カテゴリ:お点前( 34 )

袱紗捌きの位置


袱紗捌きは、膝の外迄ではないが、膝位迄の

所でやると、動作が大きく見えてよい。

*

という面白いメモが出てきた。そのメモの頭に、

「高幡不動のお茶会も終わり」云々とあるので、

私がお茶を始めた頃のものだ。

袱紗捌きの位置は、以前、左膝の中央と書いた

記憶がある。左右の手で三角形を作った時に

その頂点の延長線は、アイロンがけしたズボン

の折り目の上に来る、というわけだ。

但し、それは縦軸の話しであり、横軸は?と

いうのが今回の書き込みである。

つまり、縮込まらずに袱紗捌きをするためには、

膝頭近くまで袱紗を持ってくるのをよしとする

考えだ。大きく見せるお点前というのが、私と

してはなんとも嬉しい。

尤も、やり過ぎて膝を突き抜けた先に位置設定

したら、滑稽であろう。

余談ながら、この形から、能の「常ノ構エ」を

連想してしまった。

*

*

以上、個人的考えであり、流派の教えではありま

せんので、そのように取り扱い、師伝によって

ください。


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by tamon1765 | 2017-08-10 09:39 | お点前 | Trackback | Comments(0)

穂先調べ


今日、お茶を点てている時に、フト昔のことを思い出した。

お茶を始めた頃の疑問だ。

それは、穂先調べの手の持っていき方、についてである。

茶筌とうしでは、茶碗の中で茶筌を「の」の字に書いた後、

に浮かせ自分の視界に近づけて穂先調べをする。

が気になったのはこの部分の手或いは腕の動きであった。

どんな風に持ち上げてくるのが美しく自然か?

*

私なりの結論は、直線的に腕を引くのではなく、山なり

に引いてくるのがいいのではないか、と。

緩やかに、頂上を目指す感じ。

以上のように思って、私はそうしてきた。

また、大寄せのお茶会に寄せてもらっても(昔の話)、

お点前さんはここをどんなふうにするのかな、と興味深く

拝見してきた。

残念ながら、おおよそ、教則本にあるのは手順であって、

私の希望する内容はあまり記載されていない。

*

お茶会(大寄せ)では、茶筌とうしをきっかけに、正客は

お菓子に手を伸ばす。しかし、なんせ大勢のお客である。

お客は、手持無沙汰で且つ席入りしてまだ物珍しい状態

なので、実はここが最も注目度が高いのではないかと思う。

*

勿論、穂先調べで頂点に来た時に、茶筌は腕から直線上に

無くてはならず、茶筌が上向きになっているのは不格好。

手の回転の仕方にも注意点があることは間違いない。

*

処で、いつも思うことだが、穂先は水屋にて自分で確認し

なければならない。

そして、万万が一、本番で穂先が折れていた場合、一時中断

して一度水屋へ戻る勇気が必要だ、と思う。

或いは、半東さんへ、替えの茶筌を持ってこさせるか、だ。

大寄せのお茶会では後者の方が現実的であろうか。

つまり、穂先調べで折れているならば、茶を点てる瞬間には

間違いなく折れた部分は分離する。ということは、お客様へ

竹の切ッ端を飲ませることになってしまう。

本末転倒。問題外。

*

*

以上、私の個人的な見解です。師伝によってください。

*

<29.8.12>編集ミスを訂正。





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by tamon1765 | 2017-08-01 11:54 | お点前 | Trackback | Comments(0)

お出会いでお道具を返す訳


教則本を見ると、拝見後の道具の返し方が丁寧に記載されている。

しかし、なぜそうするのが書いてない。こんな風に考えれば

いいのではないかと思うので、試案であるが、ここに書いてみる。

ある場面を想定してみる。

お茶事に誘われた。毎度毎度あることではない。

何年に1回あればよいこと、否、最初で最後かもしれない。

今回特に、お弟子さんをご一緒にとの有難い言葉。

で、稽古を始めてまだまだ日の浅いA子を連れて行くことにする。

さて、ご亭主は、家宝のお茶入れを出して呉れた。

このような立派なお道具をご用意されるとは!

