カテゴリ:舞台の話( 29 )

ただただ悲しい、訃報

>訃報:関根祥人さん50歳=能楽師シテ方観世流
> 関根祥人さん50歳(せきね・よしと=能楽師シテ方観世流)
>22日、急性大動脈解離のため死去。葬儀は7月3日午後1時、
>東京都文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿。葬儀委員長は
>観世流宗家・観世清和さん。喪主は妻治美(はるみ)さん。

ショックで言葉もありません。
私、顔の引きつりがとまりません。

私の最も愛する能楽師さんです。
能に距離を感じることがあっても、この方だけは見たいと思って
いました。つまり、私には能を超えた存在でした。
多くの方に、この人ほど凄い人はいないと伝え、実際虜になって
しまった方も何人もいます。

私の中の何物かが終わったという喪失感。。。。
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by tamon1765 | 2010-06-23 20:42 | 舞台の話 | Trackback | Comments(2)

歌舞伎の「型」

現代俳優のいわば異邦人的な感性を以って、伝統的な
「形の心」が理解できない(観客にも理解してもえらえ
ない)からといって、恣意的に、安易に「型」に手を加え、
自己流の演技を創り出すことは、激しく戒めておかねば
ならない。


服部幸雄「 型掌論 ---歌舞伎の「型」に関する覚書---」
から

なんだか、最後に外人の警察が出てくる芝居を連想しま
したよ。勿論、テレビで(それも、ながら族で)しか見て
いません。
ただ、そのような入れ事や型の変更ができるということ
自体、その部分は芝居としての緊張のない部分であると
考えます。
内容によっては、芝居への冒涜と感じるものもありますが、
人それぞれなので、難しいですね。
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by tamon1765 | 2009-07-11 22:09 | 舞台の話 | Trackback | Comments(3)

春は張りつつ秋は散りけり

書をひっくり返していて、こんな歌を目にしました。

 山城の久世の鷺坂神代より春は張りつつ秋は散りけり

万葉集にあるとのことで、現代口語訳しますと、
(一二句は固有名詞なので、端折ります)

神代の昔から春は芽が膨らんで、秋は散ってしまうんだなあ

というわけで、なにやら余りの自然と言いますか当然ということ
になるわけですが、柳緑花紅を連想させ、とても好ましい和歌との
思いを深くします。
春は皆芽を出し、秋に散っていく。。。。
楽しい事あれば喜び、悲しい事あれば涙する。。。。。、
私の今の人生そのものです。最近、真実はそれしかないのでは
ないか、そんなことを思う日々です。

さて、先に無視した地名、そしてそれこそが大切なわけですが、
悔しいことに久世も鷺坂も存じ上げないです。
素人考えでは、久しい世が神代の縁語というか繫がる言葉であり、
尋ねたい地ではあります。
ところで、鷺坂といえば伴内。忠臣蔵でお軽に横恋慕する御仁です。
もっとも、三馬の変稚気論によれば、彼こそ忠臣というのですから
それはまた笑えます。
何度も見た「落人」で、思い出すのは、歌昇のきっちりと踊って唸り
たくなるような伴内(アレ?それじゃいけないのかな?イヤイヤ
いい伴内でした)。
そして昔、天地会でみた、志寿大夫の伴内。
これは最高に笑えました。
勘平の「よく来た、伴内」という科白を、つい自分で言ってしまい
思わず右手を口に当ててしまうあたり、チャリの伴内そのものでした。
勘平役の良恵(現水谷八重子)の笑いが止まらなくなって芝居が
進行しなかったことも思い出します。笑い上戸かしら。
ちなみに、お軽は海老蔵時代の現団十郎。
思うに、浅野は違鷹羽。鷹に対する悪役側の鳥として丁度地名から
鷺坂を見出し選ばれたのかと愚考しますが、やはり何故鷺が、の思い
は残ります。
何せ、能の世界では鷺は五位の位を授けられる神聖なる鳥ですから。
五位といえば天上人ということで、畏れ多いです。
舞台でも神に近い(と私が思っている)老人か子供でないと演じら
れないのもご存知のとおりです。
白無垢の鷺。
フト、その昔、木版で年賀状を作っていた頃、鷺の舞台面を彫った事
を思い出します。天冠に両翼を広げた鷺を見せて、分かる人にだけ
分かればいい(そのあたり今と全く変わりない、苦笑)だったのですが、
全面朱で刷りましたね。
今思うに、どこが白い鷺? 全然分かっていない私。
思わずお顔がほころびます。

