袱紗捌きの位置


袱紗捌きは、膝の外迄ではないが、膝位迄の

所でやると、動作が大きく見えてよい。

*

という面白いメモが出てきた。そのメモの頭に、

「高幡不動のお茶会も終わり」云々とあるので、

私がお茶を始めた頃のものだ。

袱紗捌きの位置は、以前、左膝の中央と書いた

記憶がある。左右の手で三角形を作った時に

その頂点の延長線は、アイロンがけしたズボン

の折り目の上に来る、というわけだ。

但し、それは縦軸の話しであり、横軸は?と

いうのが今回の書き込みである。

つまり、縮込まらずに袱紗捌きをするためには、

膝頭近くまで袱紗を持ってくるのをよしとする

考えだ。大きく見せるお点前というのが、私と

してはなんとも嬉しい。

尤も、やり過ぎて膝を突き抜けた先に位置設定

したら、滑稽であろう。

余談ながら、この形から、能の「常ノ構エ」を

連想してしまった。

*

*

以上、個人的考えであり、流派の教えではありま

せんので、そのように取り扱い、師伝によって

ください。


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# by tamon1765 | 2017-08-10 09:39 | お点前 | Trackback | Comments(0)

視点を変える

*

視点を変えるという。

とかく人は、ひとつの視点に固執して判断を誤り、

物事の本質を見損なうことが少なくない。だから、

視点は柔軟に変えてみる必要があるという。

いちばん難しいのは、自分に対しての視点を柔軟に

変えることかもしれない。

すぐれた作品を読むと、ほとんど例外なく、作者の

自他に対する平等な目に感歎させられてしまう。

*

竹西寛子「蟻」から

*


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# by tamon1765 | 2017-08-08 15:24 | ことば | Trackback | Comments(1)

仰木魯堂についての覚書


仰木魯堂についての覚書

  *

1.過去の書き込み

藤原銀次郎の旧蔵本 2015 12 03

護国寺の『魯堂顕彰碑』 2006 11 15

蘭奢待を聞香する 2009 05 21

高崎の水琴亭 2009 05 11

  *

2.作品

(1)邸宅、別荘

 中野家、団琢磨、団伊能、赤星鉄馬、今井繁三郎、

 岩原謙蔵、藤原銀次郎、春海藤次郎、小坂善次郎、

 塩原又策、馬越恭平、杉孫次郎、福井菊三郎、

高橋箒庵、今村力三郎、梅沢渋柿庵(原宿)、桜井宗芳、

馬越幸次郎、川部太郎、松方正義、藤瀬家、

堀家、小倉房造、有馬長文、中村好古堂、

岡部長景、間島乙彦、三井養之助、●団家(仙石原)、

松永安左衛門、津村重舎、吉田家(井の頭)、

小倉常吉、大橋新太郎、久世家(鎌倉)、岡部家(三津浜)。

外、別荘、葉山2軒、奥多摩2軒。

(2)料亭

 新橋花月、赤坂水戸幸、浅草八百善、京橋竹葉亭

(3)田舎家

 強羅白雲洞、伊豆川奈ホテル、平林寺山荘、

(4)茶室

 総持寺、音羽護国寺

(5)仏教施設

 ●音羽護国寺多宝塔、埋経塚(場所?)、観音堂(寺名?)

 団家墓碑及墓域、堀家墓碑及墓域


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# by tamon1765 | 2017-08-02 15:16 | 近代の茶人 | Trackback | Comments(0)

穂先調べ


今日、お茶を点てている時に、フト昔のことを思い出した。

お茶を始めた頃の疑問だ。

それは、穂先調べの手の持っていき方、についてである。

茶筌とうしでは、茶碗の中で茶筌を「の」の字に書いた後、

に浮かせ自分の視界に近づけて穂先調べをする。

が気になったのはこの部分の手或いは腕の動きであった。

どんな風に持ち上げてくるのが美しく自然か?

