カテゴリ:川上不白さん( 24 )

水道橋心中


読む人によっては、あまり後味のいい話題ではないかも

しれません。そのことをご了解の上、お読み下さい。

 *

「享和雑記」p72を眺めていたら、川上不白さんの元にいた

若い男女が心中をしたという話が目に入りました。

校訂者三田村鳶魚による解題には、この水道橋心中は、

志満山人作「梛の二葉」として文政6年に刊行されたと

ありますから、江戸の或る時期には流布した話だったの

だと思われます。

 *

話の内容は、享和元年1801年、不白82歳のこと。

「酉十一月六日小日向水神の社辺にて相対死あり、若衆は

十五歳、娘は十六歳といふ」というものですが、娘は

不白の妾です。妾は5人、そのうち3人は17歳以下。

一方、若衆は、「(不白の)倅が仲間の与力の次男、容貌人並みに勝れ

利口弁佞なる生まれにて習ふともなく、茶湯をよく覚えて

年に似合わず取り廻す美少年あり」とあり、(不白の)寵愛又類なし

と。つまり、男色関係にあったということでしょう。

私としては、不白さんには、ややガッカリ……..

ですが、人は誰でも(私も)時代と土地の習慣の制約の中

に生きているのですから、今この瞬間の私の立場から

批判してもしょうがないです。

さて、娘がこの美男に恋慕し二人はそういう関係になった。

不白は知りながら空知らず顔をし、むしろその後は遠慮して

この妾をただ傍に休ませるだけにして、労わってあげた。

いずれ、少年を与力にし、この妾を遣わしてあげようと

思っていたが、「不慮の事出来て愁嘆いうばかりなし」。

娘は懐妊し、不白の心を知らずして、二人で死を選んだ

ということです。

恋はお家の御法度の時代ですからねえ。

この作者(柳川亭と自称しているが詳らかならず)は、

激しい非難とは思えませんが、不白の奢りをたしなめていると

いった趣です。

 *

どっかで、この話を読んだなあ、と書棚をさがしてみました。

 井口海仙「随筆茶道」平楽寺書店兌s18.12にありました。P126

 矢田挿雲「江戸から東京へ」無かったです。

 武江年表にもありません。

 *

井口氏は、何か別の種本があるのでしょうか。幾分違いが

あり、気になります。不白の妾に変わりないですが、十七八歳。

近所の若者と愛し合うようになり、家出した。

不白はすぐ彼女の手文庫を見たが、小遣いにあげた金子が

残っていたので、「あの女はキット死ぬ気だ。早く探し出して

呉れ」と捜索させた。が、時遅し、早稲田の田圃で情死していた。

金を残して出奔するは生命危し、とのことで、井口氏の最後の

コメントは

「不白は、茶の湯のことのみではなく、世事にも、中々詳しい

人物であつた事が、この逸話でよく知れる。」

こんなまとめ方でよろしいのでしょうか。

私には大いに疑問ですし、不満です。



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by tamon1765 | 2017-05-24 18:55 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

宗心宗匠が不白筆記の現代口語訳を

先月のこと、図書館から花月の本を借りてきて、

開いてびっくり!

宗心宗匠が、不白筆記の口語訳及び解説をして

いるのです。それも何年も前の出版。

「花月に関する文章を抄出」と仰って

います。

私の出る幕は無い、とやる気減退・・・。

と、すっかり別ジャンルを読む日を過ごしてしまい

ました。

まあ、気を取り直して、いくこととします。


世界文化社 200810

堀内宗心著

「茶の湯の修練1 七事式[表千家流] 花月」


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by tamon1765 | 2014-12-11 15:03 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

古法を能考へ又時ヲ見ル事肝要也

不白筆記の超訳:

昔からのやり方をよく考え、且つ又、今の時代を見る

ことが大事だよ。やり方は、改良することも、ぶっ壊す

ことも出来るものだ。現在のやり方を芯にして、現代風に

アレンジ出来るのが名人の第一条件だ。
良く工夫すべきだね。


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by tamon1765 | 2014-11-04 11:33 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

茶道を職とする者

不白筆記の超訳:

