不白さんに関する疑問 (その身分)

まず、誤解無きようにお断りしておきます。
表題がやや相応しくなかったので悪いのですが、
私は不白さんを疑問の人であるとは断じて思っていません。
不白さんに関しての、私が以前から分からない、どうなの
かしらと疑問に思っていることを書こうというものです。

その疑問とは、不白さんの身分は何か、というものです。

ご存知のように、不白さんは、今の和歌山県新宮市で
水野家家臣川上五郎作の次男としてこの世に生を享けます。
そして、18歳のときに、表千家家元七世如心斎のもとへ
入門します。茶道入門の理由を私は掴んでいません。
尤も、これが分かれば、この問題は解決といえそうです。

私の疑問を書き直しますと、
この入門の時点は、脱藩、武士廃業の上の入門なのか、
それとも、藩士の身分で入門したのか、
どちらなのだろうか、ということになります。

新宮で分かるとおり、不白さんの土地は紀州です。水野家は
紀州徳川家の陪藩というわけです。
そして、紀州藩こそ代々表千家の家元が茶堂を勤めた藩で
あります。
とすると、どうも、武士の身分で入門したのではないか、と
思われます。今で言うところの、公務員の内地留学、あるいは、
大蔵官僚などもハーバードへ官費で留学しますね。さしずめ、
そんなところだったのでしょう。

しかし、不白さんの後半生を見てみると、特定の藩藩士として
の匂いが全く感じられません。何者にも束縛を受けぬ自由な、
一宗匠です。
やはり、武士は捨てて入門したのでしょうか。

一方、入門については、今もそうですが、誰でもが思いのまま
に家元の門を敲けるわけではありません。江戸期は堀内家が
その取次ぎを担っていたという記憶がありますが、一庶民が
簡単に入門を許されるとも思えません。
なんらかの、紀州藩のコネが必要と思われます。

入門の理由と冒頭に書いたのも、「茶道による出仕」あるいは
出世を考えていたとしたら、すなわち「武士の身分で入門である」
と明快な答えが出るわけです。

以上、これは十年来の私の疑問ですが、意外に明快な回答は
出ているのかもしれません。
ご存知の方のご教授を請います
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Commented by 夢庵 at 2007-10-13 12:24 x
浅田晃彦著「不白の跡を探ねて」の記述を調べてみました。
当時亀次郎と名づけられていたようですが、15才で元服を
したと見られております。そして15才(享保十八年)江戸に
出ています。その際に新宮家に仕官したようです。親類の
吉田家を頼ったようです。
当時隆盛であった俳諧を貴志沽州に学んだようです。その
同門に堀内仙鶴がいました。
このことから浅田氏は如心斎入門にはこの仙鶴が関わった
と見ています。
また浅田氏はある資料から不白が一時井上姓を称していた
ことを発見し、推論として富裕な商家に養子に入っていたと
考えられるとしています。

真偽のほどは不明ですが、一つの説をご紹介しました。
Commented by tamon1765 at 2007-10-14 20:10
夢庵さん ご紹介、どうもありがとうございます。
商家に養子で、武士ではないと言うお話しですね。
この、浅田さんの本、一度目をとおさないといけませんね。

堀内仙鶴さんは、私のうろ覚えの記憶では俳人の方が
本業だった方のような記憶がありますが、俳句にも疎いので、
貴志沽州という人に興味を感じました。
人のネットワークの理解が広がりそうです。楽しみ。
by tamon1765 | 2007-10-12 01:06 | 川上不白さん | Trackback | Comments(2)

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