カテゴリ:天心岡倉覚三さん( 13 )

「茶の本」の訳に疑問


天心さんの「茶の本」を読み直していたら、『白い茶筅』
とある。


竹製の茶筌が白いって、どういうことだろうと違和感を
覚え、「茶筅博物誌」を参照しようと探したが、
家の中で
所在不明。

白竹の謂いかと思いながらも、煤竹を使う表千家流から

見ると、どうなのだろうかと、疑問。
天心は江戸千家が身近
と考えたが、今の私には江戸千家
の茶筌の状況を
知るすべがない。


日本語訳から推測するに、「白い」は茶巾を修飾するの

ではないか、と感じて他の訳本もひっくり返してみた。


・ただ清浄無垢な白い新しい茶筅と麻ふきんが著しい対比を

なしているのを除いては、

          (村岡博訳。岩波文庫p54

・ただ清浄無垢な白く新しい茶筅と麻布巾が、いちじるしい

対照をなしているのを例外に、

        (宮川寅雄訳。講談社文庫p47

・ただ、清浄無垢な、白く新しい茶筅と麻布巾がかもしだす

特別なコントラストだけが例外である。

     (森才子訳。中央公論日本の名著p291

・唯一の例外は、竹の柄杓と麻の茶巾で、これだけはしみ

ひとつない真っ白で、まっさらなものでなければならず、

         (大久保喬樹訳。角川庫p84


原文は、

The mellowness of age is over all, everything suggestive of

recent acquirement being tabooed save only the one note of

contrast furnished by the bamboo dipper and the linen napkin,

both immaculately white and new.


私は外国語がからきし駄目なので、英文からの見てのコメントは

できない。
私としては、根拠のない想像をただ膨らませることになるが、

天心がどういうつもりで書いたか、を忖度したい。それだけだ。


何れにせよ、白い茶筅には違和感を覚えるし、whiteが竹製dipper

への直接修飾でないため、大久保先生の訳のみスムーズさを感じる。

和訳の修飾部の作り方が英文にも近いように思える。


一方、注目すべきは、他の訳者が「茶筅」として
いるものを、
大久保先生だけ「柄杓」と訳している点である。

英語辞書で動詞”dip”を見ると、確かに「・・・を掬い出す(あげる)

汲む、汲み上げる」の意味もあるが、むしろ、「浸す、ちょっと

つける」が先に記述され、メインの意味のようだ。

言うなれば、下げて液体の中に入れる・突っ込むという行為と、

そこから引き上げるという行為と、逆のベクトルをその意味の内に

含むやや面倒な単語だ。

ここで思い出すのは、中学生の時、leaveが「去る・出発する」

と「そのままにしておく」の2つの意味があることに、得心いか

なかったが、大人になって「出発していなくなっちゃえば、

残ったものはそのままだ」と漸く納得できた。

このdipも、「浸したら、今度はそこから引き上げなきゃなん

ないよ」ということで、2つの意味が生じたのであろう。

大久保先生は、「汲む」という訳語に引っ張られて柄杓として
しまったのではないかと、勝手に想像してしまう。

欧米に、茶の湯が未だ知られていない時代。

当然のことながら、柄杓も茶杓も、他の茶の湯の道具、さらには

その概念も、英語で言語化されていなかった。

だから、天心は一つ一つ対応する言葉を探しながら“the book of tea”

を書いたのであろう。

このdipperは、汲むための柄杓なのか、撹拌道具の茶筌なのか。

私としては、時代さびたお茶碗との対照を考えると、置き合わせ

をする茶筌に軍配を挙げたい気がする。

<28.6.28>文意変えずに加筆。



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by tamon1765 | 2016-02-03 23:21 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(0)