*

私なりの結論は、直線的に腕を引くのではなく、山なり

に引いてくるのがいいのではないか、と。

緩やかに、頂上を目指す感じ。

以上のように思って、私はそうしてきた。

また、大寄せのお茶会に寄せてもらっても(昔の話)、

お点前さんはここをどんなふうにするのかな、と興味深く

拝見してきた。

残念ながら、おおよそ、教則本にあるのは手順であって、

私の希望する内容はあまり記載されていない。

*

お茶会(大寄せ)では、茶筌とうしをきっかけに、正客は

お菓子に手を伸ばす。しかし、なんせ大勢のお客である。

お客は、手持無沙汰で且つ席入りしてまだ物珍しい状態

なので、実はここが最も注目度が高いのではないかと思う。

*

勿論、穂先調べで頂点に来た時に、茶筌は腕から直線上に

無くてはならず、茶筌が上向きになっているのは不格好。

手の回転の仕方にも注意点があることは間違いない。

*

処で、いつも思うことだが、穂先は水屋にて自分で確認し

なければならない。

そして、万万が一、本番で穂先が折れていた場合、一時中断

して一度水屋へ戻る勇気が必要だ、と思う。

或いは、半東さんへ、替えの茶筌を持ってこさせるか、だ。

大寄せのお茶会では後者の方が現実的であろうか。

つまり、穂先調べで折れているならば、茶を点てる瞬間には

間違いなく折れた部分は分離する。ということは、お客様へ

竹の切ッ端を飲ませることになってしまう。

本末転倒。問題外。

*

*

以上、私の個人的な見解です。師伝によってください。

*

<29.8.12>編集ミスを訂正。





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# by tamon1765 | 2017-08-01 11:54 | お点前 | Trackback | Comments(0)

お出会いでお道具を返す訳


教則本を見ると、拝見後の道具の返し方が丁寧に記載されている。

しかし、なぜそうするのが書いてない。こんな風に考えれば

いいのではないかと思うので、試案であるが、ここに書いてみる。

ある場面を想定してみる。

お茶事に誘われた。毎度毎度あることではない。

何年に1回あればよいこと、否、最初で最後かもしれない。

今回特に、お弟子さんをご一緒にとの有難い言葉。

で、稽古を始めてまだまだ日の浅いA子を連れて行くことにする。

さて、ご亭主は、家宝のお茶入れを出して呉れた。

このような立派なお道具をご用意されるとは!

これこそ、最初で最後の眼福であろう。

私は正客となり、妹弟子が詰め、A子は次客だ。

(現実に、家宝を出す茶事に初心者の状況は有り得ないです

申し訳ないが、当然ながら茶事は、正客である私を中心に進む。

全ては、正客のために、というわけだ。

濃茶をいただき、拝見となった。

素晴らしい唐物茶入れに手が震えるが、有難く拝見する。

お詰めさんが仕覆を拝見し終わり、お出会いでお返しする処だ。

よっこらしょっと!と、気合を込めて立ち上がる。

 *

何故、年寄りで足のやや不自由な正客が立っていくのか。

お正客ファーストと考えたら、わざわざ足の悪いお正客を立た

せて、仕事をさせる必要があるのか。

しかし、ここがポイント。

1)家宝の茶入れを先程、見せていただいた。しかし、これが

最期と思うと、お願い!もう一寸だけ、もう一度見せて!

という思いが強い。目に焼き付けて、手に感覚を残したいです。

お名残りの拝見です。

2)亭主のこんな大切なもの、有り得べきことではありませんが、

もし万が一粗相があってはいけないです。そのチェックも

含めてもう一度を、拝見したいです。

と、考えてみたらどうでしょうか。

いつもお稽古で使い慣れているお道具へ、ちょっと違った思い入れを

することで、また違うのではないでしょうか。

 *

と、エラそうに書きましたが、言わずもがなの当然の事かも........

以上、私の勝手な考えですので、皆さんは師伝によってください。





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# by tamon1765 | 2017-05-27 14:02 | お点前 | Trackback | Comments(0)

水道橋心中


読む人によっては、あまり後味のいい話題ではないかも

しれません。そのことをご了解の上、お読み下さい。

 *

「享和雑記」p72を眺めていたら、川上不白さんの元にいた

若い男女が心中をしたという話が目に入りました。

校訂者三田村鳶魚による解題には、この水道橋心中は、

志満山人作「梛の二葉」として文政6年に刊行されたと

ありますから、江戸の或る時期には流布した話だったの

だと思われます。

 *

話の内容は、享和元年1801年、不白82歳のこと。

「酉十一月六日小日向水神の社辺にて相対死あり、若衆は

十五歳、娘は十六歳といふ」というものですが、娘は

不白の妾です。妾は5人、そのうち3人は17歳以下。

一方、若衆は、「(不白の)倅が仲間の与力の次男、容貌人並みに勝れ

利口弁佞なる生まれにて習ふともなく、茶湯をよく覚えて

年に似合わず取り廻す美少年あり」とあり、(不白の)寵愛又類なし

と。つまり、男色関係にあったということでしょう。

私としては、不白さんには、ややガッカリ……..

