カテゴリ:お点前( 35 )

立ち火箸

長板皆具のお点前です。
「立ち火箸座り火箸」とのことで、火箸を扱うよう習っていますが、
どうもスッキリしない事があります。
逆に、そう言う引っ掛かりがあることで、何年かぶりにお点前さんの
席に座っても、アアそうだったと思い出すわけなのですけど。
それは、お仕舞い時に、拝見の挨拶を受けて、お茶碗を屏風横へ
仮置きします。お茶器を出した後、建水で帰るわけですが、
立ち火箸ということで、火箸を杓立へ戻し荘りますね。
引っ掛かりを感じるのは、この時です。
どうもお茶碗に触れて傷つけやしないか、ということなのです。
危険を避ける、物を傷めない、その可能性を下げる方向性との逆を
感じてしまいます。
尤も唐物など、持ち替えなど危うい気もしますし、昔、先生へ
そのことを申し上げると、「そこで全く危険にならない人のみが(唐物を)
やることを許されるということなのでしょうね」という意味合いのことを
仰られた記憶が有ります。
逆に言うと、持替えが危ういお点前をしているような人は唐物をしては
いけないということであり、その伝でいくと、長板皆具で火箸を
お茶碗に当てて傷つけるようなレベルの者は、そもそもこのお点前を
やってはいけない、ということになります。
皆さんはどうお考えでしょうか。
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by tamon1765 | 2009-05-16 15:30 | お点前 | Trackback | Comments(3)

何碗、点てたか?

最近気がついた事。

一日一碗、お茶を点てて楽しんでいる方は
どれだけおられるだろうか。

さて、一日一碗点てていれば、一年365碗。
自分自身どうなのか、と問うてみると、
全然ダメ、口ばかり。

昔は毎朝必ず一杯飲んでいた時期もあったが、
いまはその余裕のない毎日である、寂しい事に。
毎日やっていた年と、ほとんどやっていなかった年を
馴らして、仮に年100碗とする。
とすると、
30年続けて、3,000碗。
20年続けて、2,000碗。
40年続けて、4,000碗。
50年続けて、5,000碗。

ええーっ!
たったそれだけ?
そんな僅かしか、お茶を点てていないの?

それじゃあ、美味しいお茶を点てるなど、
夢のまた夢だなあ。

<27.12.8>以下参考に追加

濃茶を一柄杓で点てる



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by tamon1765 | 2009-04-21 12:42 | お点前 | Trackback | Comments(2)

八寸の箸

取り急ぎ、皆様のアドバイスをいただきたいです。

お茶事で、八寸が私の主な担当です。
海のものをお客様へとり、一周して、お正客へ戻り、
今度は山のものを取りながらお酒を勧めるわけですが、
海山で別のものなので、両細の竹箸の先を入れ替えます。
この入れ替えを如何にきれいに見せるか(あるいは、
余りに自然すぎて気付かせずに進めるか)が私の中で
比重をしめています。
さて、入れ替えて今度は山のものをとるのはいいのですが、
その後お正客様が、私のために海のものを取ってくれる
わけですね。
とすると、山への対応として先端を変えた箸を再び戻した
方がいいのでしょうか。
論理的には

1)亭主が、箸の入れ替え(今まで先端は海扱う)
2)亭主が、正客に山とる。
3)亭主が、箸の入れ替え(これで、先端は海扱う側に戻る)
4)亭主が、折すえを四方回しする。(正客正面となる)
5)正客が、亭主に海とる。
6)正客が、折すえを四方回しする。(亭主正面となる)
7)亭主が、箸の入れ替え(これで、先端は山扱う側に戻る)
8)亭主が、次客に山とる。

がいいようなのですが、
これでいいのでしょうか。
なんか、首傾げたいような気分です。
よろしくお願い致します。


<21.3.25>追記
折据の四方回の、二手順を追加。
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by tamon1765 | 2009-03-23 12:34 | お点前 | Trackback | Comments(9)

お稽古を始めた頃

お立ち寄りの皆様、すみません。
相も変わらず、ネットの出来ない生活環境にあります。
このところ、私自身イライラ状態なのですが、
ブログが出来ないことによるストレスなのだなあと、
ようやく気が付きました。
何とかしたいです。よって、今日も外から。

さて、昨夜、お茶の社中の先輩に会った。
久しぶりである。
私の年下ではあるが、先輩で、始めた当初手取り足取り
教わった、私にとって先生である。
少し前に、このブログのこともお伝えしておいた。

店に入って席に着くなり、早速
「えらい、えらそうに書いているわねえ」
「確かに勉強しているけど、上からの目線よねえ」
と、はっきりと言われてしまった。
ブログなるものをはじめて読んだそうだ。

