同じ茶碗が、同じでない

林屋晴三さんの講演記録を読んでいたら、オヤッと思った
処があったので、書き留めておきます。
何度かその謦咳に接したこともあり(といっても、1対1では
なく、講演を伺いました)、また、ご実家の茶園の見学会にも参加
させていただき、また著作ではお世話になっている方です。

さて、引用すると、
(雨漏茶碗の説明で) しかし焼けた当初は、窯跡で破片を拾って
みますと、井戸などというものはあんな色とは違うのです。非常に
きれいです。 (略)
ですから焼けてすぐ日本へ請来されたときは、井戸茶碗も雨漏も
今見るものとはちがって、いわば味のないものだったということ
もいえますね。


お話の流れから、「これら茶碗の美しさ、すばらしさは一朝一夕で
出来たものではない。三、四百年の長い蓄積によるものである。
そのことを味わってほしい。」 と言いたいであろうことは、よく分かり
ます。

しかし、大きな問題が残ります。
我々が今見る「井戸茶碗」「雨漏茶碗」と、応仁期、安土桃山期
江戸初期の同じ茶碗が、同じでないということなのです。
つまり、我々には、古さびて見えるお茶碗が、彼らの時代には、
つるつるのピッカピカだったのかもしれないのです。
その当時を想像して、林屋さんは 「味のないもの」 という言葉を
使っています。
しかし、その当時の彼らはそれを重んじています。
つまり、彼らにとって、「味のある茶碗」 だったのではないか、
とも想像できます。

とすると、
1) 当時のそのものの状態はどうだったのか
2) それを当時の人はどう評価したか
そこを正しく整理しないと、当時の人々の美意識とされるものが、
現代人の単なる勝手な思い込みに堕する危険があります。


似たような例では、たとえば、奈良の古寺を巡礼して、いいなあと
感じます。一方、韓国のお寺に行って、その極彩色にややウンザリ
します。
しかし、奈良のお寺も創建当時は朱塗りの極彩色だったかもしれ
ません。たとえば、薬師寺のご本尊も、金ピカだったでしょうか。
当時と現代では、死生観も宗教観も同じではありません。
深く考えてみたい問題です。


なお、林屋さんの講演は、昭和51年2月13日。第23回朝日ゼミ
ナール。表題は、『唐物と高麗茶碗』。
私は筆記録を目にしただけで、その場で聴いたわけではありません。



<校正>24.2.6 文意を分かり易くするため、一部加筆。
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Commented by 悠月 at 2008-06-30 22:04 x
「井戸茶碗」「雨漏茶碗」と一緒に考えたら怒られそうですが、こんなことがありました。
主人の実家のお寺で長く使われていたお煎茶の茶碗、急須、湯冷まし1組を主人がもらってきたのです。お寺では古いお抹茶茶碗なども日常に使っていますが、私は汚れの付いているのは本当はいやなのです。義父の書斎には炉が切ってあり、遊びに行くとそこで日に2回くらいお茶に呼ばれそのお煎茶セットもそこで使っている道具の1つでしたが、茶碗の内側の汚れがどうも古い味を超えていると思い(私は風情を理解できないのか!と思い悩みましたが・・・)内側を思い切って漂白しました!
思い入れのある主人はそれ以来そのお茶碗をいいとは言わなくなりましたが、お客さんには出せるようになりました(笑)
この場合は「自分の慣れ親しんだ物への思い入れ」を私が使うために拭い去ってしまったという話ですが、同じ茶碗でも、もしかしたら「観賞」するステージに上がったものと「用」のステージの段階のものとの違いなのかなと思ったりもしています。
関係あるようなないような話になってしまいました。スミマセン!
Commented by 佐藤 at 2008-07-03 12:41 x
こんにちは。薬師寺の話ともども興味深いお話、ありがとうございます。
「当時、新品の茶器をどう評価したのか」。
使い込んでいけば、あちこち古びていく。その古びた様子が面白そうだ。古びることで良さ・面白さが出そうな茶器だ…… といったように予想することもありますか? 新品の段階で資質を見抜いて育てる。いえ、古びた様を見てみたいと思わせる雰囲気が新品の時点で持っている、といいうべきかもしれませんけれど。
Commented by tamon1765 at 2008-07-05 10:57
悠月さん コメントありがとうございました。
「一緒に考えたら怒る」どころか、逆です。
「一緒に考えなければいけない」ものと思います。
悠月さんの行為そのものは、間違いじゃないと思います。
ただご主人様とご相談の上がもっと良かったのでは。。。
と、人様のご家庭内を、スミマセン。

さて、もし、「日常品は綺麗で、美術品は汚くても良い」
なんて考えがあったとしたら、そんなのウソです。
残念なことに、この世は、本音と建前だらけで、
生きにくいです。
そして、多くの歪みもそこから生じるのではないか
感じています。(教育問題、社会の犯罪などなど)。

心が開放されて自由人でありたいものと、
私は日々思っています。
Commented by tamon1765 at 2008-07-05 11:00
佐藤さん お越しいただきありがとうございます。
私自身、直ぐには答えが出せませんでした。
もし、将来の高値を見越して先物買いをしていたと
したら、鼻持ちならない嫌な人種と感じてしまいます。

でも、仰るとおりで、「使い込んでいけば、面白そうだ。」
と感じて大事にしたのならば、悪くないですね。

そして、その前提として、新品としてもやっぱり
魅力のあるものだったという、ごく常識的な答えに
納まりそうな気がします。
Commented by 風庵亭主 at 2008-07-11 18:55 x
すみません、 相変わらず Tamonさんのブログは刺激的なので、また、書き込みます。

この見方は私の天の邪鬼な心をくすぐりますねぇ。

すると、利休の手にしてたのはテカテカの黒楽茶碗。
織部が手にしていたのもテカテカの織部茶碗。
もちろん、茶杓なんてピッカピカ!
しかも、当時の先進建築技術様式の茶室で。

実は現在の私達がイメージしている「侘び茶」の感覚とはすこし違った茶の湯の美の世界だったのかもしれませんね。

何百年の長い蓄積による美を持つことのできない私には、
ピッカピカの茶碗を使った”侘びの世界”を探求、チャレンジするのも面白いかもしれませんね。
Commented by tamon1765 at 2008-07-21 13:19
風庵亭主さん
復活何よりです。さて、
> 実は現在の私達がイメージしている「侘び茶」の
> 感覚とはすこし違った茶の湯の美の世界だった
> のかもしれませんね。
本当に、そのとおりで、想像が膨らみ楽しいです。

> ピッカピカの茶碗を使った”侘びの世界”
とは面白いことを仰いますね。
チャレンジ、期待していますよ。
by tamon1765 | 2008-06-29 12:37 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(6)

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