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禅に対する違和感

体の良い高尚な言説や言葉尻だけ素晴らしい
言いように虚しさを感じることがあります。
そのような時、この発言者は、果たして本当にそう
思っているのだろうか。心の底からそう感じている
のだろうか、と思います。
私は、自分自身が心の底から湧きあがるように
感じたことでないものは、私にとっての真実では
ないと思うようにしているので、世評と大いにずれる
物事が多々あります。
今、テレビのアナウンサーやコメンテイターとやらの
己を高見においたお上品なまとめ方について、
なにやら言うつもりはないです。

自分自身書き留めておきたくなったのは、
著名なO老師の著作をめくっていたら、このように
あったからです。

衆生本来仏なりというのは、決して人間の素朴な、
直接肯定を意味するものではありません。それが、
この身即ち仏なりとなるためには、限りのない無の
深淵を超えなければなりません。つまり現実のこの
欲望的人間を否定しなければなりません。いちどは
どうしてもバラリンズとやらなければいけません。
大死一番して、絶後に蘇るという体験が必要なのです。


何もO氏を否定するつもりもないし、おそらくこの方は
心の底からそう感じ発言しているのでしょう。
但し、残念ながら、言葉としては理解できますが、
愚かな私には感覚的には全く理解不可能です。

大死一番してと言い南泉の猫のように斬られてしまえ
ば、それで終わりです。蘇ることは出来ません。
限りのない無の深淵---もし、そこに至り得ていれば、
おそらく既にこの世にいないのではないでしょうか。
現実の欲望的人間とは即ち自身そのものです。それを
否定することは到底出来ません。
なぜなら、この文言の意味はどういう意味か、もっと
知りたいと思っていることが欲望です。超えるという
意識すら否定しています。論理矛盾そのものです。
以上、すべて言葉遊びに過ぎなくなっています。
だからこそ、不立文字なのだ、と言われるかもしれま
せんけど。

私には、感覚的に違和感のみで何ら響かない話に過ぎない
ということなのかも知れません。
このO氏は縁なき人と思わざるを得ないですし、禅の世界
と遠く隔たった距離を感じるばかりです。
Commented at 2009-02-16 18:13
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by たろう at 2009-02-16 19:11 x
僕も、自分のカラダで識ったことを大切にしています

その上で、僕個人は、禅ってものも、そのもののみかた・生き方のアプローチを、面白く感じています

この記事の
tamon1765の言葉も
O老師の言葉も

それぞれに面白く読みました。

Commented by tamon1765 at 2009-02-19 13:00
たろうさん コメントありがとうございます。

私自身、多くの禅語に励まされて今日まで来ているので、
禅というものに感謝しなければいけませんし、
あまりへんないい方は出来ないです。

しかし、たろうさんも仰るとおり、体で知ったこと
感じたことこと、皮膚感覚を大切にしたいです。
Commented by tamon1765 at 2022-03-23 12:10
上記の出典は、

大森曹玄「碧巌録(下)」たちばな文庫 p99-100
by tamon1765 | 2009-02-15 22:10 | 仏様の話し | Trackback | Comments(4)

お茶、その他についての、極く私的なブログ


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