これこそ、最初で最後の眼福であろう。

私は正客となり、妹弟子が詰め、A子は次客だ。

(現実に、家宝を出す茶事に初心者の状況は有り得ないです

申し訳ないが、当然ながら茶事は、正客である私を中心に進む。

全ては、正客のために、というわけだ。

濃茶をいただき、拝見となった。

素晴らしい唐物茶入れに手が震えるが、有難く拝見する。

お詰めさんが仕覆を拝見し終わり、お出会いでお返しする処だ。

よっこらしょっと!と、気合を込めて立ち上がる。

 *

何故、年寄りで足のやや不自由な正客が立っていくのか。

お正客ファーストと考えたら、わざわざ足の悪いお正客を立た

せて、仕事をさせる必要があるのか。

しかし、ここがポイント。

1)家宝の茶入れを先程、見せていただいた。しかし、これが

最期と思うと、お願い!もう一寸だけ、もう一度見せて!

という思いが強い。目に焼き付けて、手に感覚を残したいです。

お名残りの拝見です。

2)亭主のこんな大切なもの、有り得べきことではありませんが、

もし万が一粗相があってはいけないです。そのチェックも

含めてもう一度を、拝見したいです。

と、考えてみたらどうでしょうか。

いつもお稽古で使い慣れているお道具へ、ちょっと違った思い入れを

することで、また違うのではないでしょうか。

 *

と、エラそうに書きましたが、言わずもがなの当然の事かも........

以上、私の勝手な考えですので、皆さんは師伝によってください。





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by tamon1765 | 2017-05-27 14:02 | お点前 | Trackback | Comments(0)

茶碗を拭く際の軸(2)


先の茶碗を拭く際の軸の件で、相弟子のお二人から連絡を

いただきました(NKさん、SSさん)。

*

お二人とも、先生からは、「茶碗は水平にして傾けないで拭

くように」習ったといいます。

特に、姉弟子からは、「お茶碗は、飲むときだけ傾けるけど、

置いてある時、運ぶ時、お茶が入っている時等、水平の方が

自然で綺麗な感じがします。」とのコメントをいただきました。

(個人メールで)。

取り敢えず、先生の教えは夢でなかったので、安心しました。

*

以上、ローカルなお話です。上記以外は間違いだなどと主張

する意図は一切ありません。

皆さまは、師伝によってください。




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by tamon1765 | 2017-05-14 13:37 | お点前 | Trackback | Comments(0)

茶碗を拭く際の軸

未だに、どちらが良いのか分からない事がある。

それは、茶筌とおし後、お湯を建水にあけた後の

茶巾で茶碗を拭く、拭き方である。

先生からごく初期に、茶碗は平らなところを同じ

速度で回転しているようにして上下しないように

と教わった(ように思う)。

それから私はそれを守ってきた。

しかし、他のお弟子さんへそのような厳密な指導

をされる場に出くわしたことがない。

多くは、高台を持つ左が傾き、茶碗の軸は左上空へ

傾いている。(私の場合、茶碗の軸は垂直)

*

軸を垂直にするには、茶巾を持つ右手側もそれだけ

肘が上がり、武ばった形となるのは否めない。

勿論、きれいな動き、きっちりとした動きという

意味では、こちらに軍配は上がる。

しかし、お点前は「目立たぬように自然に」するのが

良しとする考えに反する。

*

かといって、いつもそうしている私に対して、そこまで

しなくともいいです、という指導もなかった。

そのようなわけで、初めに聞いたのは夢だったのかなあ、

どっちがいいのかな? といつも思っていた。

教則本にそこまで気にした記載は見いだせないし、

映像で見るものも、結構おおらかだ。

先生の試案だったのだろうか。私の勘違いだったのだろうか。

*

何かヒントをお持ちの方に教えを請いたい。

*

*

以上、私のまさに極私的な思いであり、流派の

教えとしての根拠はありません。先生のご指導

についても、私のあやふやな記憶です。

師伝に依っていただきたいし、お読みの方に

ご教授お願いしたいです。


*


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by tamon1765 | 2017-04-26 12:47 | お点前 | Trackback | Comments(0)