天心さんは浄土真宗本願寺派

天心関係の本をひっくり返していたら、天心の法名は

「釈天心」とありました。

とすると、茶の本の中で、天心自身は禅を好意的に書いて

いますが、浄土真宗ということになりますね。

いろいろ探してみると、葬儀の導師は、永称寺の住職

和久隆広師とありました。

台東区根岸の長久山永称寺は本願寺派ということです。

偶々ですが、私はこの2月に鴬谷の「御行の松」を見に

行ったので、この永称寺の門前を横切っているのですね。

西蔵院、永称寺、千手院、要伝寺と、どこも門をくぐり、

本堂と、門脇のお地蔵様・観音様などへ手を合わせる程度

なのですけど





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by tamon1765 | 2015-04-01 14:13 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(0)

生の術


「生の術」を説く茶道についてはほとんど注意が払われていない。

茶の本の一節です。
天心は、茶道を生の術を説くものととらえていることが分かります。
利休、織部といった、死と引き換えにする生き方に、最近やや辟易
しているので、「お茶は、死ではなく生のためのもの」との捉え方
に親近感をおぼえます。
いずれにせよ、生活を豊かにするもの、潤いを与えるものでなくて
は意味がないでしょう。

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by tamon1765 | 2013-07-22 14:27 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(4)

大学時代に茶の稽古を

大久保喬樹訳「茶の本」の解説部分を開きましたが、
興味深い記述を目にしました。

 大学時代、天心は琴、南画、漢詩、茶など伝統日本文化
の稽古にも励み、後年の基礎となる教養を身につけても
いる。(p183)


というもので、ただ単にお茶に接したのではなく、はっきり
「稽古」という言葉を使っています。
 先生は、やはり、江戸千家でしょうか?
 
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by tamon1765 | 2012-08-05 06:26 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(0)

六角堂が再建

本日のNHK首都圏ネットワークのニュースです。
(18時51分)

「五浦の六角堂」が再建されたということです。
さらに、昭和38 年の改修で撤去された中央の
六角形の炉も再現されました。

参考; 茨城大学「岡倉天心記念六角堂等復興基金
について

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by tamon1765 | 2012-04-17 19:55 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(0)

「六角堂」、津波で消失

今まで気が付かなかったのですが、以下の次第です。
残念です。

以下引用:

岡倉天心ゆかりの文化財「六角堂」、津波で消失
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20110312-OYT1T00635.htm
 文化庁の12日午後6時現在のまとめによると、岡倉天心ゆかりの登録有形文化財「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」(茨城県北茨城市)が津波によって消失するなど、9都県で21件の文化財被害が確認された。
 六角堂は天心率いる日本美術院が北茨城に拠点を移す際、1905年、思索の場所として天心が自ら設計した。
 ほかに、仙台市の重要文化財「東照宮」で、門や鳥居の礎石がずれたほか、茨城県常陸太田市の史跡「水戸徳川家墓所」では、墓碑が倒壊するなどの被害が出た。
(2011年3月12日20時22分 読売新聞)
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by tamon1765 | 2011-08-02 12:01 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(0)

天心はハイデガーの先生

マルティン・ハイデガーに、“Inner-Weltlich-Sein”
世界内存在という概念があるが、なんとこれは、
天心の“being in the world”(「茶の本」)
を取り入れたという説があるという。
もしそうならば、天心はハイデガーの一字の師ならぬ、
一概念の師ではないか。
それもハイデガーにとってキーとなる概念の!
ということになる。
なかなか愉快だ。
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by tamon1765 | 2009-08-05 23:57 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(1)

「茶の本」 の本領とは

近重物安 「茶道百話」 を開いて俄然愉快に感じた。
「岡倉天心の茶の本」 の一節である。

天心の 「茶の本」 は大変重要な本ではあるが、私には
疑問の書である。
学生時代に読んだ時の違和感を未だに引きずっている。
それぞれの話はわかるが、全体の流れやら、本全体で
言おうとしている意図がつかめず難渋した。いや、今も
難渋している。