何か取りとめもない、年寄りの茶飲み話になってしまいました。
最後までお付き合いの方、失礼致しました。

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by tamon1765 | 2009-06-24 23:02 | 舞台の話 | Trackback | Comments(6)

「世阿弥発見100年」

早稲田の演劇博物館「世阿弥発見100年」へ行きました。
吉田東伍さんの特集です。
ゆっくり見たかったのですが、時間がなくて残念。
こういう人こそ、もっと掘り起こして欲しいとつくづく思う。

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by tamon1765 | 2009-03-16 22:11 | 舞台の話 | Trackback | Comments(1)

近松の茶の湯理解

「鑓の権三重帷子」を手に取ってみると、近松の茶の湯理解
あるいは、当時の様子が伺われて興味深い。
いくつか拾って見ると、

近国の御一門方御振る舞い御馳走の為、真の台子の
茶の湯なさるべし
 p71

御家中弟子衆の中、真の台子伝授の方へ、御広間本式の
飾り物等勤めさせ申せ
 p71

(真の台子について)師匠市之進一流は、東山殿よりテキ伝、
一子相伝の大事なれば
 p71
台子は足利八代義政に始まると意識している。

幼い時から茶杓の持様、茶巾さばきも習うて置や  p78
袱紗と茶巾の混同か?

翻す涙の袖雫、絞る茶巾の如くなり p80
こちらでは、袱紗との区別が確か。

それにしても、憎っくき伴之丞に、2人の帯を取られて、
大音声で「不義の密通数奇屋の床入。二人が帯を証拠。」と
呼ばれた後は、どうだ。
それまでは、権三と浅からぬ関係のお捨を登場させることで、
おさゐの嫉妬心に火を付け、じゃらじゃらした場面であった。
私としては嫌な一節である。
がしかし、ここで一瞬にして、その後の消え入るような悲しみ
苦しみの場面へ変わる。
まさに、暗転。
この筆法の物凄きこと、まさに天才近松である。


頁は岩波文庫による。
2月5日、読了。


<21.5.12>文を読み易いように一部訂正
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by tamon1765 | 2009-02-25 12:48 | 舞台の話 | Trackback | Comments(0)

六代目歌右衛門の出生


伊臣眞「観劇五十年」を眺めていたら、オヤッと思う処が
あったので、ご存知の方には教えて欲しい。
それは、

現福助は….現歌右衛門の二男となつて居るが
実は先代福助十八歳の時生まれた子だと云ふ


この手の話を快く思わない方はここで読むのを止めて欲しい。

なにぶん昭和11年印刷発行の本なので、現福助は亡くなった
六代目歌右衛門、現歌右衛門は五代目、先代福助は慶ちゃんの
福助こと七世福助で今の芝翫丈の父上、と読み替えて欲しい。

記憶はかすかであったが、前回も同じ様に思ったのであろう
鉛筆でしるしがしてある。

一方、晩年相手役に六代目歌右衛門(当時芝翫)を指名した
吉右衛門の日記を見ると、年月日の条にこうある。

つまり、吉も、五代目の二人の息子と考えていたのである。
それとも、律儀な吉のこと、知っていても知らん振りを押し通
したのか。

私の興味は、顔つきなどの遺伝の具合やら、芸風の類似といった
ことで、血の濃さってどうなのかなと思って、知りたいと感じた
までである。
或いは、七世福助が、そういう若さで出来た子どもがいたとして、
彼のその後の役柄の変化や、評価の変化はあるのかな、という興味
である。

もしそのような事実があったとして、隠すことは、人気商売なので
当然であろう。妻子が居ては困るわけである。
昔も、ブンヤといえば羽織ゴロといわれたが、いまほど、マスコミ
とかいう閑な御仁がすくなかったのであろう。
その昔は、まだ人様のそんなことに構ってられないほど、皆自分の
ことで必死に生きていた時代だったのかもしれない。それとも、
芸を問い、それ以外を余り問わない、大人の時代だったのかもしれない。
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by tamon1765 | 2009-02-17 05:56 | 舞台の話 | Trackback | Comments(5)

私は、「井筒」をどう読んだか(4)