茶道のプロには必ず我儘があっちゃいけない。

茶道を自分のもんだと、思っちゃいけない。

茶道のやり方や決まり事は、天下の法だ。

茶道とは、預かりものと心得よ。

周囲に任せっきりだったり知らないことをいい加減

にしたまま、知識も心も足らない者が、人に教えて、

その人の芽を摘んでしまうことは、天下の法に傷を

つけるというもんだ。

我儘はいけないという、この一言をよく合点すれば、

今の法を守っていくことに関しちゃあ大丈夫だね。

くれぐれも我儘があっちゃいけないね。

我儘ってもんは、暫くは人に強制を押し付けている

ようなもんだけど、最終的には自分の道を壊すことに

なるのさ。




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by tamon1765 | 2014-11-03 02:39 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

ナラヌ所もアレ共

不白筆記の超訳:

必ずしもそうってわけじゃないけど、基本は、左に

ある物は左手で取って、右にある物は右手で取るって

もんさ。その次にその物に近づいていくんだ。

さて、物を取る時に体を近づけていくのは、格好が悪い。

手を伸ばしていき届かないことで初めて身を乗り出す。

これが、メリハリってもんだよ。


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by tamon1765 | 2014-11-02 22:07 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

カタチニテ

不白筆記の超訳:


型について言うと、お点前は、ずっと連続して一筆書き

のような動きになるものではない。これはメリハリが

無いというものだ。一息で一文字づつ書くような動きが、

メリハリの利いた良い振る舞いというものだ。

ずっと連続している動きは、それきり止まってしまう。

一息づつの動きは、いつまでも続き途切れることがない。

続く)



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by tamon1765 | 2014-11-01 01:38 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

守破離

不白筆記の超訳:

守破離という三字は、軍法の教えにある。

シュは守る、ハは破る、リは離れるということだ。

生徒に教えられるのはこの「守」ばかりだ。

生徒は「守」を習い尽くせば、自分から自然と破る

ものである。これは、前に述べた、自分のものと

なった状態になったからである。

上手のレベルといえよう。

ところで、守だけでも車の片一方だし、破だけでも

車の片一方だ。この二つを離れてこそ名人のレベル

なのだ。守と破を合体させ、さらにそこから離れ、

しかも守ることなのだ。(ここでいう守は、初め

から言っている守とは違う。初めの守と今の守の

違いを分かってもらえるかな?)

この一段は、本当に大事なだ。

工夫してほしい。




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by tamon1765 | 2014-10-31 22:18 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

上手と名人との段

不白筆記の超訳:


上手と名
人には、差がある。
上手といわれる人は、型や振る舞いをよく学び

消化して自分のものとしている人で、自由自在
に動ける人である。

しかしながら、ここから離れることは難しく、
それ故、上手のレベルに
とどまっている。

名人といわれる人ここから離れることが出来た
が故に、名人なのである。


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by tamon1765 | 2014-10-30 21:54 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

稽古ヲスル時殊之外わるく成りたると思う事有リ

不白筆記の超訳:

稽古していると、なんだかとっても下手になったと感じることがある。

これは、上のレベルへ上がるステップだね。

そのわけは、稽古をしていて心のままに動けたときなのだけど、

心のままに動けるようになると、そのまた上を願うようになる。

その思ったとおりに稽古をやっていくと、又下手になったように

思ってしまう。稽古を一生懸命やって、何で下手になることがあろうか、

そんなことあるわけがない。

この下手になったように感じる心境は、充実しているときの心境なのだ。

とにかく、稽古を進めていけば、何度でもぶつかることなのだ。

悪い教育者は、こういうことを心得てないために、生徒の成長が
止まってしまうものだ。

<26.11.2>タイトルを訂正


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by tamon1765 | 2014-10-29 20:20 | 川上不白さん | Trackback | Comments(1)

修行ハ師につかへ

不白筆記の超訳:


修行は、先生について学び、良い段階に到達したら、先生

から離れるのがいい。その後再び、その先生に学び、二度

修行するのがいいだろう。

というのも、私の経験からなのだ。

私は先生に十年ついて学び、心の中でもういいだろうと感じて、

京を去り江戸へ来た。また大坂へも行き、様々な茶の振る舞いに

出会った。そんななかで、生徒をとったことだ。難題に出会う

たびに、逆に、道は開けていったが、何やら心はしっくりせず、

不自由さが残った。

そののち、先生の元へ戻り一遍修行した後に、パアッとにわかに

道が開けた。

教師たる者、このように、先生から離れ広く研鑽を積んだのち、

今一度先生に仕えるべきだよ。


<26.11.5>最終行の誤字を訂正、

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by tamon1765 | 2014-10-25 21:23 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

気ま~まな独り旅


by tamon