先生の○寿のお祝いの茶事に八寸をやって欲しいという。
お茶のお稽古をずっとお休みしている私、
お稽古して無いから、私なんて。。。と言っても、
「勿論、あれだけのこと書く人だから、お稽古やらなく
たって充分出来ますよ、ネー」と皮肉られてしまった。
確かに、私は酒呑み要員、いや、呑ませ要員。
いつも八寸をやっているような気がする。

二言目には、「いったい誰に教わったと思ってんの!」と、
今でも言われ、私には頭の上がらない人だ。
始めた当時、私、「何でこうしなきゃいけないの?」「何で
右じゃなくて、左なの?」「何の意味があるの?」と、
幼稚園児状態だった。
「つべこべ言わずに、だまって言われたとおりにしなさい」
と言われ続けたことを、今、赤面しながら思い出す。

この土・日は、先生のところへご挨拶に伺うことにしよう。


<21.1.24> 心ある方から、「言われたとおりにしない」
ではなく、「言われたとおりにしなさい」では?
との指摘を受けて、訂正します。感謝します。
仰るとおりになりました。「...の2乗」っていうお話です。
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by tamon1765 | 2009-01-23 12:55 | お点前 | Trackback | Comments(1)

転調

普段とは毛色の違った話から

ある日、木枯らしの道を歩いていたら、突然ビラ・ロボス
の「ブラジル風バッハ」の音楽が頭の中に蘇った。
もう何年も聞いていない音楽が何故、突然?
(昔好きで繰り返し聞いたが、今はそのテープを探す元気
も余裕もない)
これは、外部からのBGMで、バッハの管弦楽組曲を聞かさ
れたからなのか。。。。。。
そして、この1週間、何かとこの曲が頭の中を駆け巡る。
それはさておき、この曲の転調の瞬間がなんとも言えず
気持ちよく、好きだ。
そして、圧倒的なフィナーレ。
(たしか、その2番だったと思う。)

さて、転調と言うと、ミニマル音楽(いま、その現状に
疎いのだが)のグラスやライヒの音楽も同様だ。
転調の瞬間が、私にはこの上もなく快い。
そういえば、ライヒはプリセツカヤと同時に世界文化賞を
受賞していたのだった。

そして、これだけ私にとって快い「転調」というものが、
人間のしぐさや動作の中で見出せ感じられるとしたら
それは快い瞬間であろう。

察しの良い方は、既にお気づきかと思われるが、
お茶のお点前の中で転調の瞬間はあるのか、もしあると
したらどこなのか、
ということを考えたいと思った。
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by tamon1765 | 2008-12-18 23:56 | お点前 | Trackback | Comments(0)

訂正記事

とんだ間違いをしてしまいました。
内容を、全く逆に書いてしまったのです。
読んでいただいた方にお詫びし、訂正させていただきます。
先に書いた記事「腰の服紗」そのものも直しましたが、
以下のとおりです。

〔訂正前=誤り〕
服紗の今の大きさは、利休さんの後妻の宗恩さんが作っ
たものによる(それ以前より小ぶりにし、それを利休さん
が気に入った)ように記憶している

〔訂正後=正しい〕
服紗の今の大きさは、利休さんの後妻の宗恩さんが作っ
たものによる(それ以前より大きくし、それを利休さん
が気に入った)ように記憶している

そしてこの出典は、江岑夏書です。
一体私は何を見ていたのやら。
お恥ずかしい限りです。失礼しました。
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by tamon1765 | 2008-12-13 18:48 | お点前 | Trackback | Comments(0)

腰の服紗

またもや、引き続いて末宗廣「お茶のたて方のみ方」から
の話題。

服紗は何故、腰にぶら下げるか。

元、これは支那で高貴の方が佩玉といって玉を腰に下げる
風習があった。それに習って、腰に下げる服紗だと言われ
ている。
下げることが礼の表象のひとつとも言われ、羽織袴をつけ
なくとも、この服紗がそれに代わる。
(p106)

のだそうだ。
全く考えたことも無かったし、知らなかった。

ところで、服紗といえば思い出すのは、友人が異流混合の
お茶会(大寄せ)を催すというので、手伝いに中京地区まで
馳せ参じた折のこと。
そこで出会った、まだ始めて間もないという、お運びの係り
の大学生の男の子、彼は服紗を右にぶら下げていた。
思わず、「アラ、あなた、服紗の位置が逆ですよ。」と言うと
「イエ、うちはこうなんです」と。
織部流とのことだ。
えらそうに注意をした自分を恥じたことは言うまでもない。
その時、見る見るおのれの顔が赤くなった。
あー、今思い出しても、恥ずかしい。
おそらく今の私も、同じように、分かる人から見たら笑止
千万なことばかりとは思うが、自戒したいものだ。

