カテゴリ:片桐石州さん( 6 )

石州三百ヶ条の成立

西山松之助先生によると、「石州三百ヶ条」とは、
釈迦入滅後の経典結集の形式で成立した本であり、
石州本人が書き残したものではない、という。
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by tamon1765 | 2009-08-12 21:44 | 片桐石州さん | Trackback | Comments(0)

置き合わせ、取り合わせ

置き合わせ、取り合わせ、その数寄ほどにこれ有るべき
儀に候へば、浜の真砂のて候ぞかし
 (石州公)

それぞれの程々に随て違事なれば一概に定がたし
浜の真砂の如くよみつくしがたきの如し
 (藤林宗源)

「石州三百ヶ条聞書」を2種類見て、異なることに
気がついた。
百ヶ条聞書は項目立てだけのようである。
つまりは、口伝なのであり、その項目の一覧のようだ。
(但し、一部内容も含む項目ではある。)
そして、私がその内容説明と思っていた一節は、その教えを
受けた藤林宗源によるものということのようだ。

さて、内容は、置合せ、取合せは、浜の真砂ほど数え切れ
ないほどあるという。
とするならば、全てを把握するのは無理。
読み尽くし難しであり、一概に定め難しである。
基本を抑えて自分で応用していくしかないのであろう。
(文意ではそこまで書かれてはいないが)。

また、「数寄ほどに」が、数寄が深まるほどに、と読める
ところが面白い。

なお、数寄を数寄者の意味で考えてみたが、他の文例では、
数寄者と出ているので、石州公は両者を分けていることが
分かり、数寄者の意味では採らない。
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by tamon1765 | 2008-10-20 06:29 | 片桐石州さん | Trackback | Comments(0)

さばしたるは悪しき


茶の湯さびたるはよしさはしたるはあしき事

この言い回しはよく口にするが、そもそも出典は
何かな、と思っていたら、ここにあった。
「石州三百ヶ条聞書」。
石州直門の藤林宗源の述である。
そして本文としてさらに、

座敷其外道具にてもあまり風流を好毎事異風に
さはしたるはあしく自然とさびたるをよしとす


とある。
人の目を驚かそうと、異風になることはむしろ
こっけいである。
そんな、特別珍しい道具などなくていい。
いつも同じ道具でもいいのだと思う。
そう、自然でいいのだ。
同じ道具と思っても、季節が変わっている、
その日に吹いている風も変わっている。
そして、お茶を飲む私もあなたも、一瞬たりとも
同じではない。既に変化している。
感情も移ろうている。
感じ取ることも、以前と全く同じであろう筈はない。
そこでは、変化ではなく、進歩・深化していたい。
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by tamon1765 | 2008-10-11 12:32 | 片桐石州さん | Trackback | Comments(2)

「和泉草」から

世話に言葉多きは品少なしと云、過ぎたるは不及にしかず
と云う尤もの儀なり。人間の諸芸揃て持つは、その人の
嗜みなり、そのうち世間の用に立つ一芸にても勝れたるを
持つべし。


何でしょう、理解できないです。
上記は、石州流の「和泉草」の
廿四 茶湯ニ用ル絵ノ極意廿一ヶ条
の内の一条ですが、この二つの文のつながりが全く理解できず
困っているところです。
後からの挿入句、或いは筆写の段階の書き加えでしょうか。
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by tamon1765 | 2008-08-31 08:10 | 片桐石州さん | Trackback | Comments(3)

数寄は、みちみちて

数寄は、野の末、山の奥、道の端にも、不断の座敷にも
みちみちて御座候



片桐石州さんのことば


<27.7.8追記>酔った勢いで書く雑談
私の大嫌いな言葉に「自分探し」というのがある。
特別に外に求める愚というわけだ。
自分探しのために、海外へだって??

数寄は金をかけた道具や茶室にあるのではない、
そっこらじゅうに満ち満ちているよ!
って、言ってもらえると嬉しいね。

尤も、それ以前に、人に云ってもらったからじゃ
なくて、自分で感じ考えなければいけないこと
ではあるんだけど。




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by tamon1765 | 2008-05-16 07:04 | 片桐石州さん | Trackback | Comments(1)

茶の湯の心をを表す和歌

『 南方録 』には、よく知られるように、「わび茶の湯の心」を表す
和歌として、次のように書き残されている。
紹鴎は、定家の
   η 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
利休は、家隆の
   η 花をのみ待らん人の山里の雪間の草の春を見せばや
を、である。

ところが、『 石州三百ヶ条聞書 』を開いてみると、
先の定家卿の歌は、珠光さんが茶の心として選んだ歌ということ
になっている。そこには解説として(果たして、珠光が言ったのか、
石州が言ったのかは、明確ではない)
  山色清浄心とて悟て山の景気のそはたち
  清浄なる心を用て本体とす

とある。この解説とこの和歌との不一致も気になる所である。
なにしろ見ている物が、解説では山、歌は海、なのだから。
また、内容も、花も紅葉も無い景色と、清浄心とは同列に語りうる
ものか、やや疑問を感じる。

次ぎに、石州本では、珠光の弟子・引拙が、寂連法師の和歌
    η 淋さはその色としもなかりけりまきたつ山の秋の夕暮れ
さらに、紹鴎が、同じ寂連の
    η 村雨の露もまたひぬまきの葉にきり立のぼる秋の夕暮れ
を、「茶の湯の心」を表すものとして選んでいる。

伝書によって、和歌が異なる所が興味深い。
又、注目すべきことは、家隆以外皆、秋の夕暮れの歌であることだ。
確かに、「侘び」を考えた場合、季節は秋、時刻は夕が最も相応しい
とも考えられる。
その意味で、これから萌えいずるものを含む家隆の和歌は、逆に、
新鮮である。

一方、全て「秋の夕暮れ」とする石州流は、秋、夕暮れを基調とする
「侘び流派」であったろうか?、
残念ながら、私には答える資格は全くない。
このような伝書を残し伝える以上、なにか、意図する物があったはず
である、と思うだけである。
桑田忠親さんによると、
 ・石州は道安の流れを汲む茶人
 ・石州の茶には両面あり、窮極致は利休の茶道の侘びが理想で、
  その一方で大名貴賓向けのお茶を大成した(遠州の後任で、
  4代将軍の茶道師範の立場)。
 ・豪快さはないが、品がある。つやっぽい。
とのことだ。
石州という人をもっと知りたいと感じた。
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by tamon1765 | 2006-10-23 23:53 | 片桐石州さん | Trackback | Comments(0)

気ま~まな独り旅


by tamon1765
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