ですが、人は誰でも(私も)時代と土地の習慣の制約の中

に生きているのですから、今この瞬間の私の立場から

批判してもしょうがないです。

さて、娘がこの美男に恋慕し二人はそういう関係になった。

不白は知りながら空知らず顔をし、むしろその後は遠慮して

この妾をただ傍に休ませるだけにして、労わってあげた。

いずれ、少年を与力にし、この妾を遣わしてあげようと

思っていたが、「不慮の事出来て愁嘆いうばかりなし」。

娘は懐妊し、不白の心を知らずして、二人で死を選んだ

ということです。

恋はお家の御法度の時代ですからねえ。

この作者(柳川亭と自称しているが詳らかならず)は、

激しい非難とは思えませんが、不白の奢りをたしなめていると

いった趣です。

 *

どっかで、この話を読んだなあ、と書棚をさがしてみました。

 井口海仙「随筆茶道」平楽寺書店兌s18.12にありました。P126

 矢田挿雲「江戸から東京へ」無かったです。

 武江年表にもありません。

 *

井口氏は、何か別の種本があるのでしょうか。幾分違いが

あり、気になります。不白の妾に変わりないですが、十七八歳。

近所の若者と愛し合うようになり、家出した。

不白はすぐ彼女の手文庫を見たが、小遣いにあげた金子が

残っていたので、「あの女はキット死ぬ気だ。早く探し出して

呉れ」と捜索させた。が、時遅し、早稲田の田圃で情死していた。

金を残して出奔するは生命危し、とのことで、井口氏の最後の

コメントは

「不白は、茶の湯のことのみではなく、世事にも、中々詳しい

人物であつた事が、この逸話でよく知れる。」

こんなまとめ方でよろしいのでしょうか。

私には大いに疑問ですし、不満です。



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# by tamon1765 | 2017-05-24 18:55 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

高幡不動尊


関東三十六不動霊場会(このような概念、団体の存在も

存じ上げませんでした)による、十二年に一度の総開帳

とのことでした。

真言宗の護摩焚きをお参りして、神秘的な炎に、少し

身が清められた気がしました。

新緑もきれいで、気持ちがいいです。

境内も落ち着いていて、有難いものです。


e0024736_1151312.jpg

家人が申すには、ここで昔お茶会やったネ。

えっ?

そう言われれば、この門(茶室知足庵の額札が見える)

の前で集合写真を撮ったものがどこかに在る筈。

しかし、お茶会そのものもお茶室も全く思い出せない。

もう30年も昔のこと……イヤア、びっくりした。

e0024736_11513157.jpg




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# by tamon1765 | 2017-05-17 21:51 | Trackback | Comments(0)

茶碗を拭く際の軸(2)


先の茶碗を拭く際の軸の件で、相弟子のお二人から連絡を

いただきました(NKさん、SSさん)。

*

お二人とも、先生からは、「茶碗は水平にして傾けないで拭

くように」習ったといいます。

特に、姉弟子からは、「お茶碗は、飲むときだけ傾けるけど、

置いてある時、運ぶ時、お茶が入っている時等、水平の方が

自然で綺麗な感じがします。」とのコメントをいただきました。

(個人メールで)。

取り敢えず、先生の教えは夢でなかったので、安心しました。

*

以上、ローカルなお話です。上記以外は間違いだなどと主張

する意図は一切ありません。

皆さまは、師伝によってください。




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# by tamon1765 | 2017-05-14 13:37 | お点前 | Trackback | Comments(0)

