2008年 07月 04日 ( 1 )

点前の精神的意義

エラソウな御託を並べてないで、私自身もっと基本に帰らねば、
と感じて、久々に、吉田尭文宗匠の『表千家流点前』を手に
取った。

お点前の解説以前の、序説がぐっとくる。ある種、衝撃だ。
題は、「点前の精神的意義」である。
引用する。

すべてのものにおいて、一定の形式のないところに一定の精神の
宿るはずがありません。

何回となく点前を反復練習しているうちに、知らず知らず茶道の
精神を体得できるのです。


嬉しくなるほど良い話だ。私は全面賛成。
というよりも、もしかしたら、若き頃この一節を眼にして、逆に
この考えに陶酔したかも知れない。そして、

どこまでもどこまでも厳しく点前を学ぶべきです。そうすれば、
そこにはおのずから広い境地が開けてきます。


このあと、表千家七代目如心斎宗匠のエピソードが紹介される
(その内容は、ゆっくり味わい考えたいので今は出さない。
興味のある方は、ご自分で本を紐解いてください)
が、早い話、名人の話である。

こうかんがえてきますと、それ(茶道は柔弱、遊びとみなす)どころ
か、男子一人が精魂をきわめても、なお容易に至りがたく、古来
こうした茶道の名人は、何人ありましたでしょうか。


話はどんどん盛り上がってきた。
最後の結論へ向かって、その高みに向かって加速が上がる。
文脈として、いい感じだ。
そしてこの章の最後の一文が、ちょっとした驚きを与える。

そして、なおしょせんこうした境地に至り得るのも、要は点前の
反復練習に過ぎない卑近な一途でありますから、道はきわめて
近きにあります。


目を大きく開いて見直して欲しい。
「道は遠い」のではない。「道はきわめて近きに」あるというのだ。

茶化しでもなんでもない。
この思考回路は、私の予測を遥かに超えたというか、見事に覆さ
れ、心地良いコンフュージョンのなかに、たゆたうことが出来た。
お茶の稽古は、凄いことなのだ。
天才でも、名人ならずとも、点前の反復練習によって、そのような
境地に至り得る!と言うのだから。
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by tamon1765 | 2008-07-04 23:55 | お点前 | Trackback | Comments(4)

気ま~まな独り旅


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