自然と趣向

一つ前の書き込みに対し、たろうさんから頂いたコメント
から考えたことが、大切なことと思うので記事にします。

鳥尾得庵居士のいう、「茶の湯における、野趣」という
ことについてですが、なかなか魅力的な言葉であります。

私は、「人工でない自然、作為のなさ、そして、そこに
見出せるもの」、そんなものをぼんやり思っていました。
もっと言うと、それは必ずしも美に限らず、例えば、
芒の寒々しい景色やら、もっと自然から受けるすべての
印象のようなものを思い浮かべていました。
でも、たろうさんに、「自然の美」とスパッと決めて貰って
スッキリしました。
私の言う「自然から受けるすべての印象」といっても、
まさに、美のことなのでしょう。

さて、これは、深い問題を内包すると思います。
「趣向」ということがお茶事で言われもしますが、
道具の所持も無く、そんなテーマ毎に何かをやることも
出来ず、いつも同じ道具でいいじゃないか、と考える私は、
必要なのは「趣向」じゃない、「自然」だと、言いたく
なるわけです。
実際、主題は有っていいのは当然ですが、余りに凝った
道具立ての茶会記を目にすると作為を感じ過ぎて、私の
求めるものと違うなと感じるわけです。また、金持ちの
大騒ぎの会など。

このように、自然を重んじるというと、では「自然とは
何か」という冒頭の設問に堂々巡りして戻ってしまう
わけですね。
そして、なぜ「自然が必要なのか」
「野趣と自然と、敢えて文言が違うのは何故」
と言う具合に。


<20.12.20追記>
表千家の而妙斎宗匠の言葉を引用しておきます。
「水の流れるように」
<20.12.25追記>
里見弴の言葉から 「我儘から本当の生活が芽をふく
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Commented by たろう at 2008-12-16 18:51 x
こん**は。

こちらの記事もとてもとても興味深く読みました。

ぼくにとっても、改めて、感じ、考える機会に、茶の湯の稽古の励みに、日日の暮らしのヒントになりそうです。

ありがとうございます。
Commented by tamon1765 at 2008-12-18 12:37
たろうさん
ありがたいお言葉、恐縮です。
このようなお言葉を頂き、私ももっともっと精進しなければと
襟を糺す思いです。

さて、自分で読み直してみると、自然と言う言葉の意味に
混乱があります。2つの「自然」が、ごっちゃになっています。

ひとつは、自分の中から湧き出る本性とでも言うのでしょうか、
例えば、「自然に振舞う」と言うときの自然。
作為無く自然に振舞って則を越えず暮らせればすごいことですし、
まさに無事の人で、まさに貴人といえるでしょう。

いまひとつは、人工の反対の自然。植物やら景色やら。
明らかに今回はこちらの意味ですね。
もちろん人間の作為の加えられていない自然の風情を意味する
わけですけれども。
私自身、いま少し、自然の定義から考えなくてはいけないかも
しれません。
Commented by たろう at 2008-12-18 19:00 x
自然とは何か?

を問うことは、茶の湯に限らず、いつでもどこでもだれにでも、大切なことだと思っています。
茶人である自分が茶の湯をするときにも、茶の湯の内輪からでなく、より見地から見て・感じて・考え、稽古したい、と思っています。

その眼が、僕にとっては「自然」かもしれません。

さて。

「自然」の定義のこと。

挙げられた2つの「自然」

・自分の中から湧き出る本性

・人工の反対

あるいは

・自分

・景色

は、別のものでしょうか?

孔子さんの「七十而從心所欲 不踰矩」も
臨済和尚の「無事是貴人」も

実は、その辺の消息をよーくあらわしているように感じられます。

僕も、自然ということ、を
改めて、よーくみて、感じ、考えてみよう
と思います。
Commented by 朝露 at 2008-12-19 00:37 x
こちらの話題もたいへん興味深く、2度目のお邪魔で失礼します。

私も点前する時「自然な所作」になるよう心掛け稽古しています。
が、茶を点て飲むということは人為に他ならないのではないかとも思っています。
自然と人為は相対するものと捉えることもでき、それは矛盾することになってしまいます。

「自然な」を英訳するとnatureが一般的ですがautomaticと訳すこともできます。
automaticというと「自動的」という意味で使うことが多いですが、「無意識的」という意味も持っています。
茶を点てる行為をnatureではなくautomaticの意味合いである自然=無意識的なものと捉えたらどうでしょうか。

では「無意識的」とはどういうことなのか。
私は「ない意識」ではなく「意識がない」「意識をしない」と考えたいと思います。はじめから何も考えないのではなく、意識を積み重ね、考え尽くした結果、その先にある境地が無意識だと思います。

私自身、automaticな所作(意識がなく動くこと)ができるように修練を重ねることを再認識させられた次第です。
by tamon1765 | 2008-12-16 12:56 | ことば | Trackback | Comments(4)

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