さて、この佩玉がいつの話しで、それがいつどのように
わが朝に伝来し、いつ茶の湯に取り入れられたのかが、
気になる。
そういえば珠光さんは、腰に付けていたのか、どうか。
服紗の今の大きさは、利休さんの後妻の宗恩さんが作っ
たものによる(それ以前より大きくし、それを利休さん
が気に入った)ように記憶しているが、そうすると、それ
以前は、腰のものはあまり目立たなかったのか。
そういえば、当時の服紗の色はどうだったのだろう。

疑問は膨らむ。

<20.12.13訂正>お恥ずかしい誤りです。
  全く逆に書いてしまったという誤りです。
  お詫びして訂正させていただきます。
  大変失礼しました。
  訂正内容は、宗恩さんは服紗を大きくした、です。
<20.12.15訂正>上の訂正に伴う直し。
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by tamon1765 | 2008-12-10 12:36 | お点前 | Trackback | Comments(11)

茶筌を持つ手

NHK 「京都・茶の湯大百科」 で興味深く感じたことを書きます。

官休庵の若宗匠がニューヨークで点てているお茶の手元が
映っていました。
この時、茶筌を持つ手で、小指が離れているのです。
私は、茶筌はしっかりと握るもの、そして、手先で点て
ないこと、と教わってきた(つもり)なので、
それで、オヤ、ウチと違うなあ、と面白く思ったわけです。
想像するに、あちらでは手に何も持たず、ブーラブラとした
ような感じ、そのときは、全ての指は離れています。そんな
自然さを重んじているのかな、と思いました。

ところで、やくざの世界で指詰めというものがあるそうです
が、これは小指の欠損によりバランスが悪くなるという弊害
があるそうです。物をつかんだり、握ったり、さらには日常
動作にも影響すると想像されます。
また、三味線の撥を握る際も、小指は反対側に引っ掛ける
わけですから、これにより力の入り具合は大きな影響を受
けることに間違いはありません。

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by tamon1765 | 2008-12-09 12:54 | お点前 | Trackback | Comments(2)

茶筅を振るのは15回

末宗廣「お茶のたて方のみ方」を眺めていたら、
思わず背筋を伸ばしたくなる一節にぶつかった。

一体茶を点るに当り茶筅を幾回位振れば服加減の
よい茶が点つかとよく初心の者より聞かれる。
それは初心の者と熟練した者とでは同じ様には
行かぬが凡そ十四五回位で点つ様練習すればよい。


この14或いは15回という、数字を明示している
ところが凄い。
実は、私も薄茶を丁寧に点てているとよく先生に
「もういいですよ」と言われたものだ。
実は、丁寧に点てていると思っているのは自分だけで、
点ち過ぎて「茶の気」が失われることをしており、
その実丁寧でも何でもないということだったのだ。
昨夜、点てた時に数えてみたら、40回程度だった。
(ニッコリ……、この40と15の差はどう
考えればよいのか、今後の課題である)

この本には、続けて、こんなことが書かれている。
・茶が点つ事と、泡の立つ事を混同している人が
 往々見受けられる、
・宗旦さんは、さらさらと湯を注ぎいれ、それで茶が
 点てば茶筅を用いなかった、という。

この宗旦さんの話はビックリだ。出典を知りたいと思う。
昨日、茶筌が茶の湯のポイントであると書いたばかり
なので、私としては、チト困る話である。

なお、「お茶のたて方のみ方」は、昭和22年3月に
晃文社から発行。
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by tamon1765 | 2008-11-26 20:09 | お点前 | Trackback | Comments(20)

柄杓の採り方

柄杓の採り方ですが、
私は、以前はこうやっていました。
右手の掌を伸ばし(平らにして)指をくっつけて上に
向ける。それを、柄杓の端に引っ掛けて持ち上げ、
柄が畳に対し20度程度で、指が節の方へ近付いていき
親指と人差しで採る。

しかし、ある時、教えを受けて、今はこうやっています。
柄を持ち上げることをしない。
手が柄の方へ吸い付けられるようにもっていく。
そして、瞬間的に掴むようにする。

この言葉使いは私の言葉であり、いつもの事ながら、
どうするかは師伝によってください。

今これがベストと思って実行していますが、皆さんは
どうされているのかしらとちょっと気になって書いて
みました。


ところで、テレビでは今、北海道の北部沿岸部の積雪
が映されています。富良野で20cmだそうです。
地元の方は大変と思いますが、私の好きな冬の訪れで
あり、いよいよ雪の季節ですね。
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by tamon1765 | 2008-11-08 12:13 | お点前 | Trackback | Comments(1)

気ま~まな独り旅


by tamon
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