(ブログは便利なものだ。自分だけのメモを、非公開として登録しておけば、
パスワードを忘れなければ、外のネット可能なパソコンで見ることが出来る。
極端な事を言えば、我が家が火事になって失われても、データは残るわけだ。
以下、昨年7月10日に、メモしたものだ。その後、歌舞伎の脚本が見つか
らず、進まなかったもの。いまだに参照できないが、ひとまずお開きとする。)



 人が何かを感じ、思う。心が動かされる。
 そのメカニズムは解明できても、何故そうなるなるのかは、永遠に解き明か
すことは出来ない。まさに神秘である。既に科学の対象とする分野ではない。
 私の出来ることといえば、どういうことから感動が起こるか、心の奥底を突き
動かすものは何か、というを考えることである。

 井筒の前シテである里女が感情の変化を起こす瞬間は、ススキを見つめる
瞬間であり、それがきっかけで心を開くと、先に述べたとおりである。
そして、この曲の中で数少ない感情を示す言葉の表出される最後の場面では、
シテは、井戸をゆっくりと覗き込む。
 では、このシテである井筒の女は、井戸の中に何を見たのであろうか。
舞台上では、恋人の形見である直衣を着、男装になった己を井戸の水鏡に映し
て見るという設定である。詩章では「見ればなつかしや、われながらなつかしや」
とある。
解説書では、恋人の衣装を着ている自分を見、相手を懐かしんでいる、という
説明が多いように思う。つまり、我ながらと意識はあるが、そこに相手の姿を見
ている。
われながらを「我がことながら」と解釈すれば、恋人といた頃の若い自分を懐かし
むと、読めるかもしれない。
ここでは、世阿弥のお得意の水鏡という演出法によって、いずれも、自らの姿を
映していることが前提となっている。

 さて、そうなのか、あえて問題提起してみる。
 はたして井筒の女は自分の姿を映すことが出来たのだろうか、と。
何故ならば、杜若や実方のような、直ぐに我が身を映して見ることの出来る川や
湖の水鏡とは違って、そこは深く薄暗く狭い井戸である。

 一方、歌舞伎に目を転じると、井戸とは霊界へ通じる装置として登場する例が
ある。「実盛物語(源平布引滝)」では、仮死状態になった小万を蘇生させるため
にすることは、彼女の肩を揺すったり耳元で呼びかけることではない。
井戸に向かって名前を連呼するのである。
魂は既に地底世界(黄泉の国)へ行き、ここに残るは魄のみである。井戸とは、
まさにイザナギの命が戻り給うたヨモツヒラサカの入口なのであろう
 他の例は、鎌倉三代記であるが、今ここで書かない。(本文確認の上、
後日追加するつもりだ)。

 また、井戸は、崇高・神聖なる装置としての性格も有す。
それは、若水で知られる、東大寺二月堂修二会を思い浮かべれば分かる。
この二月堂の井戸は地下水脈で若狭まで通じていると信じられている(いや、通じ
ている)。まさに、水の神聖性。
茶道家元の年明けの最初にすることが、若水汲みであることも、この伝統の生きて
いる証拠である。
 

(ここでとんでもない飛躍をするが)
以上のように、井戸とは、人智を超えた神秘性を持つ。
井戸の奥底に見えたのは、おのれでは無い、恋人その人だったのではないか。
井戸は、この世とは違う世界と繫がっており、そこから行き来の出来る装置である。
恋人業平は、シテの元へ赴いてくれた。
だからこそ、シテは狂乱し喜び、舞ったのではないだろうか。

その方が、見ている私としても、思いが増す。


● 前の記事
私は、「井筒」をどう読んだか(1)
私は、「井筒」をどう読んだか(2)
私は、「井筒」をどう読んだか(3)


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by tamon1765 | 2009-01-28 12:58 | 舞台の話 | Trackback | Comments(2)

風雲児“AUN”

友人「アウン」の演奏会、CDの宣伝です。

チラシを見ると、
和楽器界の風雲児“AUN”
とあります。

いやー、いいなあ、風雲児ですよ、風・雲・児・!。


AUN Jクラシック・オーケストラ ファースト・ライブ
2009.1.10(土) 開場18:30 開演19:30
六本木STB139スイートベイジル

CDは、 「和楽器でジブリ。」
(一部試聴できます)

どうぞ、ご贔屓にしてあげてください。
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by tamon1765 | 2008-12-16 20:58 | 舞台の話 | Trackback | Comments(2)

