教外別伝 不立文字

皆が口にするが、あまり疑問をさしはさまないらしい言葉。
それに対して、私は、ずっと「?」を背負ってきた言葉。
それが、
  教外別伝 不立文字
である。

そして、碩学が全く私の思っている事を言ってくれて、
飛び上がって喜んだものだ。

神田喜一郎 
そもそも禅宗は教外別伝といい、あるいはまた不立文字とも
いい、文字や言語を超越したところにその極地があって、
それは冷暖自知するよりほかに方法がないといわれている。
しかるに事実は、禅宗ほど古来多くの文学作品を生み出した
宗派はない。


然り、然り。
そして、ここからが碩学の独壇場。
同じく「事実と違う」と言えても、その次が想像もつかなかった。

いかにも禅は冷暖自知するよりほかに方法はないが、しかしそれ
に導くまでには、やはり文字や言語の力を借りなければならぬ。
ところが、もともと象形文字から発達した表意文字である漢字は、
その表面的な意味のほかに、無限の余情と含蓄をそなえている。
その漢字によって作られた文学作品は、そういう意味において
禅の妙境を象徴せしめるのに、これほど最適のものはない。
古来禅宗に多くの文学作品の生み出されたゆえんであろう。

(『五山の文藝』から なお、冷暖自知の暖は火へん)

漢字の有難味を改めて感じるとともに、最近、禅の文学作品を目に
する際、その意味を取ることにきゅうきゅうとして、無限の余情と
含蓄を味わっていない自分に気づく。
はたして、禅の妙境を感じ取れるか疑わしいものだが、もうちょっと
楽しんでよむことにしよう。
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by tamon1765 | 2007-10-09 23:55 | ことば | Trackback | Comments(0)

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