カテゴリ:川上不白さん( 24 )

万倍も努力しなければ

不白筆記の一節
(私の現代口語訳=超訳)

    &&&

家業だからといって上手くいくものではない。
私が思うに、ご先祖様のおかげだなどと言って、
今楽をしているからこそ下手なのだ。
これは、先祖への不孝である。
どうやって先祖の恩に報いるべきだろうか。
それは、先祖のご苦労はどんなに大変だった
ろうかと思い致すことだ。
ご先祖が人一倍努力していたのならば、その
末裔である者は、一万倍も努力しなければ、
追いつかない。
それを忘れて、おのれの生まれを誇ったり
先祖の自慢ばかりして、今現在の自分の下手な
状態を忘れて楽をしていることは、不届きなこと
この上も無い。
昔の人は、道と徳に厚かった。
しかし、今の人は薄い。
このようなわけであるから、昔の人の万倍も
苦労を重ねないと、道に到達できない。

   &&&

徳に薄く、道遠い自分を実感する一節である。
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by tamon1765 | 2008-09-19 00:19 | 川上不白さん | Trackback | Comments(1)

不白さんは武士だった


私の不白さんの身分に対する疑問は、
武家史談会編『武家茶道の系譜』ペリカン社
を読んで、解決した。

そのなかに、川上宗雪「川上不白の茶道社会」がある。
ここでは、不白は水野家の家来(武士)であるのは、
当然じゃないか、という書きっぷりである。
引用すると、
・ 与えられた京都茶の湯留学も、紀伊家の政策であった
ことを思い起こす必要がある。(p222)
・ 不白は水野家の茶頭を嗣子に譲って後、諸家の江戸屋敷
に茶道指南として出入りを許される。(p250)
等など。

今回とても面白く思ったのは、不白さんと田沼意次の関係である。
不白の超人的とも言える、千家宣揚勢力拡充は、田沼という
権力者の故ではないかと言う考えだ。
とすると、田沼失脚後、後半生(晩年?)の不白さんが、町人の
中に入り込んでいくと言うのも、納得がいく。
時間を見て年表を眺めながら考えてみたい問題である。
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by tamon1765 | 2007-12-27 00:34 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

不白さんに関する疑問 (その身分)

まず、誤解無きようにお断りしておきます。
表題がやや相応しくなかったので悪いのですが、
私は不白さんを疑問の人であるとは断じて思っていません。
不白さんに関しての、私が以前から分からない、どうなの
かしらと疑問に思っていることを書こうというものです。

その疑問とは、不白さんの身分は何か、というものです。

ご存知のように、不白さんは、今の和歌山県新宮市で
水野家家臣川上五郎作の次男としてこの世に生を享けます。
そして、18歳のときに、表千家家元七世如心斎のもとへ
入門します。茶道入門の理由を私は掴んでいません。
尤も、これが分かれば、この問題は解決といえそうです。

私の疑問を書き直しますと、
この入門の時点は、脱藩、武士廃業の上の入門なのか、
それとも、藩士の身分で入門したのか、
どちらなのだろうか、ということになります。

新宮で分かるとおり、不白さんの土地は紀州です。水野家は
紀州徳川家の陪藩というわけです。
そして、紀州藩こそ代々表千家の家元が茶堂を勤めた藩で
あります。
とすると、どうも、武士の身分で入門したのではないか、と
思われます。今で言うところの、公務員の内地留学、あるいは、
大蔵官僚などもハーバードへ官費で留学しますね。さしずめ、
そんなところだったのでしょう。

しかし、不白さんの後半生を見てみると、特定の藩藩士として
の匂いが全く感じられません。何者にも束縛を受けぬ自由な、
一宗匠です。
やはり、武士は捨てて入門したのでしょうか。

一方、入門については、今もそうですが、誰でもが思いのまま
に家元の門を敲けるわけではありません。江戸期は堀内家が
その取次ぎを担っていたという記憶がありますが、一庶民が
簡単に入門を許されるとも思えません。
なんらかの、紀州藩のコネが必要と思われます。

入門の理由と冒頭に書いたのも、「茶道による出仕」あるいは
出世を考えていたとしたら、すなわち「武士の身分で入門である」
と明快な答えが出るわけです。

以上、これは十年来の私の疑問ですが、意外に明快な回答は
出ているのかもしれません。
ご存知の方のご教授を請います
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by tamon1765 | 2007-10-12 01:06 | 川上不白さん | Trackback | Comments(2)

雑司ヶ谷鬼子母神で

平成13年のこと、5月16日の「雅子妃殿下ご懐妊の可能性」
の報道に接し、翌17日に都電に乗って雑司ヶ谷鬼子母神へ
お参りしてきました。(鬼の字、第一画目は無し)
 こちらは、川上不白さんに縁があるとのことですが、興味深い
ものを拝見しました。

1.お茶のお釜がありました。
釜はなで肩切合せ鉄風炉で、中はセメントで固められていました。
雨曝しなので全体が錆で赤茶けているのが、ちょっとかわいそう
な気がしました。
その台座?になっている石には、「奉納 都流茶道 三世家元
荒木草栄」とありました。
私は、寡聞にして都流と言う流派を知りません。
さて、この石は割れて一部失われてしまったのか、建立の年代
の記述がありません。
連名の方の県名住所が旧字の縣の字なので、少なくとも戦前の
ものです。

2.「孤峰不白 一字一石妙経塔」がありました。
この石塔は、お約束の五輪の塔をみたすものでしょう。
表面には、「奉・宝・塔・一基」と刻まれ、その下は、
「南無妙法蓮華経」の石があり、台座となります。
その石の右には、「孤峰不白日祥居士 」別当日慈 」寛政辛亥」
の字が、左面は、無し。
裏面は、多くの字が記されてますが、私には読めませんでした。
そのなかには孤峰不白の文字もありました。
 そして、この「孤峰不白 一字一石妙経塔」を説明(?)・明示
する石は、9世宗雪、宗鶴、閑雪、不白会の名で昭和39年に建
てられました。
また、この塔字体は、寛政辛亥とあるので、1791年。不白さん
73歳だそうです。不白さんは、私には神田明神のイメージ
があったのですが、これで法華宗に帰依していたということが
良く分かりました。
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by tamon1765 | 2002-07-23 23:57 | 川上不白さん | Trackback | Comments(4)

気ま~まな独り旅


by tamon
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