長唄 『都風流』

慈恭さんの都風流を聞いた。
私にとって、長唄の大好きな曲であり、
秋の色種に次ぐ名曲、まさに大正教養時代以降の
最高傑作と思っている。
万太郎の詞も良く、それにもまして曲調とでも言うのか、
曲の流れこれが亦完璧じゃないか、と思う位、好い。
私自身ついこの間、秋が来たわい、と感慨にふけったが、
実際もう酉の市なのだ。
季節の流れのはやさに驚かれ、ぬる。
冬将軍の到来は尻上りに早い。
又一つ年をとってしまうのか。

ところで、慈恭さんの飄逸なこの声と節が長唄の正統だと、
学生時代から思い込んで聞いていたので、やっぱり
この声が嬉しい。
しかし、この都風流のCD、新内手の一節がちょっと不本意。
素人の私でもアレ? はずしちゃったかな、と感じる。
耳のよい方のご意見を伺いたい。
そこ以外は、慈恭さんの声に聞きほれてれ、自己陶酔で
一緒に口ずさんでいるのだ。
焼酎呑みながら、一緒に唄ったり、口三味線したり、
この世の極楽ではある。

「太平の一平民、酒盃の中に今日を楽しむ」
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by tamon1765 | 2008-11-19 00:25 | 舞台の話 | Trackback | Comments(7)

新作能「黄金桜」

テレビをつけたら、丁度能の始まるところであった。
(先程の21時)
演目は、新作能「黄金桜」
作は、林望。シテは、津村礼次郎。
桜で有名な、東京都小金井市の市制30年を記念しての新作能。
小金井公園での薪能は、もう何年も続いている。
(注に曰く、小金井公園は都下では、大きな都立公園であり、
その中には、都立たてもの園なども有り)

さて、雨だったのだろうか、市民会館(おそらく)で上演。
その背景が単なる白い幕。
なんだか安っぽく感じて、ここでやや失望。
布でいいのだから、松の鏡板の絵位用意して欲しいと思った。
私は九皐会を見ないので、シテ地謡共に馴染みがない。
三役は、松田・新九郎・光雄・助川だったと思う。

筋は、前シテ桜守の元に、その桜を移植しようとワキ勅旨(家来?)
が来、止められ、後シテ桜の精が中ノ舞を舞う。。。。?
そんな感じ?
はっきり言って、詩章が殆ど聞き取れず、見ている私が自分で
物語を作っている状態(苦笑)。
桜の話を見ながら、家の外では自然の音響で、こおろぎや鈴虫
の音が。。。。。(これまた苦笑)
私は、松虫を見るべきではないか、終わったら見ようなどと
不遜なことを思いながら見てしまった。

知らない能作品を見ることの距離感というものを実感した。
能楽堂へよく行っていた頃は、事前の予習と詩章の持参を
欠かしたことがないので、このような状況はめったに体験しな
かった。今一つ分からないものを見ることは、忍耐力を試され
るし、分かって見ることに比べると、当然ながらつまらない。
一方、最近この音に接していなかったので、そのあたりが楽しく
感じられた。

作品としては、実際の処、どうだったのだろう。
再演はありえるのか。
無理解で見ていた私にはコメントのしようがないが。

宿題は、小金井を「黄金」と書いた歴史はあるのか調べること。


<20.10.7追記>
『江戸名所花暦』 金井橋 :
この桜は、元文年間台命によって和州吉野山、および常州桜川の種を植ゑ
させられけるが、いまは何れも大樹となりて、開花のとき、金橋(こがねばし)
のうへより是をのぞめば、岸を挟む桜、繽粉として前後尽くるところをしらず、
実に一奇観たり。


<20.10.9追記>
『江戸名所図会』巻之四  金井橋 :
此地の桜花は、享保年間郡官川崎某、台命を奉じ、和州吉野山、および
常州桜川等の地より、桜の苗を植ゑらるる所にして、其数凡そ一万余株
ありしとぞ。 (略) 就中金井の辺は佳今日にして、爛漫たる盛りには、
両岸の桜、玉川の流れを挟んで、一目千里、前後尽る際をしらず、ここに
遊べば、さながら白雲の中にあるが如く、蓬壷の仙台に至るかとあやしまる。
最も奇観たる故に、近年都下の騒人韻士、遠を厭はずしてここに来り、遊賞す。

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by tamon1765 | 2008-09-15 00:16 | 舞台の話 | Trackback | Comments(6)

気ま~まな独り旅


by tamon
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