松平定信「茶事掟」


はなはだ面白い文書です。

私には、定信と言えば、子供の頃覚えた「一人縄なう松平定信」

のイメージです。老中として、ケチケチ政治、いや、失礼。

幕府財政立て直しのため、緊縮政策の人。

ということで、老中自ら足の親指人差し指に藁を挟み、一人

黙々と縄をなう人。

 *

はて、何ですか? って?。

「ひとり1な7わ8な7う」で、1787寛政の改革です。

閑話休題。

定信公の本文を引用すると、


・わがほどを守りて、奢りたるものなど玩ぶまじき

・わざとひなぶれたるも、その分限にはあらざるべし

・そのほどをこそよくこうがえ侍るべき

・只その分限をしりて本末を弁え

・よくその程々を守るこそいみじけれ

・分外の物数寄をなすぞ、本意に背けし


とあり、自分の分を守りなさい、にその主張は尽きます。

茶道具に、むだなお金を費やすな!とも。

身分社会のなせる発言とみる向きもあるかもしれませんが、

私としては、常識的なことであり、私の今の生活信条と

一致します。

外に引用すると、


・くまぐま心を尽くし

・くさぐさ心を尽くすべき

好ましい表現です。なかなかいい感じの人であったかも。

 *

さて、笑ったのが、千家の七種蓋置の三ツ人形に対して、

「人の形あるものの上へ、熱くなった釜の蓋を、自分は

熱いものだから帛紗を使って取りながら、その子供の頭

の上へ置こうというのは、心無い人の仕業だ。

あるいは、亀の形をした香合の蓋を取ると、甲羅のみ

離れて、頭も手足も身の方に残るのが、生き物の姿と

かけ離れて、殺風景でおぞましい。」と。

私自身、唐子というモチーフが好きで、七種蓋置のなかで

唯一求めたものなので、笑みがこぼれてしまう。

亀の香合については、これは謂われなきイチャモンかな。

ではどの部位が蓋に付随すれば満足ですか、と定信公に

伺いたいですよ。デザイン作品は、そういうものでしょう。

 *

また、本文末にも正論を吐いてます。曰く

「利休なども、自ら切った竹の花活けに、自分で削った茶杓を

使った。これこそ風流が一段と優ったものだ。

利休の作った花入れを使うよりも、自ら竹を切って出した方が、

かえって利休の心にもかなっている。

大金を出して古い道具を求めることは、その本意に背いている

ことは、言うまでもない。」

 *

さて、最後に、今後の宿題として、楽しみな一節。

「いまにては千々のこがねを出してふるき品をとかい求むるは、

かの妖物の戒めおそるべし」

かの妖怪とは、何?誰?



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# by tamon1765 | 2017-05-11 14:27 | Trackback | Comments(0)

茶碗を拭く際の軸

未だに、どちらが良いのか分からない事がある。

それは、茶筌とおし後、お湯を建水にあけた後の

茶巾で茶碗を拭く、拭き方である。

先生からごく初期に、茶碗は平らなところを同じ

速度で回転しているようにして上下しないように

と教わった(ように思う)。

それから私はそれを守ってきた。

しかし、他のお弟子さんへそのような厳密な指導

をされる場に出くわしたことがない。

多くは、高台を持つ左が傾き、茶碗の軸は左上空へ

傾いている。(私の場合、茶碗の軸は垂直)

*

軸を垂直にするには、茶巾を持つ右手側もそれだけ

肘が上がり、武ばった形となるのは否めない。

勿論、きれいな動き、きっちりとした動きという

意味では、こちらに軍配は上がる。

しかし、お点前は「目立たぬように自然に」するのが

良しとする考えに反する。

*

かといって、いつもそうしている私に対して、そこまで

しなくともいいです、という指導もなかった。

そのようなわけで、初めに聞いたのは夢だったのかなあ、

どっちがいいのかな? といつも思っていた。

教則本にそこまで気にした記載は見いだせないし、

映像で見るものも、結構おおらかだ。

先生の試案だったのだろうか。私の勘違いだったのだろうか。

*

何かヒントをお持ちの方に教えを請いたい。

*

*

以上、私のまさに極私的な思いであり、流派の

教えとしての根拠はありません。先生のご指導

についても、私のあやふやな記憶です。

師伝に依っていただきたいし、お読みの方に

ご教授お願いしたいです。


*


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# by tamon1765 | 2017-04-26 12:47 | お点前 | Trackback | Comments(0)

五徳のなかの端厳徳

*

端厳徳

分からないと放ったままの言葉。

分からない言葉は辞書を引きなさいと、子供の

時に言われたことを思い出して、角川漢和中 辞典

を引いてみた。

*

正しく、おごそかなこと

*

意味としては字面そのままで、何も付け加え て

いないと いう気もしますが、、、、

勿論、「正しくないもの、穢れたもの」で 飲食物を

作るのは 嫌ですが、逆に五徳がなぜ、 「正しく、

厳かなもの」である のかの理由に なっていません。

むしろ、この道具に対して、五徳という名を つけた

のは特徴 や由来ではなく、こうあって ほしいとの

要請でしょうか。

*

あるいは、火を扱うということでの浄化作用、

神聖さ?そこ からの理由つけ?

