点前の精神的意義

エラソウな御託を並べてないで、私自身もっと基本に帰らねば、
と感じて、久々に、吉田尭文宗匠の『表千家流点前』を手に
取った。

お点前の解説以前の、序説がぐっとくる。ある種、衝撃だ。
題は、「点前の精神的意義」である。
引用する。

すべてのものにおいて、一定の形式のないところに一定の精神の
宿るはずがありません。

何回となく点前を反復練習しているうちに、知らず知らず茶道の
精神を体得できるのです。


嬉しくなるほど良い話だ。私は全面賛成。
というよりも、もしかしたら、若き頃この一節を眼にして、逆に
この考えに陶酔したかも知れない。そして、

どこまでもどこまでも厳しく点前を学ぶべきです。そうすれば、
そこにはおのずから広い境地が開けてきます。


このあと、表千家七代目如心斎宗匠のエピソードが紹介される
(その内容は、ゆっくり味わい考えたいので今は出さない。
興味のある方は、ご自分で本を紐解いてください)
が、早い話、名人の話である。

こうかんがえてきますと、それ(茶道は柔弱、遊びとみなす)どころ
か、男子一人が精魂をきわめても、なお容易に至りがたく、古来
こうした茶道の名人は、何人ありましたでしょうか。


話はどんどん盛り上がってきた。
最後の結論へ向かって、その高みに向かって加速が上がる。
文脈として、いい感じだ。
そしてこの章の最後の一文が、ちょっとした驚きを与える。

そして、なおしょせんこうした境地に至り得るのも、要は点前の
反復練習に過ぎない卑近な一途でありますから、道はきわめて
近きにあります。


目を大きく開いて見直して欲しい。
「道は遠い」のではない。「道はきわめて近きに」あるというのだ。

茶化しでもなんでもない。
この思考回路は、私の予測を遥かに超えたというか、見事に覆さ
れ、心地良いコンフュージョンのなかに、たゆたうことが出来た。
お茶の稽古は、凄いことなのだ。
天才でも、名人ならずとも、点前の反復練習によって、そのような
境地に至り得る!と言うのだから。
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Commented by 悠月 at 2008-07-07 16:35 x
「すべてのものにおいて、一定の形式のないところに一定の精神の
宿るはずがありません。何回となく点前を反復練習しているうちに、知らず知らず茶道の精神を体得できるのです。」

本当に迷いの解ける言葉ですね。
書に置き換えても「臨書に始まり臨書に終わる」ということなのでしょう。
「一途」という言葉が頭に浮かびました。よいお話をありがとうございました。


Commented by たろう at 2008-07-09 10:06 x
面白く読みました。
僕の尊敬する方の座右の銘を思い出しました。

「平素にあり」

Commented by tamon1765 at 2008-07-21 12:51
悠月さん  コメントありがとうございました。
昨日テレビを付けたら、北京観光の映像のなかで、
「書道とは、自分を表現する一つの哲学なのです」
というようなことを言っていました。
ああ、良いことを言うなあと思いました。
少しでも自分の本質に迫った表現をするには、型に
則った訓練が必要なのは言うまでもありません。
そのような訓練を経ていない、自己表現はレベルが
低くて見るに堪えません。
前衛藝術といわれるものの幾らかと、若者の自己
満足なヘタウマとやらいうものども。
かく言う私、なにも訓練もせず、現在「無」の状態。
筆を持たなければ、ヘタウマ未満。
もっともっと真面目に生きなければいけないと、
反省の日々です。
Commented by tamon1765 at 2008-07-21 13:00
たろうさん
お茶のブログを開き、お茶の心なるものを本から
引用していますが、私の平素は無茶そのもの。
お恥ずかしい毎日なのです。
例えて言えば、この部屋のなかは絶対の覗いては
いけないと注意喚起する、安達原の鬼女の如し。
先ず、地に足をつけた、落ち着いた生活を築かな
ければいけないと感じました。
ありがとうございました、
by tamon1765 | 2008-07-04 23:55 | お点前 | Trackback | Comments(4)

気ま~まな独り旅


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