秘伝とは何か

相伝についてのおかしな話しで考えさせられたが、

つまりは、秘伝とは何か?ということになると思う。

今、相伝ものを秘伝という言葉に置き換えたが、

伝えるべき人(相伝者)に伝え、それ以外には明かさ

ないという意味で、同じとしてよいだろう。

さて、弘法大師は、顕密を論ずる中で、次のように

仰っている。


衆生は無明妄想をもつて本性の真覚を覆蔵するが故に

衆生の自秘といふ。応化の説法は機に逗つて薬を施す。

言は虚しからざるが故に。このゆゑに他受用身は内證を

秘してその境を説きたまはず。則ち等覚も希夷し、

十地も離絶せり。これを如来秘密と名く。


つまり、「衆生の自秘」「如来秘密」の二種類有り、

松長有慶氏はこれを明快に解説された。
以下は、
氏による。

「如来秘密」とは、相手がまだその段階にまで達して

いないので、今の段階に教えるとかえって相手のため

にならない。そのために秘密にしておく。例として、

小学生に体操のウルトラCの技を教えないで秘密に

しておくこと。

「衆生の自秘」とは、既に全てのことは公開されている

のに、受け取る側がそのレベルに達していないがために

読み取れない。それで、結果的に秘密となっている。


私はこれで、何故、相伝が必要なのかが分かり、スッ
キリした。

つまり、相伝とは、相手の能力に応じて1対1で伝授

すべきものであり、相手の現段階の状態を知らぬどこ
ろか、
どんな人間かも分からぬ関係の中で行うやり取り
(ウェブ
上での質問を今、私は言っている)は、およ
そ意味が
無い。



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by tamon1765 | 2015-08-15 05:51 | お点前 | Trackback | Comments(1)

相伝についてのおかしな話し

ウェブ上の質問コーナーにおかしなものを見つけた。そして、

そのやり行為を考えるうちに、私としては何か一つ、開眼

した気がした。(勿論、自己満足ではあるが、笑)


それは、流派では相伝ものとされるお点前に関しての、ウェブ

上での、つまり公開での質問である。

私には、実に色々なことを考えさせてくれた。


ここに内在する問題では、二つの言説を含むと考えられる。

) これこれのお点前はコレコレこうするのである。

B)相伝もののお点前はその免状所有者でないと伝えない。

そうでない人に公開してはならない。


さて、この質問者は、Bを無視して、Aのお点前のやり方を

質問しているわけである。

この方は、一方に関しては守ろうとせず、一方に関しては

詳しく知ろうとする。(質問して知ったことを守るつもり

なのであろう)。

もし、これが逆(Aを無視し、Bに関しては守ろうとする)

だったらどうなのだろうか。

教わったお点前の手順を全く無視し、「段階を踏んで相伝もの

については口伝で学びなさい」ということのみ墨守する。

この場合、口伝で教わったことの内容が点前のはずであるの

だが、その教わったやり方を無視すると言うことになる。

これはナンセンスの極みだ。

さらに、先生を無視し、その教えを馬鹿にしていることになる。

Bは、Aなどを含む個別の事項を通底する規範と云える。

法といってもいいだろう。

一方、この質問者が遵守するために知りたがっている、お点前

の手順・仕方もまた、法であろう。それを全く無視していれば、

「これは、ウチの流派のやり方じゃないわネ」と、相手にされ

ない。何しろ、そのやり方が流派の法なのであるから。

つまり、二つの教えは同じ教えである。


矛盾を感じないのだろうか?


