色々と読みすすめていくと、32歳のこの年の7月3日、
東大理学部講師の神谷宣郎と結婚。
つまりその直前の、神谷に対する思いを含めた日記の一部分
だったのだ。

あまりにも高く聳える神谷美恵子さん(でもきつくは無い、
優しく聳えている感じ)であるが、やっぱりひとりの女性であり、
ひとりの人間なのだな、と至極当たり前のことに気付き、
猶一層近しく感じた。
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by tamon1765 | 2008-05-25 22:24 | ことば | Trackback | Comments(0)

水の流れるように

先程、とてもいい言葉を眼にしたので、引用しておきます。

およそ私どものお茶に取り組む姿というのは、淡々として
水の流れるようなのを、よしとしてきました。
すべてに極く自然であれということでもあります。
肩肘を張らず、自然な姿でこそ、主客のなごやかな交わり
が生まれます。
 水の流れるように自然な姿や、淡々とした心持で人を
もてなし、もてなされ、主客の心を一つに結ぶのが私ども
のもとめる茶の湯と申せましょう。


今の表千家流家元宗匠の言葉です。(一分引用を変えてあります)
2006年2~3月のNHK趣味悠々「茶をたしなむ」3ページです。
続けて、こうもあります。

先ず毎日の一服のお茶を大切に点てること、そして一服の茶は
「おいしいお茶」でありたいものです。


まさにそのとおりで、有難く感じます。
お稽古をするためにお茶をしているのではなく、「おいしい
お茶」を頂くためにやっているのですから。
そして、ここのポイントは、「先ず毎日の一服のお茶を」なの
でしょう。
まず私自身が、毎日一服のお茶を楽しむ心の余裕を持ちたい
ものです。
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by tamon1765 | 2008-05-11 11:35 | ことば | Trackback | Comments(4)

人生はマラソンのよう

民俗学者の谷川健一さん

人生は最後まで勝負の決まらないマラソンのようだ

今日の日経新聞「私の履歴書」である。
興味ある人だとやはり目がいってしまう。

1年のうち、三、四ケ月を旅ですごす日々を…
二十年間すごしてきたが、その民俗調査は、大学や
中央官庁や財団の援助を一切受けない、貧乏旅行で
あったというから凄い。
志の高い方は違うものだ。
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by tamon1765 | 2008-05-01 11:27 | ことば | Trackback | Comments(1)

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by tamon1765
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