森川如春 「田舎家の茶」

森川如春「田舎家の茶」「茶会の思い出」を読む。
(創元社 全集茶道)。

後者は想像力を必要とするので、今後ゆっくり読み直
していくとして、前者は頷ける。
主旨としては、田舎家の茶の紹介に始まり、正統でない
こと(茶室や書院でないから)を認めつつも、その効用を
述べるものである。

もとより茶に法はあろう。けれどもそれはそんなにむずかしい
窮屈なものではない。法あって法なく、法なくして自から法
あるのが茶道の真髄である。





邪道茶道を思へば、田舎家の茶の方がどれほど清純であるか
分からない。

田舎家では、……何とも云えない親しみが主客の心に深く
相通ずるのである。

少なくとも昭和の茶は正に昭和の実生活に即した常識の茶で
あらねばならぬと信じるものである。


晩年まで労働を一切せず、十代で名品を購入のために大金を
動かしたこの人が庶民の常識を持っていたかという疑問は残るが、
庶民は庶民の常識との考えでこの文を読めばいいだろう。
その主張は正しいと思う。
(注記をすると、時雨入手時はそうではないが、その翌年の17歳
で、森川家当主となっているので、それ以降のお金の使い方に
ついては外野がとやかく言うべきではないかも知れない)

また、冒頭から、 「田舎家は益田孝翁が東京品川の御殿山に
為楽庵を建てられたのが最初」 に始まり、小田原の観涛荘も
如春の世話で北尾張の古家を需めたとあり、二人の関係が
偲ばれる。
さらに、如春庵の名古屋覚王山の田舎家の写真もあるが、
この床の間には、砂張の 「つるの一声」 が飾ってある。
なお、掛けてある小筆切は私では不明。


<20.12.6追記.>
邪道と言うことに関して、遠州流の堀内宗長氏はこのように
述べられています。
http://homepage2.nifty.com/TEA/sado100-1.html

以下引用******
茶道はこうあるべきだと言われると、もうダメである。
「茶道に邪道なし」が私のモットー。茶道への思いが
強すぎると、窮屈になる。心が一人歩きし始めると
やっかいだ。こだわりを捨てると回りが皆師匠に見えてくる。
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Commented by soukou-suzuki at 2008-12-08 01:49
こんにちは
初めてお邪魔しました。不勉強な私は、ときどきここで、学生時代のように、「人のノートを借りて」勉強します。
>心が一人歩きし始めるとやっかいだ。こだわりを捨てると回りが皆師匠に見えてくる。
この言葉に出会えてよかったです。(^^)
Commented by tamon1765 at 2008-12-12 20:37
soukou-suzukiさん こんばんは
ご来訪ありがとうございます。不勉強だなんてとんでもない、
私の色々と教えてほしいです。

言葉に関しては、堀内宗長氏に感謝ですね。
by tamon1765 | 2008-12-06 08:50 | 近代の茶人 | Trackback | Comments(2)

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