カテゴリ:お道具とお茶室( 37 )

同じ茶碗が、同じでない

林屋晴三さんの講演記録を読んでいたら、オヤッと思った
処があったので、書き留めておきます。
何度かその謦咳に接したこともあり(といっても、1対1では
なく、講演を伺いました)、また、ご実家の茶園の見学会にも参加
させていただき、また著作ではお世話になっている方です。

さて、引用すると、
(雨漏茶碗の説明で) しかし焼けた当初は、窯跡で破片を拾って
みますと、井戸などというものはあんな色とは違うのです。非常に
きれいです。 (略)
ですから焼けてすぐ日本へ請来されたときは、井戸茶碗も雨漏も
今見るものとはちがって、いわば味のないものだったということ
もいえますね。


お話の流れから、「これら茶碗の美しさ、すばらしさは一朝一夕で
出来たものではない。三、四百年の長い蓄積によるものである。
そのことを味わってほしい。」 と言いたいであろうことは、よく分かり
ます。

しかし、大きな問題が残ります。
我々が今見る「井戸茶碗」「雨漏茶碗」と、応仁期、安土桃山期
江戸初期の同じ茶碗が、同じでないということなのです。
つまり、我々には、古さびて見えるお茶碗が、彼らの時代には、
つるつるのピッカピカだったのかもしれないのです。
その当時を想像して、林屋さんは 「味のないもの」 という言葉を
使っています。
しかし、その当時の彼らはそれを重んじています。
つまり、彼らにとって、「味のある茶碗」 だったのではないか、
とも想像できます。

とすると、
1) 当時のそのものの状態はどうだったのか
2) それを当時の人はどう評価したか
そこを正しく整理しないと、当時の人々の美意識とされるものが、
現代人の単なる勝手な思い込みに堕する危険があります。


似たような例では、たとえば、奈良の古寺を巡礼して、いいなあと
感じます。一方、韓国のお寺に行って、その極彩色にややウンザリ
します。
しかし、奈良のお寺も創建当時は朱塗りの極彩色だったかもしれ
ません。たとえば、薬師寺のご本尊も、金ピカだったでしょうか。
当時と現代では、死生観も宗教観も同じではありません。
深く考えてみたい問題です。


なお、林屋さんの講演は、昭和51年2月13日。第23回朝日ゼミ
ナール。表題は、『唐物と高麗茶碗』。
私は筆記録を目にしただけで、その場で聴いたわけではありません。



<校正>24.2.6 文意を分かり易くするため、一部加筆。
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by tamon1765 | 2008-06-29 12:37 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(6)

物事の好き嫌い

お茶碗の写真集を眺めていて、物事の好き嫌いということから、
いろいろと思う。
例えば、私は京焼きのカラフルなお茶碗は余り好みではない。
薄手で直ぐ熱くなることも私にとっては、困った要素だ。
同じように、九谷の緑や黄色の原色主義も、私の趣味と違う。
同様に、交址も違和感を覚える。

では好きなものといったら、伊羅保、蕎麦、井戸、井戸脇、
柿の蔕あたり。
ところで、手元の本(満岡忠成「茶陶」小学館)の雨漏の
小汚いこと。
染みだらけの老人の肌といった趣だ。
これが平戸松浦家に伝来し、不昧公も懇望したが手放な
かったという名品というから、この世は面白い。
現在は松永美術館蔵という。
蕎麦茶碗も、残月といい、青みがかり、口造りの蕎麦に
似た肌合い、私には魅力的だが、これを綺麗でないと見る人
も必ずいることだろう。
柿の蔕に至っては、名品「大津」(藤田美術館)と聞い
ても、「ナンダ、コリャ?」という反応が目に浮かぶ。

ふと考えてみると、ある意味「小汚い」ともいえる
このような器で、食品を出されたらどうなのかな、
とも考え込んでしまう。
極く常識的考えでは、やはり汚いと見えるだろう。

確かに、利休さんは清浄を重要なものとして、懐石の
器類は、新しい奇麗なものを使いなさいとの意味合い
のことを言った。
また、菓子であったか、器の中に懐紙を引いて出した
弟子を誉めたこともあったと記憶している。
おそらく古い菓子器だったのであろう。

これらのお茶碗を善しとする、茶人という種族は、
やっぱり、風狂の輩なのかも知れない。
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by tamon1765 | 2008-06-25 00:02 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

訶梨勒

先日、久しぶりに銀座へ出たので、鳩居堂へ寄った。
ここでは、二階の文房四宝を見るのが楽しみである。
そして、奥のショウウィンドウに暫し見とれた。
そこにあったのは、

★訶梨勒(カリロク)

もうそんな季節(お正月)なのか、と思いながら、
「で、この正体って一体何だっけ? まあ、おめでたい
ものなのだろうけど」といった程度の理解なので、
解説をよく読んできた。

本当はインドの喬木の名。果実は、薬用で、水毒を解く
という。そんなことからか、邪気払いになるそうだ。
その乾果や、その形をかたどった象牙・銅・石の摸製
を柱飾りにした。

e0024736_1343799.jpg


家に帰って、辞書を引いて漸く納得。
後世は、錦の袋に(その果を)入れて、色緒で飾って、
茶席に床柱にかけた、とある。
つまり、今私が見ているのは、中身があるかは知らぬ、
しかしその邪気払いになる訶梨勒の実が入っているで
あろう飾り袋をそれに見立てて楽しんでいるのだ。
東山山荘の柱飾りにされたと言うので、同仁斉の
あの柱に掛けられたのか、と想像するのも楽しい。