*

私にはまだまだ闇の中です。

*


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# by tamon1765 | 2017-02-10 14:25 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

五徳のなかの尊貴徳

*

裏千家茶道教本器物編2「釜と炉・風炉」からの情報

として、以下引用しました。

*

三ツ足の鉄輪は、「自在徳、熾盛徳、端厳徳、

名称徳、吉祥徳、尊貴徳」の六徳を有す。

 しかし、自在鈎が出来たことにより、自在徳が

 除かれて五徳になり、それを名称とした。

*

この6項目の尊貴徳とは何のことか?

ふと、五徳の前期の使い方、つまり今と上下逆にした

使い方が、漢字の「示」そのものではないか、と

気が付いた。

おおよそ、「示」は、神をまつる祭卓の形とする

理解でいいと思う。つまり、示は、神様あるいは

貴を尊び、何ものかを捧げることを形象化した字だ。

そして、五徳の上に物を載せれば、示の字そのものだ。

そう考えるならば、尊貴徳もわかる気がする。


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# by tamon1765 | 2017-02-06 14:31 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

恭賀瑞春

酉年ということで、八幡様のお使いである鳩の話から。 鎌倉は鶴岡八幡宮様(早速乍ら、鳩ならぬ鶴なのですか? でも鶴サブレでなくて鳩サブレです。お宮のある高台が 鶴が丘という地名の故のようです)、その扁額の八の字は、 二羽の鳩が向かい合っています。 一方、京男山の石清水八幡宮様では、二羽が背中合わせと なっています。 また、仙台の大崎八幡宮様は、未だ参拝してないのですが ネットで見ますと、親子と思しき大小二羽の鳩が向かい 合っています。もちろん、大きな二画目が親鳩でしょう。 とすると、総本宮である宇佐八幡宮の扁額が気になります。 こちらのお宮さんも未だ伺ってないので、ご存知の方は、 どうかご教授ください。 ところで、この宇佐の駅には、USAという表示がある そうで、何かドキッとします(笑)。 武家の棟梁源氏の守り神である八幡様がUSAだなんて! と大昔、ひとり気が付いてほくそ笑んでいたのです。 が、なんてコタアナイ。 大正の昔に、日下部四郎太先生が『信仰仏利二人行脚』で 鉄道の旅で、宇佐に着くと、  隣席之子供「USAと書いて有るのは何と読むのでせう。」 三太郎「USAから北米合衆国の事です。(略)」 子供「此所は亜米利加です乎」 と既に書かれているのです。(大正8年印行p557) 愉快です。 さて、石清水を舞台とする能『弓八幡』では、弓を袋 に入れ剣を箱に納めるこそ太平の御代のしるしなれと、 武器行使を否定しています。 末広がりの平和な世を願うばかりです。


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# by tamon1765 | 2017-01-01 07:12 | Trackback | Comments(0)

五徳について、喜多村節信が

*

喜多村節信トキノブ『瓦礫雑考』を眺めて いたら、

*

こは足三ツありて、上下左右共に用べければ

五徳と名づくるか

*

とありました。

しかしながら、上下左右ならば、4で 3+4=7じゃ

ないですかね。 節信は上下の2を足したかったのな。

それにしても、足の三本に利用面の二面を 加えると

いう発想が、ちょと理解できない ですね。

*

日本随筆大成第一巻p507


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# by tamon1765 | 2016-12-21 14:57 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

稽古は花鳥風月にあり


口伝は師匠にあり、稽古は花鳥風月にあり

古靱太夫即ち山城少掾の言葉。


つまり、専門性は師匠に口伝で教わるものだが、

稽古とは師匠の前に座った時だけではなく、日常生活

のすべての場にある。花鳥風月をめでる心を以って

日常生活の中で気づきがなければならない。そのような

ものが稽古なのである


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# by tamon1765 | 2016-04-18 01:07 | ことば | Trackback | Comments(1)

