カテゴリ:川上不白さん( 24 )

ワザと式



不白筆記の超訳です。
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お点前の動作は、とってもきっちりしているのが好いよ。
お点前の手順は、式の書に書いてある。
茶の湯で自信過剰のオレがオレが・・・を嫌うのさ。
というのも、上から目線で、他人のことを余計に考えて
いて、自分自身がしくじっちゃうんだよ。
皆自分のことだけをちゃんとやれば、皆がそろって
それぞれよく出来るのになあ。






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by tamon1765 | 2014-06-20 01:58 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

花月と数茶


不白筆記の超訳です。
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花月の対極は、数茶だね。且茶は、その真中さ。
というのも、花月は訓練という意味だし、数茶は茶の湯の心を
表現したものだよ。とは言っても、花月も数茶も偏り過ぎだから、
二つを一緒にした且茶が中道の茶の湯だね。
且茶のやり方の訓練はまさに花月のようだし、心がけは数茶の
ようだね。
こんなふうに裏表があるのも、練習と、茶の湯の心を、花月と
数茶の二つで知ろうってことさ。
数茶のようにのんびり練習をしてちゃダメだし、花月のように
ゲーム感覚の心じゃダメだね。
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by tamon1765 | 2014-06-19 23:56 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

わざと心

不白筆記の超訳です。
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お茶を上手く点てることが最も大事なことだ。
動作と心が一致しなければ、上手く点たない。
点てる動作と心が一体化すれば、お茶は良く
点つことだろう。
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by tamon1765 | 2014-06-05 22:48 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

廻花の心得


不白筆記の超訳です。
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廻花をやる上での心得は、真っ直ぐな花を順番に生けていき、
活気がないと感じたら華やかな花を生け一座を盛り上げ、一方、
華やかな花が続いたならば、軽い生けて落ち着かせる。
この心がなかったならば、騒ぎでおしまいになるか、
今日の会がすたれて終わるかで、よろしくない。
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by tamon1765 | 2014-06-02 13:25 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

花を生ける

不白筆記の超訳です。

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花は、花の心と己の心が一体になって、花の形を生か

して、生けるものだ。

あらかじめ工夫しておくことを嫌う。

手に触った時に、花に任せて工夫すべきなのだ。

天地のなかで自然に生まれた純粋無垢なものに、

私の余計な賢しらを加えて一体どうするつもりだ、

そんなものは加えちゃいかん。

以上のことが、廻り花については、猶あてはまる。

これはある意味、禅問答のようなものだ。何を聞かれ

るか分からないから、事前の用意なんて出来るもの

じゃない。

問答の心とはそのようにならざるを得ない、と

如心斉先生も仰っていた。

花を生けることについて、四清道という銘の花入れに

以下のようにある。

  竹の清きを切り、

  水の清きを盛り、

  花の清きを入れ、

  心の清きを楽しむ


26.9.12>不明部分に取り合えず試案を書き込み、他加筆
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by tamon1765 | 2014-05-29 01:03 | 川上不白さん | Trackback | Comments(1)

花月の終わり方

不白筆記の超訳です。
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花月は、全体に動きが多いので面白い。
それだからそこ、面白味が少ないよう何もなかったか
のように終わるのがいい。

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(笑)これでは、禅問答ですね。




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by tamon1765 | 2014-05-27 01:03 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

稽古第一なるべし


不白筆記の超訳です。
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花月は良く作られたものであって、これ以上云う事もないよ。
なかでも、札の存在は軽いようでいて、意味深いものだよ。
出来上がってしまうと、何でもないもののようだけど、札のことが
決まるまでは、半端なことじゃなかったね
この札のことは、最高に考えられたものなんだから、
この心得を得る稽古を第一に励まなきゃいけないね。
ただ花月は良いと誉めてばかりで、ウカウカしてばかりじゃいけない。
どの部分をもって良いと思うのか、ちょっと聞いてみたいよ。




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by tamon1765 | 2014-05-25 21:12 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

茶の徳は

茶の徳は心の涼やかにすること

不白筆記の一節
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by tamon1765 | 2011-07-31 07:23 | 川上不白さん | Trackback | Comments(1)

主客一致

ひとりで、お茶、紅茶或いはコーヒーを入れて飲むとする。
一口飲み、そして本を読む、あるいは音楽を聴く。
そしてまた、一口。
二口目を飲むために、お茶碗を手にすることに、何の不自然
さも感じない。飲もうと思うから手を伸ばす。
当然のことである。
しかし、ここで他人のお茶碗だったらどうだろうか。
人の飲みかけの茶碗を続けて飲むことは、ちょっとありえないし、
口にすべきものではないというこだわりがある。
状況によることに違いないのであるが。

さて、不白筆記を開くと、下記のようにある。

我と人との二身在るは茶道に非ず。
茶は人の飲みかけを飲みて茶の礼とするなり。
賓となり主となり、主客一致に真なるを以って
道に進むを願ふ。


人の飲みかけの茶碗を続けて飲むことにためらいを感じることは、
不白さんによれば、「茶の礼に反し、茶道ではないものになって
いる」ことになる。
こだわりやためらいもなく、日常生活の中でもごく自然に人の
飲みかけが出来るだろうか。
そこまでの境地に行けるものなのか。
この不白さんの一節は、私に突き付けられた大きな課題である。

茶の湯は常の事なり、と不白さんは喝破する以上、
茶碗の飲み回しがお茶席だけの事であったらそれこそ茶番である。

思うに、母と子(幼児)、恋人同士は、そのようなためらいが
ないよう思われる。
それだけ信頼関係に結ばれた一体関係にあることで可能であると
思うと、考えさせられる。
私には身震いのするような一節であった。
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by tamon1765 | 2011-07-29 08:08 | 川上不白さん | Trackback | Comments(1)

不白さんが武士であることの裏付け

古今茶人系譜(天保壬辰 1832 東岳成島司直)によると、
不白さんは、「紀州殿家老、水野家ノ臣、川上五郎作ノ次男、
通称亀次郎尭達ト称ス。茶道ヲ以テ召出サル
」とある。
ここから、武士という身分であることが分かる。
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by tamon1765 | 2008-10-13 21:58 | 川上不白さん | Trackback | Comments(4)

気ま~まな独り旅


by tamon1765
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