とにかく、私には首をかしげるばかりの事柄だ。

                      (続く


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by tamon1765 | 2015-08-13 07:32 | お点前 | Trackback | Comments(0)

手の美しい動き

私個人が、思ったままに書きます。

最期の手の動き、添え方が、見た目の美しさに

大きく反映する、とする考えです。


例えば、盆の四方回し。

そのまた例として、茶杓飾りでお正客が最期に
お道具をお返し
する場合です。

拝見後、お正客はお詰めとお出会いで道具を受け、

お名残の拝見をします。その際、身体の向きは、

お詰めと向き合った位置となります。

次に、亭主が拝見のために出してくれた位置に

お返しします。その位置は、踏込畳の縁外、上座

寄り半畳の真中あたりです。

この位置は、身体からは正面ではなく、斜めの方向

です。私見ながら、60度前後の角度が付くのでは

ないかと思われます。

とすると、盆の左右の中央を持った手では返し

づらいです。そのままでは、矯めのある右腕と、
伸びきる左腕。

私は、厳ついていて不自然に感じられます。

で、どうするかというと、出しながら、左手が

少々手前に引く形。

これが私には自然な美しさに感じらます。

最期の手の動き、添え方と云ったのは、このこと

です。


以上、私の全くの個人的考えであり、流派での教え

として受けたものではありません。現に、教則本の

写真を見ると、盆の左右の中央を持った手で返す

写真も見受けられます。

どうぞ、師伝に依ってください。


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by tamon1765 | 2014-11-06 21:03 | お点前 | Trackback | Comments(0)

宗徧流のやり方

お茶のたて方について、山田宗徧氏(11代目家元)の
解説を目にした。
そのまま、一部分を引用すると、

おいしいお茶のたて方
 ポイントは抹茶の量、お湯の温度と量、点てる時間です。
  抹茶 1.1~1.3g
  お湯温度 90℃  量45ml
抹茶が跳びないように茶碗に茶筅を入れてお湯を注ぐ。
茶筅は斜めに14、15回動かす。この間、約10秒。

ということだ。
数字的に表示出来ることが凄いなあ、と感じた。
私は人に聞かれても、「***程度の量で、あとは何度も
繰り返して、自分でおいしいというように感じた感覚を
みつける事がいいじゃないの」と答えるだけだから。

他流派のやり方に、コメントするつもりはないが、
お薄の場合でも茶筅を入れてからお湯を注ぐということを
興味深く思った。


出典は、NHKの「おしゃれ工房」2004年11月号、p39



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by tamon1765 | 2014-04-14 00:23 | お点前 | Trackback | Comments(0)

泡の意味

薄茶は、余韻を楽しみ、茶事そのものの後味をすっきり
させることが目的であるから、濃茶とは本質的に
異なる。。。。。具体的には、カフェインなども適度に含み、
カテキン類も心地よい程度に作用すべきである。


堀内国彦(宗完宗匠)『茶の湯の科学入門』p129

ここでは、一般の考えと異なるようである。
単体のおいしいお茶(薄茶)ではなく、茶事という一連の
流れのなかでの役割を薄茶に求めている、ということだ。
とても興味深い。

科学的に、お茶は、泡を立てたほうが甘くなる。
しかし、わが表千家は、あまり泡を立てないものとする
お茶碗の表面全面が泡立たず、池という緑の部分を
大事にしている。

これはそういうことだったんだ、と今、氷解した。

つまり、表千家では、お稽古も大寄せのお茶会でも、
薄茶はあくまでも「茶事という一連の流れのなかの薄茶」
として点てて、楽しんでいる味わっている、ということになる。

以上、半可通の私の勝手な解釈である。宗完宗匠はそのように
は仰ってはいない。仰っておられるのは引用部分のみであり、
上記のの私のコメント部分はあくまでも私個人の気付きである。
誤解なきようにお願いしたい。


<27.12.6>文意を変えず補足
<24.4.17>一部補足


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by tamon1765 | 2010-04-06 22:30 | お点前 | Trackback | Comments(1)

気ま~まな独り旅


by tamon
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