「茶の本」の訳に疑問


天心さんの「茶の本」を読み直していたら、『白い茶筅』
とある。


竹製の茶筌が白いって、どういうことだろうと違和感を
覚え、「茶筅博物誌」を参照しようと探したが、
家の中で
所在不明。

白竹の謂いかと思いながらも、煤竹を使う表千家流から

見ると、どうなのだろうかと、疑問。
天心は江戸千家が身近
と考えたが、今の私には江戸千家
の茶筌の状況を
知るすべがない。


日本語訳から推測するに、「白い」は茶巾を修飾するの

ではないか、と感じて他の訳本もひっくり返してみた。


・ただ清浄無垢な白い新しい茶筅と麻ふきんが著しい対比を

なしているのを除いては、

          (村岡博訳。岩波文庫p54

・ただ清浄無垢な白く新しい茶筅と麻布巾が、いちじるしい

対照をなしているのを例外に、

        (宮川寅雄訳。講談社文庫p47

・ただ、清浄無垢な、白く新しい茶筅と麻布巾がかもしだす

特別なコントラストだけが例外である。

     (森才子訳。中央公論日本の名著p291

・唯一の例外は、竹の柄杓と麻の茶巾で、これだけはしみ

ひとつない真っ白で、まっさらなものでなければならず、

         (大久保喬樹訳。角川庫p84


原文は、

The mellowness of age is over all, everything suggestive of

recent acquirement being tabooed save only the one note of

contrast furnished by the bamboo dipper and the linen napkin,

both immaculately white and new.


私は外国語がからきし駄目なので、英文からの見てのコメントは

できない。
私としては、根拠のない想像をただ膨らませることになるが、

天心がどういうつもりで書いたか、を忖度したい。それだけだ。


何れにせよ、白い茶筅には違和感を覚えるし、whiteが竹製dipper

への直接修飾でないため、大久保先生の訳のみスムーズさを感じる。

和訳の修飾部の作り方が英文にも近いように思える。


一方、注目すべきは、他の訳者が「茶筅」として
いるものを、
大久保先生だけ「柄杓」と訳している点である。

英語辞書で動詞”dip”を見ると、確かに「・・・を掬い出す(あげる)

汲む、汲み上げる」の意味もあるが、むしろ、「浸す、ちょっと

つける」が先に記述され、メインの意味のようだ。

言うなれば、下げて液体の中に入れる・突っ込むという行為と、

そこから引き上げるという行為と、逆のベクトルをその意味の内に

含むやや面倒な単語だ。

ここで思い出すのは、中学生の時、leaveが「去る・出発する」

と「そのままにしておく」の2つの意味があることに、得心いか

なかったが、大人になって「出発していなくなっちゃえば、

残ったものはそのままだ」と漸く納得できた。

このdipも、「浸したら、今度はそこから引き上げなきゃなん

ないよ」ということで、2つの意味が生じたのであろう。

大久保先生は、「汲む」という訳語に引っ張られて柄杓として
しまったのではないかと、勝手に想像してしまう。

欧米に、茶の湯が未だ知られていない時代。

当然のことながら、柄杓も茶杓も、他の茶の湯の道具、さらには

その概念も、英語で言語化されていなかった。

だから、天心は一つ一つ対応する言葉を探しながら“the book of tea”

を書いたのであろう。

このdipperは、汲むための柄杓なのか、撹拌道具の茶筌なのか。

私としては、時代さびたお茶碗との対照を考えると、置き合わせ

をする茶筌に軍配を挙げたい気がする。

<28.6.28>文意変えずに加筆。



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# by tamon1765 | 2016-02-03 23:21 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(0)

藤原銀次郎の旧蔵本

秋成さん関連本を求めて、久々に古本市へ足を運んだ。

お目当ての本を見つけ、お茶関係の本は今はいいや

と思っていたら、創元社の茶の湯全集に遭遇。

全巻持っているので不要ながら、悪癖で「ちなみに幾らで

売っているのかな」と手に取ったが最後、買う羽目に。

何か挟まっている、栞替わりだろうが・・・・・・、

見ると、藤原銀次郎宛ての葉書きであった。

ということは、このシリーズ本は、彼の旧蔵本ダ!

