カテゴリ:ことば( 62 )

稽古は花鳥風月にあり


口伝は師匠にあり、稽古は花鳥風月にあり

古靱太夫即ち山城少掾の言葉。


つまり、専門性は師匠に口伝で教わるものだが、

稽古とは師匠の前に座った時だけではなく、日常生活

のすべての場にある。花鳥風月をめでる心を以って

日常生活の中で気づきがなければならない。そのような

ものが稽古なのである


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by tamon1765 | 2016-04-18 01:07 | ことば | Trackback | Comments(1)

集雲庵の待合に掛けられた七條

茶式湖月抄 初篇上 から
集雲庵の露地松下堂を待合に用い、そこに掛けた看板の文


一 賓客腰掛けに来て同道の人相揃はば、版を打て案

内を報ずべし

一 手水の事、専ら心頭をすすぐを以てこの道の要とす。

一 庵主出で、請して、客、庵に入るべし。庵主貧にして茶

版の諸具そろはずは美味も又なし。露地の樹石天然の

趣その心を得ざる輩はこれより速やかに帰り去るなり。

一 沸騰松風に及び鐘声至れば客再び湯相火相の

差となること多罪多罪。

一 庵内庵外に於いて世事の雑話、古来これを禁ず。

一 賓客歴然の会、巧言令色、入るべからず。

一 一会始終、二時に過ぐべからず。但し、法話清談に時うつらば

制外。

                  南坊在判

   天正十二年九月上巳

右七條は茶会の大法なり。喫茶の輩忽せにするべからざるものなり

                  利休在判


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by tamon1765 | 2015-03-04 01:26 | ことば | Trackback | Comments(0)

桜が路地の主


路地に桜木ある時は桜の花を必ずいける。
口伝、有楽の歌。
我もまたここに詠めん山桜けふの主の花に任せて

(有楽流秘書)

桜の木は花の咲いている時は、庭の第一の主であり、
その時は茶室の中でもそれを楽しむがよいのであろう。
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by tamon1765 | 2014-01-02 21:59 | ことば | Trackback | Comments(0)

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

私ごとながら、だらしなさも、ここに極まれり、です。
今日5日にようやく年賀状に取り掛かっております。
このブログも見てのとおりの状態です。

不白流三代川上宗寿さんの狂歌を、書き留めておきます。
   寝て起きて 飯うちくふて 茶を点てて 
     死ぬまで生きて いるぞ楽しき


皆様にとって良い年でありますように。
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by tamon1765 | 2013-01-05 13:54 | ことば | Trackback | Comments(1)

その人、その人の茶の湯

茶の湯で大切なことは、その人、その人の茶の湯と
いうことを考え、行なうことであります。たとえ
少々の誤りがあっても、その人その人の持味を見取る
ことが、茶の妙味といえます。間違いが無ければ良い
ということではありません。


このように言って頂くと、ホッとするとともに、
逆に私自身の茶の湯を考え行っているかと
問われれば、一言もありません。
堀内宗心宗匠の言葉です。
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by tamon1765 | 2012-08-27 03:15 | ことば | Trackback | Comments(1)

和敬清寂

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JR西国立駅前の無門庵さんで
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by tamon1765 | 2011-10-18 09:05 | ことば | Trackback | Comments(0)

茶の湯を催すとき

茶の湯を催すとき、誰もが名器や名碗を
準備する必要はない。
しかし、茶の湯を催す以上は、客がその
心入れを感ずるような掛物を選びたいもの
である。

田中仙翁「茶の湯の魅力 掛物」から。

前半部は、名器や名碗を準備することの出来ぬ者にとっては
嬉しい話だ。まあ、当たり前と言えば、当たり前の話しなの
だけれど。

ところで、お客は茶の湯に来て何を見、何を感じるのだろうか。
掛物を見て、道具を見て、その日の趣向を感じ取ったとしたら、
大したものだ。
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by tamon1765 | 2011-10-03 14:15 | ことば | Trackback | Comments(1)

日々是好日


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by tamon1765 | 2011-03-15 18:10 | ことば | Trackback | Comments(0)

漁夫生涯竹一竿

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お軸 「漁夫の生涯、竹一竿(いちかん)」

味わい深いです。
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by tamon1765 | 2011-03-08 16:11 | ことば | Trackback | Comments(2)

道元禅師語録

年末に購入した「道元禅師語録」(講談社学術文庫)を、
ようやく開いてみました。
凡例やらまえがきやらをちゃんと読まずに、ぱらぱら
めくって眺める程度なので、この書物の来歴も分からずの、
はなはだ不真面目な読者です。

早速、吹き出してしまいました。省略して引用すると、

  私は、先生に出会って、目が横鼻が縦(眼横鼻直)で
 あることが分かって、もう先生に騙されなくなった。そこで、
 故郷に帰った。  (p20)

まあ、いい加減な引用なので不思議なニュアンスが付随して
いると思いますが、笑えるなあ。
小学生が聞いたら、何ていうだろうか。(これは、私は、小学
生的な素朴な感情を重んじているもので)
また、

  青山の常に運歩する 白石の夜児を生む (p36)

には、そのシュールさにぞっとしない思いでした。

とくだらないことを思いながらも禅の強烈な言葉には、
「かなわないなあ、私には合わないかもしれないなあ」と今更
ながら、ぼやいていました。私自身、野狐禅に陥ることを最も
嫌います。
しかし、道元さんの遺徳ですか?、とても悟りなどというもの
ではないですが、ふっと或る考えが心の中に湧き起ってきました。
それは、
「クヨクヨする必要もないし、ものごとに対して、嫌がる事も
不安がる事もない。
自分に自信を持って、あるがままでいい。
逆に、それ以上にはなれない。
自分に自分以上を求めることが欲張り。
少しでも自分の良い部分が出せればいいじゃないか。
そうなるように心がけることだけでいい。」
以上、自身への自戒の言葉となります。
お陰様で、それから今日一日なんだかスッキリ過ごせました。
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by tamon1765 | 2011-01-15 01:29 | ことば | Trackback | Comments(3)

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