カテゴリ:茶杓( 23 )

その後

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by tamon1765 | 2012-07-02 11:51 | 茶杓 | Trackback | Comments(0)

桜の木

今日の午後、久々に木を削ってみた。まだ、削り初めという感じです。

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by tamon1765 | 2012-04-16 15:03 | 茶杓 | Trackback | Comments(0)

茶の木から

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by tamon1765 | 2011-10-13 08:16 | 茶杓 | Trackback | Comments(0)

『大徳寺茶道名宝展』 の茶杓

先に購入した、『大徳寺茶道名宝展』(大燈国師650年大遠緯
記念(1985) 緯の字は言べん)に掲載の茶杓を入力する。

長らく使っていたパソコンが、昨年2台とも立ち上がなく
なってしまい、それまでのデータは失われた。
過去に入力した茶杓に関するデータも、水泡に帰した。
また少しづつやっていくしかあるまい。

●真珠庵
・佐久間真勝作
・片桐貞昌

●南宗寺
・利休

●高桐院
・三斉宗立
・清厳宗渭

●玉林院
・無学宗□
坊主より尊きものは茶杓竹
ならくの底もすくいとるな梨

●龍光院
・小堀遠州 藻塩

●芳春院
・片桐石州
・大口樵翁 蟻腰
・宙宝宗宇 蛭子

●孤蓬庵
・不昧宗納
拝上 □海大和尚禅室 宗納
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by tamon1765 | 2011-01-19 04:23 | 茶杓 | Trackback | Comments(0)

西山松之助先生の喜寿記念

西山松之助先生の「茶杓七十七題 喜寿記念 西山松之助展」
(平成元年6月、三越デパート)
の図録を求めた。

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開いてみていると私には楽しいのだが、おかしな感覚に襲われた。

お茶に興味のない人から見れば、お茶杓は耳かきの大きなもの、
竹のスプーン?といったもの。
お茶を知っている人でも、西山先生を存じ上げない人には、これらの
お茶杓はどう映るのかな。。。。。と思ってしまったのだ。

利休さんのお茶杓といえば、皆、目の色を変える。
紫野のえらいお坊さんといえば、皆、有り難がる。
もちろん、仏法僧なのだからそれだけでも有り難い。
しかし、「その話に接した事もない(生きているお坊さんならば)し、
昔の方にしても実は詳しく知らない。でも、紫野とあるから。」
といって特定の茶杓を重んじるのでは、チト寂しいではないか。

禅僧でない西山先生(実は、学生時代から参禅をされある団体にも
所属の在家さんである)の茶杓は、どのような扱いを受けるのかな、
とはそこのところである。
勿論、先生を存じ上げる方、また、先生の茶杓の本などをお持ちの
方には貴重なものであることには違いない。
実際、素材のすばらしいもの(自然の造型といいながら、よく見つけら
れたなあ、よく入手されたなあ、と思えるもの)、面白く削ってある
なあ、流石だなあ、美しいなあ、と様々である。


言葉を変えていうならば、茶杓は単体で芸術品、美術品として自立
しうるか、という問題である。

今は問題提起に留め、後日書こうと思う。
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by tamon1765 | 2010-07-17 16:38 | 茶杓 | Trackback | Comments(0)

かけ分け

サティーネの木について、
宗恵さんから
>どのようなお茶杓になるのでしょうか。
とのご質問をいただきました。

白地と海老茶の二色が鮮やかですが、これを
生かしたいです。
つまり、かけ分けをやってみたいです。
さて、どうなることやら。。。。。。。。
まだ夢の段階ですが。

写真は、桂の木でかけ分け風に左右違った色
のお茶杓を削った際の、下削りの段階です。
興味をもってくれた娘へ渡し、彼女が完成させ
ました。残念ながら、完成品の写真が見当たり
ません。
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by tamon1765 | 2010-02-18 21:43 | 茶杓 | Trackback | Comments(2)

「春の山」 

両口屋是清の 「春の山」 ?
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加藤敏郎画伯の春の山の絵のようでもあります。
(山岡荘八、伊達政宗のカバー絵)

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いやあ、そんなこと思うのは私だけですかね。
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木の名前はサティーネ。下記は裏の面。
お茶杓を削ろうと思って買ってきました。約300円。


<22.2.22>訂正
以下の部分、間違いでした。すみません、お詫びの上訂正させてください。

>平山郁夫画伯の春の山の絵のようでもあります。
>(昔の大河ドラマ、春の坂道のカバー絵)

ちなみに、平山郁夫画伯の春の坂道のカバー絵は以下のとおりです。

<22.3.3>写真3枚を以下のように追加
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by tamon1765 | 2010-02-09 22:50 | 茶杓 | Trackback | Comments(1)

上田宗箇作 「敵がくれ」

上田宗箇さんに、「敵がくれ」というお茶杓がある。
これは、大阪夏の陣の際、泉州樫井の戦さの最中、
迫り来る敵軍を待ちながら、眼の前の竹薮から竹を
切り出し、悠然と二本削ったというのだから、
すてきな話しだ。