と思わず買ってしまった。

どのページに挟んであったのか分からなくなった

のが残念。

まあ、この本は文献編なので、誰かと一緒に読むことが

あれば、その方に進呈することにしよう。


e0024736_11592153.jpg

処で、差出人の側も気になって、調べてみた。

山本亀光という方である。

で、結果としては、

『三井銀行五十年史』(1926.09)

大正12年(1923)に監査役山本亀光

とあり。

余談ながら、このようなことも、瞬時に調べられる

ネット社会に恐怖を覚えた。


<29.8.8>読み易いよう加筆。




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# by tamon1765 | 2015-12-03 21:59 | 近代の茶人 | Trackback | Comments(1)

お詫びと訂正「源氏窓の蓋置」


116日に書込みした「源氏窓の蓋置」に間違いがありました。

間違いをお詫びし、全文削除させていただきます。

訂正の上、改めて記事を掲載します。

「源氏窓」という名の弘入造の蓋置を使いました。

ベースは、つくね型(いやもっと薄い繊細な作品でした)

の赤楽をイメージしてもらえばいいでしょう。そこには

絵が施され、正面に花頭窓が描かれています。一方、円筒の

反対側の上方向には、丸い穴が開いています。窓部分は

透けた作りではないですが、この窓を通して月を眺めると

いう心なのでしょう。


源氏窓という言葉は、今回初めて聞く言葉であり、手元の

事典には記載はありません。

ネットの辞書を見ると、あっさり、「花頭窓。火灯窓。

唐様の上部が尖頭アーチ状の窓。」といった様にあります。


とするならば、近江の石山寺ということなになります。

紫式部が花頭窓越しに月を眺めている図。

濡れ縁の元には薄が見える、そんな絵柄があります。

そして、現実に、石山寺の本堂東側に張り出して、「源氏

の間」という紫式部が源氏物語を執筆した部屋があると

いいます。

それがまさに、花頭窓、いやいや源氏窓。

Webで検索すればその写真も見られます。



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# by tamon1765 | 2015-11-26 22:25 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

五徳の起源


表題の件、下記の本による情報です。

 三ツ足の鉄輪は、「自在徳、熾盛徳、端厳徳、

 名称徳、吉祥徳、尊貴徳」の六徳を有す。

 しかし、自在鈎が出来たことにより、自在徳が

 除かれて五徳になり、それを名称とした。

というものです。


但し、私には、

1.自由自在に使えるよ

2.火を盛んに起して使えるよ

は、鉄輪の性質として理解できますが、

  3.「端厳」は言葉としてまず不明。

  4.いい名前だよ

5.お目出度いよ

6.高貴な人(もの?)を敬うよ

が何故、この鉄輪に該当するのかが、分かりません。


ネットで探すと、この六徳は、

  山田宗偏の「茶道要録」によれば、仏書に

云々、と見出せましたが、仏書というのがあやしい。

何故、「**経」と明示出来ないのかしら?

もっとも、私は、六徳という考え自体、仏教では

なく儒教の考えかと思っていました。


さて、鉄輪は、自在鈎が出来る前は、五徳ではなく

六徳と呼ばれていたという話も聞かないです。


ということで、スッキリするまで相変らずの遅々
たる歩みです。

なんだかいつも堂々巡りをしているようで、

嫌なんですけど・・・・・・

オチとしては、五徳はやっぱり加減乗除の世界に

あるってことですかね(笑)


裏千家茶道教本器物編
2「釜と炉・風炉」S41、p146


過去の書き込み

 五徳の由来

 五徳への連想


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# by tamon1765 | 2015-11-25 22:21 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

カウネンキ


「同門」11月号(532号)を眺めていたら、
「表千家家元の初釜で残月亭の床に飾られる盆山」
として、カウネンキ盆山が掲載されていました(p17)。

エッツ? 更年期!
と、一瞬驚きましたが、
年をあらためるという意味での更年なのでしょう。
但し、キが分かりません。
季、期、祇、紀、希、、、、何でしょうか?

石の裏にカウネンキと直書きされたのは、宗旦さん。
箱書きは如心斎とのことです。

流線型の、3つの山のような、流れのような石で、
新年の飛躍を感じるようなステキな石です。




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# by tamon1765 | 2015-11-22 18:37 | | Trackback | Comments(2)

掛物古語拾遺


「掛物と日本生活」西堀一三

S16 河原書店

掛物古語拾遺 の目次(数字は頁)


