2008年 07月 30日 ( 1 )

客は茶の湯のワヅラヒ

茶の湯は客と云うものなし
却つて客は茶の湯のワヅラヒと古人も申され候
さればとて独り楽めとにはあらず
分限者のあさましき心には
道具何れも珍しき物ばかり出し申し候
善からん人のせぬ事なり
一二種かはりたるは数寄一人たる心なるべし


杉木普斎


皆さんはこれをどうお読みになっただろうか。

浅ましい心のある者は珍しい道具ばかり出したがって、
結局のところ、他人への自慢である。
だから、お客の存在は、茶湯にとって病気の元凶である
というのだ。
一種の極論である。
お客あってのお茶であり、お茶会であり、茶事だ。
そもそも、人一人で現在の茶の湯が成立したかあやしい。
コミュニケーションの中で発生したものであり、
連歌の座と同列に語られるとおりである。

もちろん、普斎さんも、そんなことは先刻ご承知。
    だからと言って、茶の湯は独りで楽しみなさいと言うわけ
    にもいかない
と記しているとおりだ。
それにしても、何故もっと中道で語らないのか、と
思わず感じる。
先日の宗旦さんの遺偈然り、利休さん然り。

ここで、おかしなことに気がついた。
もしかして、お茶をやる方って、本当に皆激しい人なの
ではないか。(。。。。もしかして、ですよ)
激しい人をひきつける何かが、お茶にあるのか。
それとも、お茶を始めると、心の奥底にしまわれていた激情が
顕わにされるのか?
もちろん、そんなこと分からないし、私の勝手な空想である。
ふと、自分の性格を振り返ってみた、ニヤリとするしかない。

<20.7.30追記> 普斎さんの本文以外の、私の感想部分を追加。
<20.9.12追記> 長闇堂久保権大夫は、「数奇をたしなまん人は
    ふたん茶独りたてましき物也」と述べている。今のような稽古茶
    という概念がないからであろう。これはこれで、至極まっとうな
    意見と思う。
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by tamon1765 | 2008-07-30 07:13 | 『普斎茶道伝書』 | Trackback | Comments(1)

気ま~まな独り旅


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