腰の服紗

またもや、引き続いて末宗廣「お茶のたて方のみ方」から
の話題。

服紗は何故、腰にぶら下げるか。

元、これは支那で高貴の方が佩玉といって玉を腰に下げる
風習があった。それに習って、腰に下げる服紗だと言われ
ている。
下げることが礼の表象のひとつとも言われ、羽織袴をつけ
なくとも、この服紗がそれに代わる。
(p106)

のだそうだ。
全く考えたことも無かったし、知らなかった。

ところで、服紗といえば思い出すのは、友人が異流混合の
お茶会(大寄せ)を催すというので、手伝いに中京地区まで
馳せ参じた折のこと。
そこで出会った、まだ始めて間もないという、お運びの係り
の大学生の男の子、彼は服紗を右にぶら下げていた。
思わず、「アラ、あなた、服紗の位置が逆ですよ。」と言うと
「イエ、うちはこうなんです」と。
織部流とのことだ。
えらそうに注意をした自分を恥じたことは言うまでもない。
その時、見る見るおのれの顔が赤くなった。
あー、今思い出しても、恥ずかしい。
おそらく今の私も、同じように、分かる人から見たら笑止
千万なことばかりとは思うが、自戒したいものだ。

さて、この佩玉がいつの話しで、それがいつどのように
わが朝に伝来し、いつ茶の湯に取り入れられたのかが、
気になる。
そういえば珠光さんは、腰に付けていたのか、どうか。
服紗の今の大きさは、利休さんの後妻の宗恩さんが作っ
たものによる(それ以前より大きくし、それを利休さん
が気に入った)ように記憶しているが、そうすると、それ
以前は、腰のものはあまり目立たなかったのか。
そういえば、当時の服紗の色はどうだったのだろう。

疑問は膨らむ。

<20.12.13訂正>お恥ずかしい誤りです。
  全く逆に書いてしまったという誤りです。
  お詫びして訂正させていただきます。
  大変失礼しました。
  訂正内容は、宗恩さんは服紗を大きくした、です。
<20.12.15訂正>上の訂正に伴う直し。
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Commented by 一寸庵 at 2008-12-11 11:41 x
古流は服紗を右に付けるらしいですね。ということは、利休さんも右に付けていた事になりますでしょうか。
服紗を左に付けたのは、宗旦さんが左利きだったとかいろんな説があるようです。
因みに当流も宗旦流ですので左に付けますが、以前は道具を拭う布ですので、右勝手の場合は服紗を右に付けていたようです。
Commented by 夢庵 at 2008-12-12 09:01 x
右につけるのは、武家の流れはほとんどではないでしょうか。
遠州流、有楽流、石州、鎮真などなど
刀を左に差すからだと聞いたことがありますが、真偽のほどは?
Commented by tamon1765 at 2008-12-12 12:40
一寸庵さん 夢庵さん
こんにちは
私も「武家の流派は刀を左に差すから」という理解でした。
「古流」というのは初めて聞きました。
でもよく考えたら、利休さんは武家茶人の先生ですから、
生徒向けによかれと右に設定したのかもしれないです。
(私の勝手な想像ですが)。
色々広がりそうな話題ですね。
Commented by 一寸庵 at 2008-12-12 22:57 x
多聞さん、夢庵さん
藪内家も服紗を右につけているのは御存知でしょうか。
宗旦流が全盛の現代では間違われやすいのですが、
元々、服紗は右につけるもので
堺の茶人達は紹鴎も利休も宗及も右で、
利休から相伝を受けた薮内紹智もみな右だったのではないでしょうか。
私は武家の流れというより宗旦に連なる流派だけ左で、
他の流儀は古流のまま右につけていると考えておりました。
勝手な思い込みでしたら非常に恥かしいです・・。
ご教授のほどをお願い致します。
Commented by tamon1765 at 2008-12-13 18:04
一寸庵さん
おや、昔あった藪内家のNHK茶道講座もぼんやり見て
いましたが、右につけていたとは全然記憶にないですね。
一体私は何を見ていたのやら。
さて、右左の前に、私は先ず、腰に何時からつけたのかな
という課題から出発です。
例えば、慕帰絵の頃は、陰点てと思いますが、その際服紗
はつけているか、お運びはつけているか、といった点です。
とりあえず、江岑夏書の一節から、利休さんが腰につけて
いたことの根拠は取れました。
http://teabowl.exblog.jp/5952918/
こちらでも、一体私は何を見ていたのやら。
Commented by 一寸庵 at 2008-12-13 19:54 x
なるほど、いつから腰につけていたのかという課題ですね。
私は遠回りしてでも歴史を一つずつ遡って、
まずは宗旦流を解明して行きたいと考えておりまして、
桃山以前の事はまだ程遠い感じです・・。
けど、きっとどこかの文献には載ってると思いますので、私も見つけ次第お伝えしたいと思います。
Commented by 夢庵 at 2008-12-16 11:30 x
鎮信流でしたね。間違えてしまいました。訂正いたします。
ところで、以前に遠州流の濃茶立前の席で袱紗を途中で
懐中する所作を見た記憶があります。
勘違いかもしれませんが。
他の流派でもそのようなことがあるのでしょうか?
Commented by 朝露 at 2008-12-17 00:37 x
はじめまして。
服紗のお話に興味を持ちはじめて参加させて頂きます。
論点がずれてしまい恐縮ですが、ふくさについて私は以前から大きく3つの疑問を持っていました。

宗恩はなぜ大きくしたのか。元の形で何の不都合があったのか。また宗恩の創作した大きさをなぜ利休が採用したのか。

なぜ正方形ではないのか。正方形の方が自然であるように思う。そうでないことに何の必然性があるのか。

ふくさは服紗、袱紗、帛紗という3種類の書き方があるのはなぜか。各々身につける、かぶせる、白い絹という意味を持つと思うが


恥ずかしながら不勉強のため、まだどの疑問の解決にもたどり着いていません。
できましたらご教授頂ければ幸いです。
Commented by tamon1765 at 2008-12-17 12:35
一寸庵さん こんにちは
>まずは宗旦流を解明して行きたいと
芯になる目標があって素晴らしいです。
私は見てのとおり、浮気ものでして、昨日は長唄、
今日は能と、その場その場の気まぐれで今日まで
来てしまいました。
なにか文献でヒントになることがあったら、是非
教えてください。よろしくお願いします。
Commented by tamon1765 at 2008-12-17 12:35
夢庵さん 仰るとおりでした。全然気が付きませんでした。
とかく私は千家の世界の中に生きているのかな、と思い
ながらも、ちょっと見てみると
道安→石州→鎮信の流れですから、やっぱり同じ利休さんを
水源とする流れですか。
改めて利休さんの偉大さを実感しました。
私も懐中する所作を見たのは、遠州流だったと思います。
遠州の方のコメントを待ちましょう。
Commented by tamon1765 at 2008-12-17 12:47
朝露さん はじめまして、お立ち寄りいただきありがとう
ございます。
ここでは教科書的なことを書いてもつまらないので、私の
独断と偏見の呟きを書いていますので、どうぞお気楽に。
さて、服紗の色々な疑問、興味がわきますね。
ご教授どころか、私も何も分かりませんが、これから
気にしてみます。お互いに情報交換しましょう。
服紗(という漢字も、これでいいのかしらと、やや逡巡
してしまいますが、笑)を大きくした理由にはなりません
が、あることを思い出しました。
それは、利休さんは2メートルを越える、当時としては(
今も)大男だったという話です。
何で読んだのかなあ。。。。。
by tamon1765 | 2008-12-10 12:36 | お点前 | Trackback | Comments(11)

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