引用すると、眞澄物安氏はこう言っている。
岡倉氏の感興なるものは殆ど凡て支那上代の哲人の
思想をかりてゐる。否少なくともこれを読みこれを咀嚼
して、再び岡倉サンの筆の先から再生したものである。
極言すれば岡倉サンの学問の発露で、お茶の本領
ではない。


確かに、この本には道教的要素があると指摘される。
別に、道教だからいけなくて禅ならば良いと言うつもり
は全くない。百人いれば百通りのお茶でいいではないか、
と普段言っているとおりだ。
ただ、この世評の高い名著(既に古典扱いだ)が、私に
はよく分からない本である。

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by tamon1765 | 2008-12-07 08:05 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(1)

落ち葉

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惣じて露地の掃除は、朝の客ならば宵にはかせ、
昼ならば朝、その後は落ち葉のつもるも、その
まま掃かぬが功者也 (茶話指月集)


「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と
言ってその茶人はしかった。そう言って利休は庭におり立ち
一樹を揺すって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を
散りしかせた。(「茶の本」第四章茶室、村岡博訳)


以前から、この、「庭掃除で落葉を全部取り払ったのが、美的でない
からと、また葉を散らす」という話の原典を探そうと思っていました。

話が脇にそれますが、「茶の本」で訳者名を明記したのは、
面白いことがあるからです。
直接上記には引用しませんでしたが、村岡訳では、ばか者と叱られ
るのは、紹安。
そして、宮川寅雄訳では、「愚か者め」と叱られるのは少庵なのです。
今家の片づけが悪くて、森才子訳の本は見出せませんし、買って目
にするのがとても楽しみな本・大久保喬樹先生がどう訳しているか、
興味深いです。

と、それはさておき、紹安はのちに道安と名を変える利休の実子。
少庵は、ご存知のとおり、利休の再婚相手宗恩の連れ子(つまり血の
つながりはありません)、そして利休の娘亀と結婚。
つまりこの家庭は、親子がそれぞれ結婚(親同士、子同士)という器用な
ことをやってのけた興味深い例です。
と、また脇にそれましたが、
紹安(せうあん)、少庵(せうあん)と平仮名書きでは同じということで、
大きな混乱を招きました。村井康彦先生の著作が物語っているとおりです。
訳者は、何を見何を根拠に訳しているのか興味の湧くところです。

<19.12.5>加筆。
<20.1.7>大久保喬樹先生訳では、少庵でした。本日、本屋で立ち読みしました。
<20.1.27>森才子訳も、少庵でした。
<20.6.1>杉本捷雄氏の推測によると、
  少庵とお亀(ちやう?)の結婚(子同士):天正4または5年
  利休と宗恩の結婚(親同士):天正6年
<20.6.27>道安の名前訂正(道庵となっていました)
<21.12.18>今読み直しますと、矛盾がありました。杉本捷雄氏が正しいとすると、
  「少庵は、利休の再婚相手宗恩の連れ子」はおかしいです。
  「利休が再婚した宗恩は、利休の娘婿の母親」と書くべきですね。
<24.3.12>岡倉一雄編の天心の全集を見かけました。
  聖文社、昭和13年2月発行。
  岡倉一雄・渡辺正知訳では、紹安(つまり道安)でした。
<24.7.1>大久保喬樹先生訳購入。
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by tamon1765 | 2007-12-04 02:09 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(8)

光にみちた空虚とは

    驚いたことに何一つ書くことがありません。
    すべては言い尽くされ、なし尽くされました――
    安んじて死を待つほか、何も残されていません。
    広大な空虚です――暗黒ではなく、驚異的な光に
    みちた空虚です。
    炸裂する雷鳴の、耳も聾せんばかりの轟音によって
    生みだされた、無辺際の静寂です。


これは、死の近い天心が、最後の恋の相手に送った
手紙(1913年8月2日付)の一部である。

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by tamon1765 | 2007-07-02 23:04 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(0)

・・・


by tamon1765
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