そして、
★伽羅
これが又程の良い、中国水墨画の景色を思わせる
ような木の塊なのだが、210gで210万円。
つまり、1g1万円。

★沈香
740g592万円、ということは、1g8000円。

どちらも、全くご縁のないもので、笑ってしまった。
それにしても、一緒に置いておいて香りが混ざって
しまわないのかしら。



<24.10.30追記>訶梨勒の写真追加
この写真が、鳩居堂に飾られていたものではありません。
この写真、以前にネットでとったものです。出典分からずです。
著作権違反ならぬことを祈るばかりです。

<20.2.11追記>
森田文康氏によると、今昔物語巻第二、二十に、訶梨勒を
服して「頭の病癒ぬ」との例があり、また、正倉院文書天平宝字
五年にも記述があるという。
754年鑑真和上来朝、天平宝字五年は761年。和上が将来したと
いう伝承も頷ける。

<20.6.16追記>
西村享氏によると、
五月五日の節句以前に、薬狩り---この狩りは紅葉狩り、桜狩り、
あやめ狩りなどと同じである---を行う。
そして、あやめやよもぎを入れ添えた薬玉(くすだま)を作る。
これらの強い香りが邪気を払うと考えられた。菖蒲湯、あやめ
を軒に葺くこと、あやめ蔓、あやめの挿櫛、葵祭りにおける
あやめの使われ方、皆同じものと考えられる。
この薬玉は糸所(縫殿の別所)で作られ、宮中の貴人の居処
近くに下げられた。
なかは麝香や沈香など、香料である。
枕草子37段、78段参照。
訶梨勒も、以上の流れの中にあるものであろう。
端午の節句のものが、何時しか歳旦ものになったのであろう。
その変化は、今後の課題である。
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by tamon1765 | 2007-11-18 13:10 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(2)

伽藍

香合などで、伽藍と呼ばれる造型がある。
伽藍といえば、直接的には、寺院の建物配置を一般に言う。
しかし、お茶の世界では、柱を支える礎石によって、そのお寺の建物・
その構成・全景を、ひいては仏様の御心を表しているのであろう。


e0024736_8193825.jpg


















これは信濃の国、善光寺さんの伽藍である。
確か、昭和30年代の松代群発地震でずれたものと聞いたような記憶がある。
柱が曲がっていて、大丈夫かしらと、心配される向きもあると思うが、ご安心を。
この柱の上にしっかりと国宝の本堂がお立ちになっている。
有り難いものである。

なお、礎石は飛石にも使い、伽藍石と呼ぶ。
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by tamon1765 | 2007-11-10 08:19 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(2)

泉屋博古館 「 茶道具 」 展

久々に、六本木、銀座へ行ってきました。
何がなんだか、昔と景色が変わって、困りました。
全くの、今浦島ですね。

目的地は、泉屋博古館。

実はこちらは初めてです。
といいますか、美術館自体、この前は何時何処へ行ったやら
という、体たらくです。

逆に、燃えました。イヤー、素晴らしかった。

パッと入った、第一展示室
先ず目に入ったのは、

◆小井戸茶碗「六地蔵」
おお、懐かしや。
といっても、美術館で目にした、写真集で見た、の程度である。
そして、遠州だな、目の前には伏見六地蔵の景色が浮かんでくる。
この喜びといったら無い。

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by tamon1765 | 2007-05-16 22:58 | お道具とお茶室 | Trackback(1) | Comments(0)

三柱鳥居の蓋置

七種の蓋置きの一つに、三つ人形がありますね。

その別バージョンとして、三柱鳥居の蓋置を見たような気がするのですが
家にある本をひっくり返しても無いのです。どなたかご存じ有りませんか?

 何故こんな事を言うかというと、京都は右京区の蚕の社と呼ばれている
木島神社を4月にお参りしてきたのですが、そこに三柱鳥居が存在するのです。
とても神聖な霊地であり、なんだか、自分自身が生まれる前のふる里のような
気がして(日本語おかしいですか?)、懐かしいというか、落ち着くというか、
いやいやそれ以上のなにものか、吸い込まれていくような感覚を味わいました。
ここは完全に時間の止まった世界です。

秦氏の神様であったろう事は容易に想像されますが、中村直勝先生も
「京都の神社の中で、最も深いものを包蔵する神社」
と仰っています。

 三柱鳥居の蓋置きに関する情報ご存じの方は宜しくお願いします。


<追加>20.10.9
参拝した江戸の三囲社の三柱鳥居へリンクを張りました。

<訂正>24.7.23
誤りを訂正します。
俗に三つ鳥居は、「三輪鳥居」(大神神社、牛島神社等)。
蚕の社、三囲社は「三柱鳥居」。
大変失礼しました
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by tamon1765 | 2001-08-18 19:56 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

五徳の由来

フトこんな話しを思い出しました。
(詳しい話しは忘れましたが.....)

   *****

 昔々、あるところに一匹の犬がいました。
また、片足の人(あるいは、生き物)がいて、たいそう困っていました。
その犬は、困っている様子を見て、神様に、
 「私は足が四本あって、一本無くなっても、それ程困らないだろう。
この一本の足をあげたいものだ」
と発心しました。

 神(八百万の神のどなただったやら...)は、この心を有り難く
受け入れ実現しました。
 そして、神様は、その犬に
 「おまえは、足は一本減って、三本足となった
  が、その徳は一つ増えたので五徳と呼ぼう」と。

その犬が今の五徳となって、永遠のものとなった。

   *****

というウソのような話しなのですが、若い時に読んで、感心しな
がらも、読み流してしまいました。
何という本で誰が書いたものなのかちゃんと書き留めておかな
かったことが悔やまれます。



<23.2.1>題名を、「語源」から「由来」に直しました。
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by tamon1765 | 2001-02-28 23:08 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(1)

気ま~まな独り旅


by tamon1765
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