連歌比興鈔1

烏鼠集1

志野宗温伝書6

諸作之巻6

小笠原流「万躾之次第」8

松屋筆記8

南方録10

分類草人木12

茶道故実14

茶経事実15

茶道奥秘録17

利休居士改正書院飾秘事17

旦日記24

佐久間不干斉「明記集」25

賑草26

吉田織部伝書27

作湯方目録28

吉田織部数奇之書29

吉田織部雑談29

喫茶雑話30

長闇堂記30

茶道闇明集31

橘屋宗玄覚書32

道具及諸家古語32

石州三百ヶ條34

和泉草36

石州表具伝書38

石州伝書39

表具秘伝書39

茶道旧聞録41

茶道秘事42

表千家流伝書43

藤林宗源伝書44

望月集45

松花堂上人行業記48

江月和尚茶書48

遠州流茶湯手引草48

遠州流数奇全鈔49

茶道便蒙鈔50
行言録50

茶話真向翁50

茶道覚書51

茶湯法方52

掛物取扱口伝54

松風雑話56

貞丈雑話58




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# by tamon1765 | 2015-11-20 15:55 | | Trackback | Comments(0)

墨跡と書の違い

会記で、お軸は「**書」と書きますが、

江戸期以前の国師級の老師の書には、

「**墨跡」の文言を使える、と教わりました。


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# by tamon1765 | 2015-11-13 19:01 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

作と造の違い

会記で、「造」の字を使えるのは、千家十職

だけ、だそうです。表千家では、の話しです。



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# by tamon1765 | 2015-11-09 07:45 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

方円籠の花入れ


使ったお道具は、即中斎好みの方円籠でした。

竹?で編んだ花入れで、地が四角、天の口が丸

途中窪みがあります。イメージ的には、四角錘と

球の組み合わせといった感じでしょうか。

さて、このブログで過去に引用した言葉から、

即中斎宗匠は、四角から丸への修行を表現した

花入れとして好まれたのではないかと、勝手に

想像しました。

如心斎曰く、

 四角なる物の次第次第に丸なる道理、工夫

あるべし         (『茶話抄』)

川上不白曰く、

 茶の湯のことは、角成るものの円きがよし。

 此一句至極の伝授也。大切に得心申すべし。

(『不白筆記』)


さて、そのような話はないかと、事典を紐解き

ましたが、記載はありませんでした(角川、

淡交社、冨山房=梅園高橋龍雄、東京堂=
桑田忠親)。


また、事典を目にして初めて知りましたが、

裏千家淡々斎宗匠のお好みで、方円卓という

お棚があるそうです。その心は「昔の人は

大地は方形で、天すなわち宇宙は丸いと考えて

いたようで、これを表わし」または「日月を
象どって作られて」とあり、上記に
引用した
考えとは別世界の考え方のようです。


<27.11.11>追記
東京堂出版「茶道辞典」桑田忠親編を追加。


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# by tamon1765 | 2015-11-07 19:48 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(0)

ホリエモン氏の発言に対して感じた

ホリエモンこと堀江貴文氏の記事を見て書く。

この人は、とにかく人を押しのけても人を騙しても

金と名誉が欲しいという人らしい、という私なりの
理解である。

よって、私と人生観が違うので、ネットでこの人に関する

記事見出しを見ても、これまで見出しにとどめていた。

しかし、聞き捨てならない見出しなので、ついその記事を
開いた。
その記事へのコメントである。

ホリエモン「寿司職人が何年も修行するのはバカ」発言 数か月で独り立ちの寿司はうまいか?J-CASTニュース 11月2日(月)18時47分配信


なぜ、私がこれに拘ったか。

私は、「日本の職人や伝統芸能は、時間の蓄積を必要と

するもので、ぽっと出は基本的にはあり得ない。」という
考え
だからである。お茶の世界もそうだと思っている。

だから、この発言は私の行為を否定するものである。


この人は、短時間で金儲けをするために詐欺行為を働いた

だ。つまり、「時間をかけた蓄積、成熟」といった観念に

欠けている人であったということであろう。

確か、牢屋に入った筈と記憶しているが、今回の発言を目に
すると、この人何も
変わっていないことが分かる。

私の年来の主張「人なんて簡単に
変われるものじゃない」
のサンプルが、またひとつ増えた。

見かけは着飾っていて派手に振る舞っていても、私の基準
では貧しい人の分類だ。

ある種、憐みさえ感じる。
私とは人生観も違うし、或る意味どうでもいい人である。

しかし、マスコミに出て、害毒を流さないでほしい。


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# by tamon1765 | 2015-11-04 12:03 | Trackback | Comments(0)

気ま~まな独り旅


by tamon1765
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