カテゴリ:ことば( 62 )

心のゆとり

露伴先生が、寺田寅彦氏について言った言葉。寅彦の多能
多才を惜しんでこう述べたという。

「なんでもやってみるのは、心のゆとりが
 なかったせいだ。ゆとりがあって、生活が
 平和なら、そんなにいろいろのことを
 やらなくたっていいからね」


塚本康彦「能・歌舞伎役者たち」朝日選書508 p125

欲張りな私には、やや耳の痛い話だ。
私が欲張りであることを、家人も否定してくれない。
自分の興味あるものごとは何でも欲しい、自分の手元に
置いておきたい、何でもやってみたい、という人間である。
[PR]
by tamon1765 | 2010-10-26 22:03 | ことば | Trackback | Comments(0)

潮干のなごり

保田與重郎「潮干のなごり」を読み、その感性と美しい言葉使い
にしみじみし、私の心も大いに飛翔しました。


波のひいたあとに、しみじみと残り、海にひかず、砂浜にしみいる
ともなくゆきどころなくおぼつかない、あわれないとしさ、見てゐ
る方がわびしくなる浪の泡、海の水沫を、心に切なく「別れ」をい
だくもの思ひにふける

たえまないくりかへし、しかも単調な正しいくりかえしを、もの
思ふばかりに、しみじみと見てゐた万葉人の美観

天地の大なるものに身を投じてゐる古の人の姿が、つつましく
かなしい



以上、愛読する山桜さんのブログがきっかけです。感謝します。
[PR]
by tamon1765 | 2010-10-22 07:17 | ことば | Trackback | Comments(1)

文化の退潮

時代の変化にかかわりなく、美しいもの、価値ある
ものと、そうでないものをはっきりさせず、自分の
立場を明示しない現実迎合の、批評精神の欠落した
解説者や解説文が今は多すぎる。
私は便利さだけの機械文明に食い破られてゆく人間
の文化の退潮を見据えて発言しているだけである。


                   
原子朗「筆跡の文化史」講談社学術文庫p290
[PR]
by tamon1765 | 2010-08-29 14:14 | ことば | Trackback | Comments(0)

羞恥の楽しさ

私には結婚は羞恥の楽しさの連続であるようにおもえた。
一碗の茶をすすめる楽しさも恥ずかしさが加味されている。
・・・・
二人きりであるべき境界線の内を他人に窺わせまいとした。

           幸田文「こんなこと 啐啄」から
                

結婚生活をこんな素敵な言葉で聞いたことはない。
ゆっくり味わいたいし、この言葉から私の想いは
どんどん飛翔していく。
[PR]
by tamon1765 | 2010-07-01 06:48 | ことば | Trackback | Comments(3)

絶望はしなかった

絶望はしなかった、正しいと思っていたから。

白バラのフランツミューラー


高校時代に、上京し神田の古本屋街にはじめて行った際に
求めた本の1冊が「白バラ」なので、私には思い出深い。
ショルの学友のオトゥル・アイヒャー氏が、何十年か前に
来日したのも知らなかったのも、残念。
後に、ウルム造形大学学長も勤めたという。

方法は別として、
彼らの高い志は、何ものにも代えがたく貴い。

[PR]
by tamon1765 | 2010-03-31 21:08 | ことば | Trackback | Comments(1)

宇治橋の

宇治橋の神や茶の花咲くや姫

談林風で名を残した西山宗因の句。目にして、思わず
ニヤリとしたが、、繰り返し詠むと、滑稽感を感じるのみで
だからどうしたの、という気もしてくる。
私の心に余裕がないせいかな。
ちなみに、去来抄の中で、芭蕉は宗因を、この道の中興開山
なりと言っているのだから、気に留めておこう。
ただ、どうもねえ………
[PR]
by tamon1765 | 2010-03-21 05:37 | ことば | Trackback | Comments(0)

クジサエ迷ウ恋ノ山

学生時代から好きな言葉
  「孔子さえ迷う恋の山
よく、ステキな異性と出会うと自分ひとりで
つぶやいていたものだったナア。
有名な言葉なのかな、慣用句かな、と思いながら。
出所は、巨匠石川淳の小説から。

すると、今朝、秋成 「蛇性の淫」 を眺めていたら、
  「孔子さへ倒るる恋の山
とあるではないですか。
いやあ、愉快。愉快。
やはり、ひとつの慣用句なのでしょうね。

今回もお茶に関係ない噺になってしまいました。
[PR]
by tamon1765 | 2010-01-26 23:00 | ことば | Trackback | Comments(4)

墨絵に書し松風の音


表千家七代目如心斎宗匠の
   茶の湯とはいかなるものをいふやらん
             墨絵に書し松風の音

の歌が気になっています。
平面の絵画から音が立ち上がってくるということは
はたして、どういうことなのでしょうか。

どのような文脈のなかで、語られているのかと出典を
紐解きますと、『不白筆記』のなかにあります。

歌の前に
 冬木喜平次より茶の湯の一品を如心へ所望致候得ば
 書て送りけるに

とあるだけです。

さて、私どもは会記を目にし、即物的にこの道具は
ナニナニでダレダレの作で、とお話しします。
一方、平面絵画から3次元的にその景色が現われる
だけではなく、妙なる音が響いてくるということは
とてつもないことです。

想像するに、ものをものと見ているのではなく、もの
そのものに秘められた物語を読み取ることであり、
ものとものとの関係性のなかから、別の世界を感じ取る
ということなのでしょう。
恐ろしく頭脳的な操作を行わねばならなく、且つ、
多くを感じ取りそれを膨らませられる感性が必要という
ことなのでしょう。
さらには、イメージの連鎖、本歌取りと言い換えても
よいかもしれません。それを行えるだけの蓄積を要する、
ということなのでしょう。

もっともっと修行が必要とあらためて感じました。
[PR]
by tamon1765 | 2009-08-25 22:58 | ことば | Trackback | Comments(4)

やってみせ、いって聞かせて

やってみせ、いって聞かせて、させてみて、
褒めてやらねば 人は動かじ


山本五十六の言葉 
[PR]
by tamon1765 | 2009-06-29 23:26 | ことば | Trackback | Comments(4)

私の大好きなお二人(辻邦生さん、水尾比呂志先生)の会話

日本と西洋をめぐってあれこれ議論するうちに、
邦生が「音楽はバッハ以外にあり得ない」と頑固に主張
するのに対し、水尾さんは「藁葺き屋根に降る雨だれの音」
こそ最高だとおだやかな低い声で言われた。
議論は夜更けまで続き、。。。。。

   辻佐保子 「 『たえず書く人』辻邦生と暮らして 」中央公論社

いいお話しです。
私は、ふっと能の雨月を思い出しました。
月は漏れ雨はたまれととにかくに賎が軒端を葺きぞわづらふ
とすると、バッハは月ですか。。。。

先日のお茶事は、あいにくの雨で、なかなか難儀でした。
でも、しっとり濡れた庭の風情の美しさに、自分の役割も忘れて
暫し見入ってしまいました。
雨、好きです。
[PR]
by tamon1765 | 2009-04-30 12:36 | ことば | Trackback | Comments(3)

・・・


by tamon1765
画像一覧