2008年 06月 29日 ( 2 )

同じ茶碗が、同じでない

林屋晴三さんの講演記録を読んでいたら、オヤッと思った
処があったので、書き留めておきます。
何度かその謦咳に接したこともあり(といっても、1対1では
なく、講演を伺いました)、また、ご実家の茶園の見学会にも参加
させていただき、また著作ではお世話になっている方です。

さて、引用すると、
(雨漏茶碗の説明で) しかし焼けた当初は、窯跡で破片を拾って
みますと、井戸などというものはあんな色とは違うのです。非常に
きれいです。 (略)
ですから焼けてすぐ日本へ請来されたときは、井戸茶碗も雨漏も
今見るものとはちがって、いわば味のないものだったということ
もいえますね。


お話の流れから、「これら茶碗の美しさ、すばらしさは一朝一夕で
出来たものではない。三、四百年の長い蓄積によるものである。
そのことを味わってほしい。」 と言いたいであろうことは、よく分かり
ます。

しかし、大きな問題が残ります。
我々が今見る「井戸茶碗」「雨漏茶碗」と、応仁期、安土桃山期
江戸初期の同じ茶碗が、同じでないということなのです。
つまり、我々には、古さびて見えるお茶碗が、彼らの時代には、
つるつるのピッカピカだったのかもしれないのです。
その当時を想像して、林屋さんは 「味のないもの」 という言葉を
使っています。
しかし、その当時の彼らはそれを重んじています。
つまり、彼らにとって、「味のある茶碗」 だったのではないか、
とも想像できます。

とすると、
1) 当時のそのものの状態はどうだったのか
2) それを当時の人はどう評価したか
そこを正しく整理しないと、当時の人々の美意識とされるものが、
現代人の単なる勝手な思い込みに堕する危険があります。


似たような例では、たとえば、奈良の古寺を巡礼して、いいなあと
感じます。一方、韓国のお寺に行って、その極彩色にややウンザリ
します。
しかし、奈良のお寺も創建当時は朱塗りの極彩色だったかもしれ
ません。たとえば、薬師寺のご本尊も、金ピカだったでしょうか。
当時と現代では、死生観も宗教観も同じではありません。
深く考えてみたい問題です。


なお、林屋さんの講演は、昭和51年2月13日。第23回朝日ゼミ
ナール。表題は、『唐物と高麗茶碗』。
私は筆記録を目にしただけで、その場で聴いたわけではありません。



<校正>24.2.6 文意を分かり易くするため、一部加筆。
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by tamon1765 | 2008-06-29 12:37 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(6)

うぐいすの囀り(2)

毎朝、今日はうぐいすはどうかしら、とそれを楽しみに起床している。
そして、聞こえると、傍らのチラシの裏紙にメモするが、その紙が
バラバラで、見比べようとすると見当たらない。困ったものだ。

さて、五月雨の降る中、本日、
8:20 小さな声で、ホーケキョケキョ
8:40 通る声で、ホー、ホケキョ(複数回)
その後も、ケキョキョ
これらは、チュチュともキュキュとも聞こえ、字に写しずらい。

でも、雨のなかでも聞けて、幸せ。
今までの記録を遡ってまとめておきたいと思う。
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by tamon1765 | 2008-06-29 10:12 | Trackback | Comments(2)

気ま~まな独り旅


by tamon
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