ホンマカイナ? じゃあ、その時、櫂先はどうやって
曲げたの? などと、問う勿れ。
話としては、その豪胆な心意気を味わえばいい。

私は、この茶杓は、以前銀座の松屋デパート?三越?
の上田宗箇展で、拝見した。 (毎度毎度の10年前、
20年前に……との言い草に、我ことながら苦笑)

ぶっきらぼうで、美的とかナントカとかいう代物では
なかったように覚えている。
しかし、これがあの……..と強い印象はある。
期待が大きかっただけに、記憶にとどまっている。

とすると、お茶杓(に限らず、茶道具というものは)
故事来歴、由緒によるものなのか、と言う気持ちが
頭の中をよぎってくる。
ゆっくり考えることにしよう。

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戦さの最中のお茶杓削りから連想されるのは、
関東大震災の折の話しだ。
あるお茶人さん?経済人?が、削っていたのか、お茶事
の最中にかに、地震。
この大地震の「スワッ、逃げろ!」という時に、目の前の
お茶杓を条件反射で懐に入れて、逃げたという。
避難先の財閥の大物?が言う、「君らのようなお茶人は、
こういう時にこそ、あわてふかめずに、静かにお茶杓を
削るべし」と。
すると、件のお茶人「その茶杓は、ホレ、このとおり」
と胸(着物なのでしょう)から取り出した。
というお話し。
果たして、誰だったのやら。


<24.2.22> 追記
敵がくれの写真を追加。引用元は、ひろしま文庫2の
上田宗嗣著「茶道上田宗箇流」(昭和59.11.1)p63から。
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by tamon1765 | 2008-11-13 12:53 | 茶杓 | Trackback | Comments(2)

後西天皇の宸作茶杓


眩いばかり美しい茶杓、そして筒。もう言うべき言葉がない。
それが、
後西天皇のご宸作のお茶杓だ。

以前、もとじさん(銀座の呉服屋さん)で、陽明文庫展があり、
その時に、家熈さんの茶杓箪笥を目にすることが出来た。
夢のような時間だった。
その後、東博での「冷泉家の名宝展」でも展示されたであろう
から、目にされた方も多いと思う(諸事情のため私は行かず)。

もとじさんでは、陽明文庫文庫長の名和修さんともいろいろお話し
出来た。
そこで、奇跡ともいえる自然の造形を実際に目にして、疑問が
むくむくと沸いてきたそのことを尋ねてみた。
私 「後西天皇の宸作は、茶杓も素晴らしいけど、筒が素晴らしい。
これは、西山松之助先生によると、自然の造形といいますが、
実際に、蔓がこのように綺麗に巻きつくものなんでしょうか。」
すると、名和氏 「あなたはどう思われますか?」
と逆に質問されてしまった。
私 「人が削ったように見えますが….」
名和氏 「そうかもしれませんねえ」とニコニコしているだけ。

それ以前は自然の造形とばかり思い込んでいたが、本物を拝見して、
人間の手が加えられていると感じた。
もちろん蔓も絡まっていただろう、しかしこれ程均等となると難しい。

ところで、西山先生のご本を拝見すると、私の誤読と思い込みだった
ことがわかる。(「茶杓百選」)
筒と茶杓の造形が天下一品
といい、
おそらく藤蔓に巻かれた竹が枯死して胡麻竹になったのを、
造形したものではないかと思われるが、見れば見るほど前代未聞
の傑作で、全く手垢がついていない清らかさに打たれる

と述べられている。
つまり、どこにも、「人の手の加えられていない、自然のみの造形」
とは書いていない。

なお、最終日ということもあって、
名和氏「今日はこれからこれ(茶杓箪笥)を持って新幹線で帰ります。
気を使いますよ。人に任せるわけにはいきませんから。」、と。
それはそう、天下の宝、人類の宝ですからね。
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by tamon1765 | 2008-10-04 22:56 | 茶杓 | Trackback | Comments(0)

蟻通しの茶杓

不白筆記の一節
(私の現代口語訳=超訳)

  &&&

蟻通しの茶杓は、出来上がった時に、冬木宗五が
とりわけ欲しがった。それに対して、表千家六代目
覚々斎宗匠は、とても譲れません、私の膝の高さ程
金を積んだら考えましょうと断られたそうだ。
その後、大金を包んできたが、それでも譲られなかった。
そして、京に戻る際に、息子の如心斎宗匠ヘの
お土産とした。
またその後、紀州の殿様がこの茶杓の噂を聞いて
ご覧になった。暫くは、殿様のもとに留まったが、
覚々斎宗匠は献上せず持って返ったほどの大切な
茶杓なのである。

わが師匠の如心斎宗匠は、このお茶杓を、茶筌飾り
で使って、お茶を下された。
この時の茶入れは、祖母懐の大蓋であった。

   &&&



<20.9.21>間違い訂正
<24.4.17>書き入れ、「息子の」部分
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by tamon1765 | 2008-09-20 10:46 | 茶杓 | Trackback | Comments(0)

気ま~まな独り旅


by tamon1765
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