映画 「千羽鶴」から、一人の感情の重みと時間の蓄積の重みと

朝っぱらから、重たくどんよりとしたおかしな気分に
なってしまった。春分なのに。

というのも、テレビをつけると、お茶室が映っている。
登場人物は、平幹と若尾文子だ。相も変わらずキレイ。
で、つい見てしまった。
映画「千羽鶴」。川端康成原作、増村保造監督だった。
川端と言うと、私の中では浅草紅団しか思い浮かばない
程度のご縁の無い人。
一方、増村保造は最も好きだった映画監督。
この映画、初めてだが見ていると息苦しくなってくる。
この息苦しさ感が増村の持ち味で、私とピッタリ来る
処なのだろう。



実際に映画を見ると、お茶室やお茶碗をこのような使い方
するな!と、怒る向きも多いはずだ。私も正直やめて欲しい
と思う。
しかし、今の安手のテレビと違って、雰囲気の出し方は
上手いものだ。

平幹の台詞で、このようなものがあった。
お茶碗を割ろうとすることに対して、「これは今まで多くの
人が扱ってきたもので、貴女の我がままで割っていいもの
ではありません」とか何とか。
確かに、そのお茶碗を割ろうとする人間の何倍もの時間を
経て、多くの人の思いが込められたものかもしれない。
この一人の人間の自由にしていいものではない。
但し、人間の感情(それが一時的なものであれ)の重みと
どちらが貴いのだろう。

と、妙な疑問がグルグルと頭の中を駆け巡る。
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by tamon1765 | 2008-03-20 10:40 | 雑談 | Trackback | Comments(0)

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